帰還する管理者、その六
「危ないところだったな青年。手貸すか?」
俺は重なっていた人狼の青年の背から退き。立ち上がって声をかける。
しかし、間一髪で銀の弾丸を回避できたというのに、腰を抜かして見上げてくるその表情はとても嬉しそうには見えなかった。
「なんで……なんで助けたんだよ?」
奇襲を仕掛けた三人組の一人である青年は、俺の差し出した手を払い。
困惑を貼り付けて雨に濡れた顔で問う。
「なんでって、そんな顔して聞かれてもなぁ」
問われた疑問に、俺は呆れ笑いを返す。
どんなに口で気丈に振舞っても、犬耳を垂らし子犬のように怯えるその姿はひどく可哀想で。
もちろん、どんなに可哀想でも敵に対しては情けなどは無用だと思う派なのだが……
青年のずぶ濡れで獣臭い狼の姿は、そんな俺にほんのわずかだけ手助けをしてやろうと、慈悲の心を震わせるほどには罪悪感を刺激したのかもしれない。
「てゆうか、逃げるんなら人間に戻ってから逃げろよ? そんな姿で見つかったら俺以外の退治業者まで追って来るぞ」
人狼は、特性として人狼と人間の二つの姿を状況に応じて使い分けることができる。
この街で全ての人狼が未だ退治しきれていないのは、被害者にできた爪牙の傷口から感染する危険性のある。
感染者の暴力性を増長する狂狼病から、本格的に人狼化してしまうという。未だ謎の多い感染力と姿を人間に偽装できるという巧妙な生態による所に違いなかった。
人間の姿の人狼を疑いがあるというだけで、衆人環視の中、銀の弾丸の餌食にすることは良い顔をする人間の方が少ないからな。
だから、もし青年が人間の姿で街道に飛び出していたら、俺は周囲に訳も説明せず飛びかかるわけにはいかなかった。
なにより警察なんて呼ばれた日には面倒なことこの上ない。
その場合、飛びかかった相手が化け物である証明しなくてはいけなくなる。
化け物退治の武装組織が設立され、凶悪犯と命がけの逮捕劇を繰り広げる必要などなくなっても。
警察という組織は、この街でいまだ市民の安全を守り、犯罪者を捕らえる組織には他ならない。
よって、俺からすれば街中を逃走するなら人間の姿の方がやり辛いのだ。
「人狼の成り方もなんとなくしか分かってないのに、そんなスイッチで切り替えるみたいにポンポン変われるかよっ!」
俺の考えを知ってか知らずか、声を張り上げた青年が雨音をかき消す大声で逆ギレをかます。
どうやら人狼化の能力は、俺が思っているほど便利なことばかりでもないらしいな。
まあ、それはともかく。
俺は青年のフードを動かせる右手で掴み。
背後に長く続く、狭い人気の無い路地の方へ進路を変える。
「おわっ!? なにすんだよおじさん、放せよ!」
「出入口は人目に付きすぎる。奥でもっとイイ話をしようぜ」
全く慣れていない、白い歯を見せて笑う俺を見て、青年の顔は蒼白になる。
「いやだーお巡りさん助けてー! 犯罪者に連れてかれるよぉ!」
「うるせえぞ、ガキ! つか、警察が駆けつけて困るのはお前の方だろうがっ」
かく言う俺も、過去の諸々の破壊行為(化け物退治中にぶっ壊れてた)で顔を覚えられている可能性があるので、別の意味で困るのだが。
静かに激しく暴れる青年を引きながら、頭だけ振り返って視線を向ける。
道路を挟んだ向かいのビルの屋上から狙撃手の銃身は姿を消していた。
つまり話をするなら、今の内。これが最後の機会だと悟り。
俺は青年を引きずって路地の中央付近に連行、崩れた塀の真横に雑に放り投げた。
「イッタ!」
「お望み通り放したんだ。さっきの提案、少しはその気になってくれたか?」
上体を壁に預け、腰を抜かした様子で血の気の失せた表情をした彼に対し、俺はもう一度説得を試みる。
「ぼ、僕、元々体の強いようじゃないんです! だから、売ってもそんなに高くなんない思うし、勘弁してくださいっ!」
「何の話だ馬鹿っ! さっきの助けてやるって話だよ!」
何を勘違いしたのか取り乱す青年に、俺は奇襲を受ける前にした提案を、丁寧にもう一度聞く。
事態を理解した彼は少しの間沈黙を続けたが、やがて諦めたように口を開いた。
「そうりゃあ、出来るもんなら助けてほしいけど……アンタだって化け物みたいなもんなくせに、どうやって僕を助けるんだよ」
彼は、アシュリーやウォロフとは違う。
対賢者チームの戦力でもないし、人類に多大な貢献の出来る人間でもない。
ある日人狼に成っちまっただけの運の悪い一般人だ。
このまま盾石のオッサンに匿ってくれと差し出せば、その場で処理されるだろう。
しかし、ウォロフには賢者との契約がある。
「俺の知り合いに人狼のガキがいるんだよ。そうだな、お前よりも少しだけ年下の」
「僕より? そんなの正真正銘の子供じゃないかよ……そんな子供になにができるんだよ」
おそらく高校生か大学生くらいの年齢の青年は、それを聞いて瞳から希望を失う。
俺はそんな眼前の一喜一憂には構わず、話を続ける。
その子供が正真正銘勝ち取った。現在の地位へと。
「それが、そんな子供がお前らを襲った人狼達の前の長に代わる、新しい人狼達の群れの長なんだよなぁ」
「はっそんなわけ……え、ほんとに!?」
今もどこかで群れの連中を引き連れて、新しい縄張りへと向かう様を想像する俺は。
少しの間だが、これまで戦ってきた者としてその成長には素直に感心する。
少なくとも、母を群れを救った勇気に関しては同じ年の頃の自分以上だと認めざるを得なかった。
「ああ、ほんとだよ。だから、そいつが帰ってくればお前を人狼の群れに入れてもらうことも出来るかもしれない」
そうすれば、人狼を救いたいウォロフの賢者への願いの手前。無抵抗な青年に手を下すことは、出来ないはずだ。
少なくとも今すぐには。
「は? なんだよそれ……助けてくれるって言ったのに、やっぱ嘘じゃんかよ!」
「嘘じゃねえ。詳しくは言えないが、その群れなら今は灯京の化け物退治業者には狙われない」
賢者同士が睨み合っているこの状況で、どう動くか不明な敵を増やすなんて真似。
あの火の賢者でも、さすがにしないだろう。
「違う! 僕はそんなことを言ってるんじゃない!」
「なら他に何が不満だよ」
「不満も何も、僕は人間だぞ!? 人狼の餌にでもなれって言うのかっ」
胸に両手を当てて訴える彼は、恐怖と絶望から悲痛な叫びを上げる。
しかし、残念なことに、その姿も上げる吠え声もすでに人間のそれでは無くなっていた。
目の前の泣き喚く青年を俺は努めて穏やかな声音で諭す。
「……わるい、でも現実を見てくれ。お前はもう人間じゃない。少なくともこの街の人間からすれば……」
「そ、そんなのって……だって僕はっ! 人狼に襲われた被害者なんだぞ!?」
「化け物の都合を化け物退治業者は考慮などしない。話し合いなんて不可能だってことは、さっき飛んできた銃弾で分かってんだろ」
冷たいことを言うようだが、それが現実だ。
俺以外の化け物退治業者は、化け物の犯行動機を聞いてやるほど、余裕なんて待ち合わせていないのだ。
まして、それが罠や不意打ち狙いの語りかけの可能性もある以上、応じる方が馬鹿らしい。
だから、彼らは当然のように退治するべき対象に遭遇したなら仲良くお喋りなどせず、何かされる前に攻撃を選ぶ。
それが自らの命の為であり、街に生きる人々の命の為の行いだから。
「……わかったよ。このままじゃどの道誰かに殺される未来しか見えないし、目の前のしおれたおじさんにすがってみるよ」
顔を下げた青年は諦めた空虚な瞳で、だけど最後に一縷の希望に手を伸ばすように、小さい声で助けを求めた。
なら、俺は応えてやらなきゃならない。
自分が一度救えなかった青年を、今度こそ安全で安心できる場所へと連れてってやらなければならない。
「今その余計な感想は必要だったのか気になるが……まかせろ、俺が助けてやる」
『親切にした以上、最低限の責任は取らないと』って、どっかのお人好しなら言うんだろうなぁ。
だったら仕方がない。
あいつの"嫌なこと"だけは、俺は昔から出来ないんでな。
尻を地に預けてこちらを見上げた青年に、俺は今度こそ立ち上がるのに手を貸すため。
空いている右手を差し出す。
「青年も知っての通り、俺って最強だからな!」
そして、勢いよく不恰好な笑顔を作る。
それを鼻で笑う人狼のとがった爪と灰色の毛に覆われた手が、差し出した手を掴みかけた。
――その時。
一発の銃声が、鼓膜を叩く。
今度は、俺のこめかみを銀の弾丸が襲った。
「アタっ」
直撃した俺は、衝撃でおもわず首を傾けてリアクションを取ってしまう。対して痛くもないのに。
「えっとぉ……この状況なにをやっているのか、聞いてもいいのですよね、役立たずさん?」
俺の左側。十メートル程離れた街路に続く路地の入口で。
得物をライフルから銀のレリーフが施された見覚えのあるリボルバーに持ち替えた、メイド服姿の細身の女が、銃口をこちらに向けて辛辣な評価と共に尋ねてきた。