帰還する管理者、その三
「でも、そんな状況でよくアシュリー達に休暇なんか取らしたな」
話を終えた盾石のオッサンに、今朝アシュリーから帰省の報告を聞いた俺は、素朴な疑問を投げかけていた。
盾石のオッサンは、化け物であるあの二人を個人的に心底嫌っているみたいだったしな。
しかし、その答えは至極単純明快な理由であった。
オッサンはサポーターで固定された俺の左腕に視線を移す。
「そりゃあ、どっかのバカが怪我なんかしたからな」
告げられた痛告に大袈裟に胸の辺りを押さえる俺。
「うっ……いや~俺は、そのバカも結構頑張ってるとは思うけど?」
「そうかもな。だが、賢者との戦闘は九割方そのバカのお陰で勝ててるも同然だ。あんな役立たずな化け物だけ居てもしょうがねえだろ」
「いや、そこまで言わんでも……」
自分への称賛に聞こえなくもない言葉の後に、散々な言われようをしている奴らに。
共に死闘を乗り越えた身としては複雑な感情にならざるを得ず。
気づけば、俺は口元を引きつらせて擁護の言葉を呟く。
アシュリーは、俺達の休息をこのオッサンの優しさなどとのたまっていたが。
目の前で偉そうに座している男がそんなものを持ち合わせているとは到底思えない。
「――というのは冗談で、アイツらの休暇は三条氏が言い出したことだ」
「え?」
「お前達に作戦成功の飴を与えろとな」
「なんだよ。それなら早く言えよな。……いや、待て。ならさっきのバカ連呼のくだり、全く必要なくね?」
「ああ、それは単にオレの個人的な心の中の感想だ」
「心の中の感想は、検閲してから声に出してもらっていいっすかねぇ? 社長さんよお!?」
なんてひどい野郎だ。
その言葉で心優しい俺が傷つきでもしたらどうすんだ。ぶっ飛ばすぞ。
「やなこった! なぜならオレの気分がいいからっ!」
言い放ち、ガハハハと愉快そうに高笑いをする目の前の筋肉ゴリラ。
その姿がかなり不愉快なことは間違いなかった。
「で、話終わったんなら帰っていいのか?」
一日に二度も不愉快な哄笑を聞き終え、俺はげんなりして尋ねる。
それを聞いたオッサンは執務机の引き出しを開けた。
「おいおい、剣。一番大事なもん受け取んなくていいのかよ?」
「ん、謝罪だったらいらねえぞ。俺って寛大だからな」
試すような笑顔に、俺は目を細めて手を振る。
「誰がテメエなんかに謝るかっ!! あと謝罪の必要数なら、絶対的にお前の方が上だからな!」
オッサンは顔を真っ赤に染めて、盛大に机を叩く。
俺は相手の要望に応え、瞬時に頭を下げる。
「はい、すんません! この潔さに免じてその件は金輪際言わないでください!」
面倒な説教、もとい、雇い主の怒りを素早く治める高速の謝罪。
至極、大人の対応ではないだろうか。
「すげえ……謝罪の早さ以外何一つ良いところなしのクズに一直線だな……」
やられたオッサンも思わず声を止めてしまう。
まあ、言葉を失ったとも言うが、どちらにせよ説教は回避できたので僥倖である。
「まあまあ、オッサン。そんなでかい体してんだから小さいことなんて気にすんなって」
「お前はオレより小さいくせに、全然細かいことに目が行き届かないけどな!」
盾石のオッサンは、引き出しから取り出した少し厚みのある茶封筒と嫌味を投げつけてきた。
「もういい。早くこれもってオレの会社から出ていけ」
「おい、これって」
投げられた茶封筒だけを右手で受け取り。中身を聞く。
会話の流れから十中八九報酬だろうが、万が一請求書とかだったら目も当てられん。
こちとら怪我で一週間近く働いてねえんだ! そんなもん払えるわけが無いだろうが。
「それは一部だけどな。三条氏から賢者を退治した報酬だとよ」
一部という言葉にびくっと肩が浮くが、その後の報酬という言葉に一安心。
俺は受け取った茶封筒の中身、きっちりと詰められた約百万くらいある札の束を覗いて確認する。
「一部ってことは、まだあんのか」
「ああ、全部は流石に手渡すには大金すぎるからな。お前がいい子に依頼をこなして行けば全部やるよ」
「……ガキのお年玉かっての」
まあ今渡されても持つ手が無いので、邪魔になるだけだし、いいけどよ。
「ん、どうした? 今度こそ用は終わったぞ」
流石にもう軽口の応酬にも飽きた様子の盾石のオッサンが素の表情で疑問浮かべる中。
俺はオッサン目の前。
執務机の上に視線を落とし、最後にどうしても言っておきたいことがあり。
人差し指を立てて、切り出す。
「最後に煙草吸ってから帰りたいんだけど……盾石のオッサン、一本だけ恵んでくんね?」
俺の作り笑顔に、盾石のオッサンは盛大な溜息をつく。
久方ぶりだった至福の一服の後。
モンスターバスター社を後にした俺は、帰路に着こうと会社ビルの目の前にある横断歩道で立ち止まる。
時間を確認すれば、午後三時。
ケータイを取り出したついでに、夕飯にいるものでもあるかと自宅の電話に掛けようと折り畳み式のケータイの数字を順番に押していく。
十番目の番号を押した所で、視線を感じてケータイから目線を上げる。
すると横断歩道の向こう側に、モンスターバスター社に来るときも見かけた青年の姿があった。
彼はこの雨の中、傘もささずに衣服のフードを被り。じっと、こちらへ視線を向けてくる。
さっき目が合った時は逃げ出したのに、俺が出てくるのを待っていたのか?
そうこうしている内に信号が青に変わる。
俺はケータイをしまい。肩に預けていた傘を右手に持ち直して歩き出す。
そして、こちらを見つめたままの青年との距離が徐々に近づく。
すると、横断歩道の中間に差し掛かった時。
またしても青年が背後に振り返って走り出す。
「あ、おい!」
流石に、今度こそは何もないということは無いだろう。
俺は走り去ろうとする青年の後を、小走りに追いかけた。
「おいっ! もし頼みでもあるなら言えって、助けられるかも知れないぞ?」
何度目かの曲がった路地の末。
追いついた道路沿いから一つ離れた背の高い建物に囲まれた路地裏の袋小路。
俺は青年の背に声を投げかけた。
かけられた声に、やっと訳を話す気になったのか。
青年はその場で、ぴたりと足を止めた。
「あんたが、僕を助ける?」
しかし、その声は低く高圧的。
どうやら話をするために立ち止まってくれた訳ではないらしい。
背中越しにこちらを窺うフードに隠れた瞳で、睨まれた気がした。
──直後。
青年の背中が不自然に盛り上がったかと思えば、手足が長く鋭い骨格へと変貌を遂げていき。
俺と同じくらいだった身長は、酷く反り曲がった姿勢に変化し、二十㎝ほど大きくなっている。
「……なっ!?」
俺の驚愕は目の前の出来事より、既視感によるものだった。
そう、その変身風景は一緒に戦っていた人狼の少年。ウォロフの隣で何度も目にした光景だったから。
「……これでもかよ? なあっ!?」
"青年"がフードを翻す。
人間の姿を捨て狼の相貌で振り返った"人狼"は、唾を飛ばし叫喚を上げる。
そんな眼前の現実に、俺は顔を引きつらせずにはいられなかった。
「こいつは、参ったなあ……」