出発前夜
無言で空を切るいくつもの拳。
繰り出す俺は、冷静な表情のウォロフに次々と本気一歩手前の殴打の雨を振り抜いていく。
「まだまだ、止まらねえぞ」
「くっ!」
反撃に出損ねているウォロフは苦い顔で、眼前に迫った直伸する拳をすれすれのところで躱していく。
本当は躱せることですら意外なんだが、この特訓の目的はあくまで俺に一発入れること。
なので、俺は顔には出さずに拳を振り続ける。
最終日となったウォロフと俺の”強くなる為の特訓”は激しさを増していた。
明日に迫る賢者との戦いへの出発。その前に少しでもウォロフを鍛えておくためだ。
「おらっ!」
急速な接近。
目を見張るウォロフに、視界の外から振り回す側面からの一撃を振るう。
今日初めての横薙ぎの一振りが、それまで完璧に避けれていたウォロフの頬を直撃。
「ぶぉっ!?」
衝撃が炸裂した。
「はっ!?」
吹き飛んだ身体を視線に映して、殴られたウォロフとともに俺もまた驚愕し、その場に硬直する。
……あら、これは当たんのか?
ウォロフが謎の超感覚で避けられるのは、今のところ直線的な攻撃だけらしく。湾曲した軌道や視覚外からの攻撃には一定の予測時間が必要なようだった。
当たらないと高を括って、放った一撃が当たり。俺は倒れ込むウォロフに駆け寄って声をかける。
「おい、ウォロフ。大丈夫か?」
「なんで心配してんだよツルギ……これはそういう特訓でしょ」
膝に手をつき、ゆっくり立ち上がるウォロフは身体にダメージを負いつつも、俺の言葉に馬鹿にするなと睨みを返す。
そうだ、これは強くなるための特訓。ウォロフは覚悟をしているんだ。
怪我なく安全に強くなりたいなど、彼は思ってはいない。
「なら、構えろ。このままじゃ一発なんて夢のまた夢だぞ?」
目の前の男に俺は敬意を払い、もう一度戦闘態勢をとる。そして誓う。
ここからは殺さない程度に本気で追い詰める、と。
「わかってるよ。今のツルギに一発も入れれなきゃ、また足手まといになる」
闘志を燃やす瞳は、一直線に俺の顔、渾身を叩き込むべき目標に向けられた。
駆け出したウォロフの飛び蹴りを躱し、俺は宙を舞う足を掴み、屋上の床に叩きつける。
「ぐぁっ!」
地面への前身から衝突。ウォロフが口から空気を吐き出す。
「早く立たねえと……怪我すんぞっ!」
見下ろした姿勢で力を込めた、次打の報せ。
追い打ちの拳は、即座に転がりその場を離れたウォロフの真横を掠めてモンスターバスター社の屋上に撃墜。
少しの揺れを起こす建物の上でウォロフが再度、立ち上がった。
俺の一撃をギリギリの距離で躱し続けているウォロフは、疲労を蓄えすでに肩で息をしている。
「はぁはぁ、はぁはぁ」
俺は肉薄、尚も攻撃を繰り出す。止めどない回避を続けるウォロフはすでに疲労困憊。
その証拠に突き出した拳と、避けた顔の間隔が徐々に狭くなってきている。
このままでは避けきれずに、直撃するのも時間の問題。
俺は手を止め、二、三歩後退して仕切り直す。
「おい、手かげんするなよ!」
「手加減じゃねえ。このまま持久戦で終わるのは勿体無いと思っただけだ」
恐らく明日の作戦の事を考えると、体力的に次の攻防が最後になるだろう。
「俺は次の一撃で決めにいく。だから、お前も全力で取りに来い!」
腰を落とし、右腕に力を溜める。
「……わかった。でも、これで終わっても負け押しみ言わないでくれよ!」
蹴ると同時、地が陥没。
俺は衝撃を置き去りにして飛び出した。
「死ぬんじゃねえぞっ!!」
「っ!?」
渾身の一撃。
空気を巻き込んで吹き飛ばし、暴風を起こして眼前のウォロフに襲いかかる。
目もまともに開けない状態。体毛を吹き荒らしたウォロフが躱し、さらに回転。
腹部に迫っていた俺の二の拳も躱して、勢いを乗せた回し蹴りを見舞う。
「オイラの勝ちだぁ!」
視界に迫る純白の一蹴。
不意を突かれた俺は反射的に退こうとする足に休めの指示を送り、真っ向から受け止めた。
頬に快音ととも当たる感触。掴み取った一発。
「ああ、よくやった」
感激に震えるウォロフに労いの言葉をかける。
「ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!」
その後。灯京の夜空に、勝利の雄叫びが響き渡った。
俺達が束の間の余韻に浸っていると、屋上階段は続く扉がバンッと叩きつけるように開く。
「最近頭上が喧しいと思ったら、人の会社の上で何してんだテメエら!!」
そこに現れたのは、筋骨隆々の肉体にはち切れそうな黒のスーツ姿の強面の男。
盾石のオッサンが鬼の形相で立っていた。
「あ、オッサン────今日はやけに張り切ってんなぁ」
駆けつけたオッサンはわざわざ武器庫から持ってきたのか。以前身に着けていた銀のガントレットを装備している。
「ウォロフ、お前は先に帰れ」
勢いでウォロフが退治されたら不味い。
俺は横に立つウォロフに逃走するよう言い聞かせる。
「え、ツルギは!?」
「俺はまだ、盾石のオッサンに言うことがあるからよ」
瞬間。上空から飛来した背にコウモリの羽を生やした女が、地上からウォロフを抱え、そのまま攫って行った。
あいつ、何処かで待機してやがったのか……タイミング良すぎだろ。
「逃がすかぁ!」
「もういいだろ」
俺は走り出そうとするオッサンの肩を掴み。その歩みを止める。
「放せ、剣! つか人の会社の屋上で化け物と遊んでんじゃねえ! 暴れたかったら野原行けッ!!」
「この辺に野原なんて、ねえだろ」
盾石のオッサンは逃げられた腹いせなのか、俺に怒りの矛先を向けた。
まあキレると思っていたから、無断で借りていたんだが。
そこで一度、俺は真面目な顔を作って言う。
「……それより、明日の朝すぐに出るよ」
向かうは光の賢者の根城があると言われる北の賢国の最高峰、エルブルズ山。
「ああ、そうか。そりゃよかった。オレの町から化け物二匹がいないと思うだけで嬉しいね」
そんな冷たいこと言うオッサンの肩を叩いて笑う。
「まあそう言うなって、今度の戦いも勝ってあいつらのこと少しは見直させてやるからよ」
早いとこ認めてもらわないと俺の立場が楽にならない。なので、これは他人事ながら切実な問題だった。
「ふっ化け物と握手でもしろってか? 冗談じゃねえ」
いかにも嫌そうに言うオッサンに俺は首を横に振る。
「いや。いつもみたいに偉そうにふんぞり返って待っててくれよ、な?」
「ああ、ならオレは札束の山を用意して待っててやる……だから、剣。死ぬんじゃねえぞ」
言いながら、盾石のオッサンは胸の前で拳を使って差し出す。
俺はそれに倣って拳を構えた。
「おう」
そして、拳を叩き合う。
俺達は開始の合図を済ませ、お互いに別れを告げた。