帰還する管理者、その七
銃を向け、コツコツと靴底を鳴らして近づいてくる女。
その顔に、俺は見覚えがあった。
雨に濡れる純白と漆黒のメイド服姿に、夜空のように輝いている短く整った黒髪。
肘や長いスカートの裾からわずかに覗く肌は白磁器のように白く透き通っており。
極めつけに、異性だけでなく同性からも好まれそうな凛々しく冷たい眼差しを宿す美貌が眩しい。
……のだが、その綺麗な顔も今だけは目の前の男を睨みつけることで台無しという感じに眉間にしわが集結していた。
そんな仇を見るような目つきを俺に向ける奴は、この街で盾石のオッサンの秘書である鎧井京花とかいう女の他にいない。
まあ、どこかの半吸血鬼女にはよく冷ややかな目を向けられているけれど。
「よお、秘書さん。会うのは久しぶりだな、休暇は満喫できたのか?」
突然の発砲に呆然として固まる人狼の青年に向けていた右手を挨拶代わりに振り。彼女の質問に聞こえなかった振りをして声をかけた。
盾石のオッサンから話を聞いた限り、そんな訳はない労いの言葉を。
「本当にお久しぶり。休暇は社長命令ですので、二ヶ月ほど嫌でも満喫させていただきましたわ」
「そりゃよかった」
「ええ、ですから命令の真偽を早くお尋ねしたくて、隊長の所に急いでいたのですが……これは一体どういった状況なのでしょう?」
どうやら彼女は、休暇帰りに先ほど路地裏で起きた戦闘音を聞きつけて、ここに立ち寄ったらしい。
……複種合人間を黙らせる為とはいえ、盛大に壊しすぎたな。
厳しい表情の秘書は、細身な体に似合わぬ長物の銃が二丁は収まりそうな特大のケースを背中に背負ったまま立ち止まり。
人狼の青年に手を差し伸べていた俺の返事を待っている。
「あーこれは、えっとー」
二度目の質問。彼女の瞳が、次はないと告げていた。
最悪のタイミングで現れてしまった顔見知りの襲撃者に、俺は脳を最高速度で稼働させて言い訳を考える。
嘘はすぐに看破されそうだし、正直に喋れば目の前の青年の命は無さそうだ。
──あれ、これもう駄目じゃね?
「……貴方、もしかして私が居ない間に人類への反逆でもお始めになられたのですか?」
秘書は、しっかりとメイクが施された目元をキツく細めて睨む。
どうやら言葉に詰まり、明らかに怪しい俺の言動を彼女は違う方向で疑ったらしい。主に何かの主犯格として。
「待て、それは違う! というか、俺が元々人類からはみ出しているみたいな言い方はやめてくれっ」
向けられた理不尽な疑いに、俺はツバを飛ばして反論する。
力に関しては仕方ないが、人から逸脱するような進化も変化もした覚えはない。ない……よな?
「なぁんだ、そうなのですか。せっかく貴方を隊長の同意の元で始末できると思ったのに」
俺の必死の否定を聞いた彼女は、そんな期待外れだと言わんばかりの退屈そうな声を返す。
「そこ普通は喜ぶとこだからな? 敵じゃなかったことに残念がるのはやめてくれ……」
もはや散々な言われようにげんなりしてくる。
口調に似合わず、言っていることも物騒なことこの上ないし。
「それはまあ、残念ですから」
「ハッキリ言うな認めんな!」
そして最後に余計な追い打ちする。
思わず、声を荒げて言い返してしまっていた。
しかし、次の瞬間。俺は目を見張る。
彼女が逆鱗に呼び起こされたように、手の平を固く握りしめて纏う怒気によって。
「……貴方は、ぽっと出が昔日からの自分の地位を奪って、さも最高の相棒然と振舞っていたとしたら、殺意が湧かないのですか?」
「すまん。湧く湧かないとか以前にあんたが何を言っているのか、さっぱり分からん」
「……チッ、お話になりませんね。もういいです」
勝手に盛り上がって勝手に落胆されてもなぁ。
仕方ないだろ。本当に何言ってるのか理解できてないんだから。あー怖。
疑問を顔に貼りつけ困惑する俺に呆れたように。
彼女は視線を青年に移して話の矛先を変え。
「とにかく、私が化け物をお掃除するのを邪魔するのはお止めください。無能な街の破壊者さん」
首を傾げて、銃口の標的を俺から人狼の青年に変更した。
「待て待て! そいえば盾石のオッサンから聞いてないのか? 今組んでる人狼のこと」
対して、俺は自分から外れた青年に向く射線の前に立ち塞がる。
「私を馬鹿にしているのですか? 隊長からの定期連絡は休暇中でも毎日して頂くようにしていました。そして二十三時間以内にして来ないようなら、こちらから掛けさせて頂くこの私がそんなことも知らぬはずがないでしょう?」
「お、おう。そうだな」
またしても地雷を踏んだのか。話が通じればと、軽い気持ちで放った言葉を早口でまくし立てらてしまう。
俺は、たった今。
目の前の女の言動で、盾石のオッサンがこの女に異常な苦手意識を抱く理由の片鱗に触れた気がした。
「なら、とりあえずこの人狼達が敵じゃないってことも分かるだろ?」
この街に存在するほとんどの人狼は、元々賢者がまとめていた群れの者の筈だ。
ましてや数か月ぶりにこの街に帰って来たばかりの彼女には、この青年が野良の人狼などということは想像もできないだろう。
そう確信して問う俺の言葉を、しかし、彼女は否定した。
「いいえ……私が伝えられた人狼の特徴は白い毛並みをした蛍光色の運動着姿の個体ですので」
「いや、だから、それは群れのリーダーで、そいつは今群れの仲間と帰省中なんだよ!」
「帰省中? 化け物にそのような習性があるのですか」
「おう。で、この青年はその移動の直前にトイレに行ってたら置いて行かれちまったらしいんだ。な、そうだよな!」
肩越しに振り向いた先で、青年がブンブンと勢いよく首を縦に振って応答する。
しかし、聞かされた秘書の目から疑いは消えていない。
「それが事実なら少し前、化け物と壁面へ激突した貴方が姿を現した路地の奥付近から、戦闘による破壊音のようなもの聞こえた気がしましたけれど、その正体は?」
彼女は付近にある一部が瓦礫と化した塀を一瞥しながら、謎の戦闘音の正体を尋ねる。
と、そこで俺は都合の良い青年のアリバイ工作を閃く。
「ああ、そうだ! 実はさっき複種合人間の二人組が襲いかかって来たんだ!」
「複種合人間の二人組、ですって……」
前例のない予想外の報告に、秘書の表情が緊張で固くなる。
二人組の複種合人間に食いついた? よしっ!
ならば、この話題でゴリ押してうやむやにしちまおう。というか、もうそれしかないっ!
今はこれだけが唯一希望がある逃げ道だ。
「ああ、そんで助けを求められていたこの青年を逃がそうとしてた所で、たまたま立ち寄ったあんたに襲われたって訳だ」
「……なるほど。一つどころか幾つも気になる点がありますが、わかりました」
盾石のオッサンの秘書は思案顔を作り。しばし沈黙した後に相槌をうつ。
「分かってくれたか」
「それで、襲ってきた複種合人間にトドメは刺したのですか?」
「? いや、まだこの先の袋小路で気絶してると思うぜ」
「では一応。その方々にも事情聴取をしておきましょう」
純白の手袋を着けなおす秘書は、言いながら俺の横を素通りしていく。
「ちょっ、待てって!」
それを止めようと、俺は彼女の背中に声を飛ばす。
そんな事をされたら、折角の言い訳が台無しになるだろっ!?
しかし、俺の制止の声など無視して彼女は通路を突き進む。
「あらあら、さすがは地獄耳。ずいぶんと耳の早い人たちですこと」
そこは出入り口の一つしかない袋小路。
到着した彼女を迎えたのは、左右片腕ずつを失った焼死体と。
袋小路を囲む見上げるほど背の高い建物の上で、雨にも負けず燃え盛る剣と槍を手に持った二人の騎士の背中だった。
「おい、なんで火守りの騎士団がここに居るんだよ!?」
のこのこと彼女を追ってきた俺は、灰色の曇り空へ飛び去って行く背中へと思わず疑問を投げてつけていた。
受け取る者など期待していなかったその声に、隣から諦めをにじませた言葉が答える。
「複種合人間がいるなら、それを狩るのに重きを置いている組織がいるのは不思議ではないでしょう。まあ、その駆けつける早さには同業として驚愕しますけれど……」
視界に映る犠牲者の姿と、うやむやになる真相。
この場には重苦しい空気と妙に耳障りな雨音だけが残された。
「でも、これじゃ話を聞くのは無理そうだな」
「なんだか、微妙に嬉しいそうですわね」
「いや? んなことねえぞ」
実際、自分が気絶程度で済ませていた相手を退治されていたという事実には怒りが湧く。
けれど、同時に青年の身の安全が一時でも守られた事に安堵もしていた。
「はあ……致し方ありません。その化け物の件は一旦隊長に報告して意見を仰ぎます」
「わりいな。じゃあ後のこと任せた」
と、まだ青年に聞けていない今回の襲撃の首謀者の件が残っている俺は、これから会社に向かう秘書に別れを告げる。
「貴方も一緒に来るに決まっているでしょうこの怪力無能。もちろん、その化け物もです」
しかし、秘書に回り込まれてしまった。
逃走は失敗である。
「いや~俺達はこの後用があったりなかったり……」
今さっき会ったばかりで厄介事を土産に盾石のオッサンに会うのは、正直嫌な予感しかしない。
俺はどうにか離脱は出来ないもんかと思考を巡らせ、背後について来ていた人狼の青年に振り向く。
「外注だけでも無駄な出費ですのに、今回も建物の破壊。いっそ警察組織に突き出した方が賢明なのでしょうか」
直後。
視界の外から聞こえてきた不安を煽る声に音速で向き直る。
「あー! 俺も突然に唐突に必然的に盾石のオッサンに会う気になったなあ!」
俺がこの街で日銭を稼ぐには、盾石のオッサンとこの秘書を敵に回すわけにはいかなかった。
「てわけで、俺達も行くぜっ!!」
「当然です」
そんな秒で心変わりした俺の気持ちのいい返事を。
彼女は降り止まぬ雨と同じか、それ以上に冷たい視線で眺めていた。




