帰還する管理者
急な呼び出しで、瞬く間に予定が埋まった俺は紗世に出かける旨を伝えてから家を出た。
降りしきる雨で湿る街の数キロ先。
縦断する大通りの突き当りにそびて立つモンスターバスター社のビルへと向かう。
大通りの北方面は生憎の雨にも関わらず人々がまばらに行き交い。あちこちから談笑が聞こえる用事は平和そのもの。
この様子なら盾石のオッサンの呼び出しの用は、急ぎの化け物退治ではないだろう。と俺は思いたい。
そんな予想なのか願望なのか定かではない事を考えながら道を歩いていく。
――瞬間、俺の首筋を何かが這うような感覚が襲った。
なんだ……誰かに見られている?
不意の違和感に襲われた俺は足を止めて、すぐに周囲に視線を飛ばす。
しかし、視界で動くのは無害そうに傘を刺して歩く人々のみ。
怪しい者の影などは捉えられず空振りに終わる。
「ん? あの男、前に会ったことある奴だな」
怪しい者は見つからなかったが、以前廃ビルで人狼達から救出した青年が、ガードレールと車道の先、向かいの歩道に立っていた。
あの時は脇腹に大怪我を負っていて浅い呼吸繰り返していたが、もう元気になってたのか。良かった。
彼とは特に面識はなかったが、気分の良くなった俺は右手の傘を肩に乗せ、挨拶代わりに手を上げる。
すると青年は目が合った途端、突然走り去って側の道の奥へと消えてしまう。
そこまで嫌われる覚えもないんだが、知らないうちに傷つけるようなことでもしたのだろうか?
疑問とともにその場に残された俺は、目的を失ってしまった手で後頭部を掻く。
「まあ、いいか。助けた相手に恐れられんのも、今に始まったことでもないしな」
しかし、あの視線。
あれは、ただの青年が向けるには余りに悪意と敵意に満ち過ぎていた気がする。
他に狙われる覚えなど無い。どころか、多々あるだけに正確な正体を絞るのは難しかった。
感じた視線の正体に少し引っかかりつつも、盾石のオッサンを待たせすぎると後が面倒になるので。
仕方なく、俺は違和感の正体を暴くのを諦め、再び目的地への歩を進めた。
モンスターバスター社に到着し、最上階の部屋の前。
なぜかこの社長室だけ、木製で出来ている扉を叩く。
「入れ」
イマイチやる必要性が理解できないノックへの応答を聞き。俺は社長室に足を踏み入れる。
「遅いぞ、呼ばれたらもっと早く来い。オレが何の為にお前に"この会社から近い家"を用意した思っている」
「これでも、最速で来たっての。アンタが、町のど真ん中でビル超えるくらい高く跳んでも気にしねえって言うなら別だけどな」
「注意してもやるだろ、お前は」
「早急な用事の時だけな」
聞き飽きた文句を話半分で聞き流しながら、俺は少し異様な目の前の光景に言及した。
「てゆうか、なんだよソレ?」
腰掛けたオッサンの執務机の上には、ハンバーガーにピザ、ドーナツにフライドチキンなど。
これでもかというほどのジャンキーな昼食が陳列している。
何かめでたい催しでも、あったのかだろうか。
そうでなければ、説明がつかない程の量だ。
「これは、オレが今の内に食っておかなければならないだけだ。気にするな」
しかし、オッサンは特に説明もせず。
俺の質問に足りない返答をしただけで、この会話を終了しようとする。
「え、盾石のオッサンって明日死ぬのか? だったら今からでも食生活見直した方が良いぞ」
「違うわ、たわけがっ! オレは生まれてこの方、筋肉を衰えさせたことも健康診断で、再検査になったことも無いわ!!」
「じゃあなんで、そんな大急ぎでデブ活してんだよ」
「……って、来るんだよ」
俺の追究に盾石のオッサンは呟くような声で返す。
「なんて? 聞こえねえよ、もっとはっきり言ってくれ」
「だからっ! オレの秘書をやらせている鎧井京花が帰って来るんだよ!!」
ああ。そういえば前に長期休暇を取らせてるとか言ってたっけ。
「へぇ、よかったな。確かこの会社の事務作業って、ほとんどあの子がやってたんだろ。これで盾石のオッサンもちょっとは楽できそうじゃねえか」
「良いわけないねぇだろ、このクソガキ!」
そんな温度差のかけ離れた俺の感想に怒号が飛ぶ。
そして、すぐにその勢いは失速した。
「アイツは、オレがこの世で最も相性の悪い人間なんだよ……」
「この前も言ってたな。色々小言がうるさいって」
以前、吸血鬼騒動の時にそんな愚痴を聞かされた覚えがある。
「うるさいなんてもんじゃねえ……アイツが帰って来たが最後。オレはまた四六時中監視させるような生活を送ることになるんだよ!」
「そ、そこまでか……」
俺が知っている限り彼女は、盾石のオッサンには特に厳しい印象は無いんだけどな。
むしろ、俺と盾石オッサンが話ている時にずっとオッサンの背後から凄まじい眼力で、こちらを睨みつけてくる顔しか知らないくらいだ。
だが、ここまで本気で頭を抱えている盾石のオッサンは珍しく。俺は少しばかり同情の念を覚えてしまう。
可哀想だな。
「うぅ、剣。頼むから暫くオレをお前の家に泊めてくれ……」
「それは無理だな」
情けない顔で懇願してくる筋肉ゴリラを、俺は考える素振りもせず即拒否。
それとこれとは話が別だった。
しかし、盾石のオッサンは心底あの秘書に恐れをなしているのか。尚も食い下がる。
「頼む、タダでとは言わん! オレが居る間は飯代はオレが持つ。好きなだけ美味いもんを食いに行けるぞ!?」
確かに、オッサンはこの会社の社長だ。
頼みを聞けば、食事くらいなんでも好きなもんが食えるだろう。
しかし、それでも俺は首を横に振る。
「いや、そういう問題じゃなくてな。今、俺ん家には人は呼べねえんだよ」
「ん、なんだオレはお前の家がごみ屋敷でも、気せんぞ。なんなら一緒に片づけてやろう!」
「いや、ちげえよ。彼にそうだったとしても真正面から直球でそれを言うデリカシー皆無な奴と同じ部屋に居るのも無理だわ」
「なら、何が問題なんだ!?」
正直、紗世の存在は、なるべく他人には口外したくはない。
しかし、ここまで来ると理由も無しに断りきるのは無理そうだった。
仕方なく、俺は自分の家にいる彼女の存在を話すことにしする。
もちろん、体質のことは伏せたまま。
「今、色々あって田舎に置いてきた同居人が来てんだよ……」
嫌々口を開いた俺に盾石のオッサンは信じられないものでも見たように目を見開く。
「おい剣。それはまさか、女か?」
そして、口早に尋ねる。
「そうだったら、どうなんだよ?」
何故、先ずそこを聞かれたのか分からない。
だが性別はまで隠す気はなかったので、疑問に思いながらも素直に頷く。
「──そんなもんお前、嬉しいに決まってんだろっ! ガハハハハ!」
肯定を受けた瞬間。
立ち上がった盾石のオッサンが両手を振り上げ、大喜びで豪快な笑い声を轟かす。
「そうかそうか、お前にもそういう相手が居たのかぁ。それなら何よりだ」
一変して、ニコニコと満面の笑みを浮かべる強面のマッチョ。
そこには気味の悪い不信感しか存在しなかった。
「なんだ急に、気持ちわりいぞ。とにかく、そういう事だから宿泊先なら他を当たってくれ」
「ああ、そんなことはもうどうでもいい。気にすんな!」
「はあ? どういうことだよ。このくそじじい……」
その後も暫く。
理解に苦しみ額を押さえる俺の前で、盾石のオッサンは上機嫌そうな哄笑を室内に響かせていた。