未知との遭遇。即、逃走。
世間の大半が昼休みやらに差し掛かる正午。
俺はモンスターバスター社近隣の喫茶店でアシュリー達に合流。会計を済ませ、早朝から続く緊張感から解放されて帰路に就く。
「ふぁぁ……ねむ」
「ツルギ、大丈夫か?」
大口で欠伸をする俺に、ウォロフが気を使って声をかける。
こんなことで心配されるとは思わず、人間姿のウォロフを見下ろすと、その瞳には純粋な興味と少しの不安が浮かぶ。
「おう、問題ない。ただの寝不足だ」
しかし、理由は単なる寝不足だ。俺は手短に応答する。
「そっか」
「今日の予定は随分前から知らされていたというのに、起床時間から逆算して睡眠時間を計算することもできないのですか、あなたは」
安心して、視線を前方に移したウォロフの左隣。
喫茶店から出て以降、降りそそぐ天光を恨めしそうに見上げていたアシュリーが釘を刺す。
「忙しすぎて確保できなかったんだから、しょうがねえだろ」
昨夜は夜中に呪幸村を出発。
灯京に到着し、鎧の男とのひと悶着を終え帰路についた頃には時計の針は下り始め。そこに来て、今日の長話と戦闘とまた長話。
少しだけ回復していた脳のリソースを使い切った俺は、現在まどろみに片足を突っ込みながら歩いていた。
「ところで、私達はいつまで剣さんと共に行動しなくてはいけないんでしょうか? 正直に言うと私は一刻も早く帰りたいのですが」
暫く静かに歩いていたと思ったら、アシュリーがしびれを切らした様子で疑問を投げかけてくる。
こいつ等ずっとついてくる気なのかと不振に思っていたが、俺が盾石のオッサンから人類の安全のため自分達の見張りを頼まれていたからか。
「ああ、帰りたかったら勝手に帰っていいんじゃねえか? 作戦の時に呼べばいいだろ」
ぶっちゃけそんなクソ真面目に従うのも馬鹿らしい。さらに言うなら面倒の一言に尽きる。
どうせ頼まずとも、ウォロフの面倒はアシュリーがやるのだから、押しつ……任せておけばいいんだし。
「ですが、剣さんは社長に私達を見張れと言われていたんでしょう?」
不真面目な俺の態度に納得がいかないのか、アシュリーは尚も食い下がる。
その目は、認識の差異でモンスターバスターの隊員と交戦なんて洒落にならない、とでも言いたげだ。
「お前らが何もしなきゃいい話だろ。流石に俺だって作戦中以外でガキのお守りなんて御免だよ」
三条とかいう賢者も言っていた通り、取引の不成立や裏切りは死。
俺と盾石のオッサンが止めなくとも、賢者と直接殺り合った二人なら、この国でのその発言の意味くらいは理解しているはずだ。過保護に見守るなんて馬鹿らしい。
「……そうですか、剣さんがそう言うなら。行きましょう、ウォロフ君」
釈然としない様子のアシュリーだが、俺の発言を聞き「自由行動の許可は貰いましたよ」と、踵を返してウォロフに手を差し出す。
と、そこで思い出した。
「あー待った。俺、ウォロフには話があるんだわ。だから、今日は俺ん家で預かるぞ」
これから、集めたピースの答え合わせをしなくてはならないのだった。
「話? オイラに」
「そうだ。男同士の大事な話をしなくちゃならない」
「オス同士の、だいじな話……!?」
分かりやすく浮かれるウォロフは、期待に震え瞳を輝かせる。
まったく単純明快な性格で助かる限りだな、バカは。
「うん、行くぞ! なんだかわかんないけど強さに必要そうだし!」
「待ってください」
しかし、保護者の方はご立腹らしく。俺の提案に異を唱える。
まあ過保護に扱ってたからな。危険性を考慮して、俺と二人ってのは不安なんだろう。
「その発言、聞き捨てなりませんね。あなたは私からモフリを奪おうというのですか?」
ん、なんて?
予想の斜め上から飛んできた疑念と聞きなれない単語を口から鳴らした目の前の変人に、俺は困惑して首を傾げる。
「何言ってるのかさっぱり分かんねえけど、奪うも何も来るのはウォロフの意思だろ」
意思がこちらに向きやすい言葉を選んだのは、否定しないが。
こっちも急ぎ、確認したいことがある。面倒なことはすっ飛ばして行きたい。
「そうだよ。ツルギも大事な話って言ってるし聞いておいた方が……」
「アン・モフナーの言葉など、私には聞こえません。二人とも少し黙ってください」
横暴な言葉を吐くアシュリーは、言葉に似合わず冷静な逆切れをする。
「この一ヶ月間、ウォロフ君のお世話を担当してきたのはこの私です。それなのに今更飼い主の権利を主張するなど許されていいと思っているんですか?」
「俺の行動以前に、お前の価値観が許されねえよ!」
「何を言うかと思えば、私はウォロフ君が暮らしやすいように食事はもちろん。ブラッシングや衣服の選択や管理に至るまで完璧に行っているとと自負しています。あなたにそれが出来ますか?」
「いや、する気もねえし、そういう事じゃなくてだな。もっとこう、根本的というか……」
「では、あなたにウォロフ君を飼う資格は最初から無かったという事です」
勝ち誇る変質者は当然のことを口にしながら、笑う。
うん。というか、飼い主の権利など元々存在すらしていないんだが?
不毛なやり取りの一部始終を眺めていたウォロフは、ゆっくりと息を溜め、十分に蓄える。
それは渾身の予兆。インパクトの前の予備動作。
そして膨らむ胸部を一気に空にせんと、爆音を吐き出した。
「オイラは、ペットじゃねえぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!」
「っ!?」
街路を行き交うまばらな視線がウォロフに集まる。
正論を叩きつけた狼少年は肩で息をし、それをただ一人、驚愕の表情で聞いていた半吸血鬼。
なんだこの状況……。
天を見上げた俺は、喉元まで出かけたその言葉を飲み込んだ。
「……どういうことですか?」
「こっちのセリフだよ!? どうして自分よりデカいオイラの事をペット扱いしてんだよ!」
「え、だって……ウォロフ君はもふもふなんですよ?」
アシュリーは真顔だ。
しかし、欠片もふざけていないその真摯な表情が、余計に狂気を浮き彫りにしている。
あ、──やばい人だ。
元々やばかったが、これ以上の対話は不可能と判断。
最善の対抗策が一つしかないと踏んだ俺はウォロフの腕を掴んで、わずかに後退した。
正体不明の危うさに憑りつかれたようなアシュリーは、よろよろと亡霊の様な足取りでにじり寄ってくる。
「ウォロフ、逃げるぞ!」
「え、逃げるのか!?」
「話も通じなけりゃ戦うわけにも行かないんだ。それしかねえっ!」
「待ってください! 私、悪いとこなら直しますからッ!? ウォロフ君、カムバァァァァァァァァァァック!!」
走り去る背中に、膝から崩れ落ちたアシュリーの声が木霊した。
構わず前進する俺と、後ろ髪を引かれる思いで隣を走るウォロフの訳の解らない罪悪感に憂う横顔。
その光景は、なにから何までカオスに満ち満ちて、少し溢れているくらい。
そんな、恐ろしい逃走劇は町の中心部に位置するモンスターバスター社の正面。昼下がりの大通りでの出来事であった。