化け物達の帰省。その三
早朝に家を出て、アシュリーとの用事を済ませた正午前。俺はいまだ晴れぬ雨空の元、そそくさと我が家に帰宅した。
普段なら開けっ放しにしていることもしばしばの玄関扉の鍵をしっかりと閉め、靴棚の上に置きながら靴を脱ぐ。
すると、目の前に続く廊下の左側。居間の方から話し声が聞こえてくる。
「そうそう、そうなんだよ~大きな戦いの度に服がなくなっちゃうみたいなんだよね」
どうやら先日から、またこっちの家に来ている紗世が電話越しに誰かと喋っているようだった。
"誰か"と言っても、紗世が電話をする相手なんて田舎に住む両親くらいしか居ない。
この話し方からして、おそらくはお義母さんだろう。
「あ、もう帰ってきたみたいだから切るね。うん、お母さん達も気をつけてね、ばいばいっ」
別れの言葉もほどほどにカチャッと受話器を置く音がした。
それから急ぎ足で通話を終えた紗世は、人懐っこい子犬のようにパタパタと小走りで、きれいな長い髪を揺らして、居間の出入り口から姿を見せる。
「剣、おかえり!」
「ただいま」
数時間の外出から帰ってきただけだというのに、紗世はとにかく嬉しそうな満天の笑顔で俺を迎えた。
最愛の人の大げさな反応に口元を緩ませつつ、帰還の挨拶を返す。
「電話、お義母さんか? 別に切らなくてもよかったのにな」
「うーん。でも、世間話がどんどん話が長くなっちゃって、今切らなかったらお昼まで続きそうだったから」
紗世がこっちに来てから話し過ぎるほどの出来事なんてあっただろうか?
基本、家に居てもらい。たまに買い物なんかで出かけたり、近所をぶらぶら散歩してたくらいの事しか思い当たらないんだが。
昔から耳にはしていたが、やはり母娘の世間話というものは無限の引き出しから交わされるものなのだろう。
「まあ、遠くにいる娘とは少しでも長く話したいんだろ」
「わたしが家を出て、まだ一週間しか経ってないのに?」
「一週間でも一日でも、自ら戦地に向かったような娘を心配しない親は居ないんじゃないか?」
親の気持ちなんて、ほとんど喋ったこともない俺には想像くらいしかできないけれど。
「え~送り出す時のお母さん、すごく良い笑顔だったけどなぁ」
……それはそれでどうかと思う。
けれど、言われてみれば、あの人は俺達が結ばれることを一番近くで応援しているような節があるからな。
いつもの調子で"どうせ、剣君が守ってくれるでしょう"とか、命より重い信頼と面白がりで送り出す姿は想像に難くない。
その信頼は本当にありがたいけれど、いつも過酷難題を与えてくれる人である。
それとも愛でも試させているのだろうか?
と、お義母さんからの試練に頭を悩ます俺の眼前で、紗世が真面目な顔になって、こちらを見る。
「それと、愛する人が自ら戦いに行くのを心配するのは、親子だけじゃないからね」
「……あ、はい」
そして、恋人を残して勝手に戦いに出た男にしっかりと釘を刺す。
「あ、あとお母さんが剣にもよろしく伝えるように言ってたよ」
「お、おう。それはいいんだが……」
紗世の母。可与さんには挨拶の他に一つ、きちんと聞いておきたいことがあった。
「紗世、本当に魔道の修行は終わったんだよな?」
彼女が灯京に来たのが一週間前。
そして賢者との戦いの為、俺が呪幸村を出たのが約三週間ほど前。
紗世の特殊体質を考慮しても、その期間は流石に早すぎる気がした。
「だから、この前も言ったでしょ。修行は最終段階だけだったから、思ってたよりすぐ終わったの」
この件に関して何を言っても紗世はこの調子で、どうも自分の心配性が顔を出してしまう。
「う~ん。紗世が満面の笑顔で言うときほど不安なんだよなぁ」
「もう心配しすぎ! わたしも自分の身を守れるくらいには魔道使えるようになってるんだから!」
「そのあり余る元気とポーズで、また少し信用が下がったからな?」
自信満々に息巻いて胸の前で両手を握りしめた彼女に俺は手の平で額を押さえて、ため息をつく。
「まあまあ、剣さん。その話はもうこれくらいしようよ」
「嘘か真かで話の流れは一変しちまうんだけどな。まあ、"今回は"よしとするか」
まあ、何でもいいか。
どっちでも守り抜く事に躊躇なんてのは無いしな。
「うんうん。それよりさぁ、剣?」
切り出した紗世は、突然手を後ろに回して、ゆらゆらと体を揺らし始めた。
「?」
「ご飯にする? お風呂にする? それとも……」
「うん。朝飯も食べずに行ってきたし飯一択だな」
不自然な間が空いた次の言葉を待たずに、俺は即答する。
じめじめとした蒸し暑い湿気に纏わりつかれながら帰って来たので、汗を流したい気持ちもなくはない。
しかし、その場合。
ただいま怪我人である俺には一つの問題が生じるのだ。
「えーお風呂なら一緒に入っちゃえばいいんだよ。剣は左腕、怪我してるんだし」
「ほら見ろ」
「うん?」
わざとらしく首を傾げる最愛の人に、俺は思わずイラッとしてしまう。
紗世とそんなことをして無駄なイチャつきもなく、さっさと風呂を上がれる未来が想像できないのだ。
「一応聞くけど、俺が遮った後はなにをさせるつもりだったんだよ?」
今後こんな不毛な問いかけが無いように、俺は紗世のオチを聞いておく。
「……んっ」
すると、彼女は一歩前に進み。少し低い位置から俺の顔を覗き込む。
そして瞼を閉じ、ゆっくりと白桃のように瑞々しい唇を、迎えを待つように差し出した。
「……」
「どうしたの、剣?」
中々、来ない迎えにしびれを切らしたのか、紗世が俺に疑問を投げかけてくる。
いや、「どうしたの」はこっちの台詞だけどなっ!
なぜ、この低い雰囲気からキスの成功率を高く見積もれたのかが謎すぎる。
「調子に乗るなっ」
「いたっ!?」
キスの代わりにおでこを人差し指でつつく。
目を見開いた彼女は、とっさに自分の額を押さえながら、驚愕の表情を浮かべて上目遣いにとても悔しいそうに睨んでくる。
だけど、幼く見える顔立ちと普段の柔和な雰囲気のせいで、その顔は全く怖くもなんともない。
それどころか、今にも頬がほころんでしまいそうになり、俺は違う意味で辛くなってくる。
「ねえ、剣。何がおかしいの!?」
「いやいや、可笑しいというか。朝飯以外の選択肢は甘い罠だったかと思ってな」
他の二択が行き着くところ確認した俺は、二度と夜以外にその常套句を使用するなと紗世に言い聞かせ。
上着を服掛けの突起に引っ掛け、食欲を唆られる匂いにしたがって居間へ向かった。
机の上に並べられた彩りのある料理。
席に座った俺達は向かい合って談笑しながら、朝食を片付ける。
それから、数十分。
他愛のない話で声が弾む二人の間に穏やかな時が過ぎていく。
そんな紗世と交わす言葉と時間は、やはり俺の枯れた日常を潤してくれる気がした。