帰還する管理者、その五
俺の忠告に、目の前の複種合人間の二人組の片割れ、左手が変異した男が飛び出す。
男は間髪入れずにその黒い爬虫類のような腕を振り抜く。
開戦の合図。迫る黒拳。
俺は右手に持つ傘を頭上に放り投げ、その拳を受け止める。
「くっそ、硬ってぇな!」
「あの腕を素手で止めた!? やっぱり、アンタ化け物じゃんかよ!」
キャンキャン、とうるさい人狼青年の言葉を背中で聞きながら、俺は手の中の黒い塊に意識を集中させる。
所詮は、ただの人間から打ち出されたもの。
攻撃の威力は受け止められないほど逸脱したものではない。
しかし、脅威は腕中に生えた鱗の異様なまでの硬さだ。
今も手の甲から生えている鱗が、包み込んだ俺の手の平に細かい切り傷を作りだし、瞬く間に鮮血に染めている。
「あー痛てぇっ!」
お返しに男の凶器じみた手を思い切り投げ飛ばし、勢いよく後方に飛ぶ左腕に振り回された男がよろける。
その姿を尻目に、俺は時間差で雨に紛れて振ってくる傘を手に掴む。
そして――眼前の男の陰から姿を見せ、入れ替わるように迫る。右手が変異したもう一人の複種合人間。
「見ーつけたぁっ!」
会心の声を放ち。
俺はその横顔に、ビニールで覆われている骨組みを横薙ぎに叩きつけた。
バキャァと、音を立てて一回きりで使い物にならなくなった傘をその辺に捨て。
ぶん殴られてふらついた右手の男を横目に、再度特攻を仕掛けてくる左手の男を相手取る。
そこへ傘の一撃から立ち直った右手の男も加わり。二対一の交戦が、強制的に鐘を鳴らす。
怪我で動かせない左腕を庇うように、体をずらして半身になった俺は。
左半身を下げ、交互に繰り出される黒腕の連打を右腕のみで迎え撃つ。
弾き、躱し、掴んでは相手の態勢を崩し、反撃の機会を窺う。
しかし、これが中々どうして上手くいかない。
右の拳を弾けば、隙を埋めるように左の拳が迫り。
左の追撃を躱せば、右からの追い打ち。
その腕を掴んで引き寄せれば、側面から牽制の拳が飛ぶ。
片腕しか使えない俺と、お互いの隙を縫うように完成された連携を遂行する複種合人間達の間に、不本意にも適切なハンデが成立してしまう。
それに、やり辛い理由がもう一つ。
(こいつら、深追いしてこないな……)
複種合人間の男二人は、この交戦中常に俺を観察するような眼差しで距離を取り。
一撃打つたび、すぐに後ろに下がっては一定の間隔を保っている。
その動きは、何か致命的なミスを待つ狩人のように狡猾で、俺はちまちまとした攻防に次第にイライラを募らせていく。
そして、さらに攻撃を交わすこと数分。
「ああっ! もうめんどくせえ!!」
俺は意を決して、声を上げた。
「そんなに喰らいたいなら、お望み通り一発デカいのを叩き込んでやらあ!」
俺は言葉どおりに半身の構えを解き。
引いた右の拳を溜めて、眼前に立つ片方の複種合人間に向けて照準を合わせる。
――瞬間。
複種合人間達が、用意が出来ていたかのような自然な動作で縦に並らんだ。
まさか、俺の攻撃を受け止めるつもりか?
舐められたもんだな……
「やれるもんなら、やってみろオラぁぁ!」
怒声と共に、打つ。
唸る剛拳を放った目前では、黒い左手に右手を添える剛速球を待ち構える捕手のような構えで立つ複種合人間。
背後ではもう一人が、その背中を支えている。
そして、十メートル四方の袋小路に快音が鳴り響く。
直撃した砲撃の如き威力の拳を「かはっ!」と血を吐きながら受け止めた左手の男は、二度と離さないという覚悟を以って俺の右腕を己の左腕で拘束した。
「……やるじゃねえか、そういう覚悟は嫌いじゃないぜ?」
受け止められた俺は素直に笑みが溢れ、目の前の光景を称賛する。
狙いは大体分かっていたが、まさか本当にやってのけるとは……
俺が今まで戦ってきた敵の中でも、真っ向から止めた奴はほとんどいないんじゃないだろうか。
それほどまでに、この現状は奇跡的なことだ。
だが、その覚悟を認めたからといって負けてやるつもりはさらさらない。
今も放す気の無いその左腕は、握られた俺の右腕と固く繋がれている。
だから、俺は。
"俺達"をその鎖で繋いだままの複種合人間の頭部へ、最速の左足の甲を叩き込む。
捕らえた獲物への油断。
策にかかった瞬間の反撃になす術もなく首を折り、白目を向いた複種合人間が膝から崩れ落ちる。
殺してはいない。
手加減して、少々強めに脳を揺らしただけだ。……たぶん。
目を見開き背後で立ち尽くす、残された複種合人間。
その顔を視界に収めるのと同時。
「……終わりだ」
俺は回転しながら一歩分前方に移動し、その側面に回し蹴りをお見舞いする。
愕然とした所に容赦なく迫る踵を、男は咄嗟に右腕を盾にして致命傷を防ぐ。
けれど、その強固な黒腕の盾も加速した衝撃までは殺せない。
男の足が浮き、体が真横に吹っ飛ぶ。
高速の勢いのまま、その体は人間の腕が生える左側から建物の外壁に豪快な音を上げて突っ込む。
戦いの終幕。
袋小路には静寂が訪れ、未だ降り止まない雨音だけが弾んでいた。
一度大きく息を吐いた後、俺は人狼の青年へと振り返る。
そこには今にも泣きだしそうな顔で可哀想なほど怯える彼の姿があった。
「安心しろって、無抵抗なガキを殴る趣味はないさ」
腕を広げ、警戒心を増長させないように、俺は一歩一歩。ゆっくりと彼との距離を縮める。
その度に濡れた地面が、ぴちゃぴちゃと音を鳴らす。
そして青年の目の前で立ち止まり、俺は尋ねた。
「なんで俺を狙った? 一体、誰の差し金だ」
問いかけに青年は俯いて、口を閉ざす。
やはり口止めをされているか。それとも本人に言えない事情があるのか。
どちらにせよ、安心させてやるのが先か……
「まかせとけよ。お前のことも助けてやるし、その犯人も俺が必ずぶっ飛ばしてやるから」
俺の言葉に顔を上げた青年が不意に、左の方を見やる。
それに俺は敵が起きたのかと、はじかれたように目線を飛ばした。
しかし、そこには沈黙を貫いて砕けた壁の向こう側に上半身を投げ出した複種合人間の姿しかない。
直後。
青年が人狼の脚力を発揮し、俺の死角になる右側を低い姿勢で走り抜けた。
「あ、おい! 待てって」
さすがは人狼。
瞬く間に袋小路から路地へ突入すると、そのまま走り抜け、さらに、その先の角を曲がってしまう。
「くそっ!」
これはちょっと、本当に不味い!
あの路地の先を抜ければ、街の道路沿いの道に出る。
今の青年が灯京の人々に見つかれば、すぐにでも化け物退治の部隊に通報されてしまうだろう。
そうなれば、彼を助けられる可能性はどんどん低くなる。
少々強引でも、今ここで止めなきゃならない。
覚悟を決め、俺は路地の角に目がけ。渾身の一歩で地を蹴り。急加速。
局所的に陥没した地面と降りそそぐ雨すら置き去りして、一気に超速度で跳ぶ。
そのまま突き当たりの塀を肩で破壊しながらの着地。
壁面から半身を抜くと、街路に向かいひた走る青年の背中が見えた。
そして、遥か前方。遠くの背の高いビルの屋上で怪しく光る反射光も。
「伏せろ!」
再び地を蹴った俺が、その背に強引に飛びつく。
そして青年の頭を押さえ、人気のない路地の出入り口付近で二人一緒にその場に転がった。
一瞬遅れ、俺達のわずか数メートル後方で地を削り。
青年の頭部があった場所を通過した、標的を違えた銀の弾丸が背後で跳ねた。