袋のオオカミ退治、その三
次の仕事に移る前の一息。屋上へ続く階段から、コツコツと足音が近づき、仕方なく煙草へと伸ばしていた手を下げる。
一服の誘惑を胸ポケットに追い返し、俺は大穴の空いた壁とは真逆の方向に振り返った。
「近くにいて安心したぜ? 声が聞こえてなかったらあの店員を追いかける羽目になってた」
階段を下りきったアシュリーは、すでに人狼形態のウォロフを抱きかかえて姿を現す。
抱えられ手足を丸めたウォロフは怯えた子犬のように大人しい。図体は三人の中で一番デカいのだが。
「それは、そうでしょう。近くに居なくては血の操作の正確性が鈍りますから」
「そんな心配しなくても、上手くいったろ?」
このくらいのピンチ、俺は何度も乗り切ってきた。今更、焦るのが阿保らしい。
「それは、私の預けた策のお陰では?」
完勝ムードに都合の悪いノイズが混じる。
人はそれを正論パンチとも言う。
「まあまあ、要はチームの勝利は全員の勝利ってことだろ」
「人の手柄を搾取する同僚と働くなんて嫌すぎますね」
「ツルギ……お礼はちゃんと言った方がいいぞ?」
呆れ果てたアシュリーとその豊な双丘の圧迫から解放されたウォロフが気まずそうにこちらを窺う。
「わーったよ! 礼を言うぜ、お前の血液で全身ベトベトにされたこと以外はな」
「いえいえ、そもそも剣さんのタフさあっての作戦ですからお礼なんて、一言で結構です」
アシュリーは言葉に満足したのか。黙っていれば、端正な美顔に挑発的な笑みを浮かべる。
ていうかそれ、しっかり請求してんだよなぁ。
「っと、そろそろ敵さんも仕返ししたい気分みたいだな?」
棚向こう側で、緩慢に立ち上がる人狼達が見えた。その数は四人。最初の人数の半分ほど。
「うぇっ? オイラはまだ臭さがこびり付いてるよ」
鼻に指を押し付けたウォロフが情けない声で言う。
まあ、こいつも人狼だしこればかりは仕方ないか。
俺はこの状況作り出した者として、階段の奥。エスカレーターと壁に挟まれた狭い空間を指差す。
「んじゃ端に居ろよ。人狼四人なんて俺とアシュリーだけでお釣りがくる」
「あ、私は人狼を攻撃は出来ませんので、拘束だけお手伝いしますね」
同じく、隣のアシュリーが気の抜けた声で補足する。
「なるほど、さっきの作戦で血を使いすぎたか」
「いえ、血液の残量が問題ではなく、プライドの問題というか意思の問題です」
ん?
訳の分からない発言。会話に暗雲が立ち込める。
朝の天気予報は見てないが、ここに関しては大荒れの予感がした。
「へえ……で、そいつはどんな訳でだよ?」
嫌な予感を胸に抱え。俺はおそらく、十中八九くだらない理由を聞く。
「訳というか、逆にあの幸福を具現化したようなモフモフな毛並みを傷つけられる理由が、私には理解出来ません」
瞬きの繰り返し。目の前の半吸血鬼に呆れた視線を送る。
「おい、ケモ狂い。だったら、お前は何のためにここまで来たんだ?」
何なんだ、こいつら……やる気も緊張感も皆無じゃねえか、クソガキどもがッ!
だから、嫌なんだよ! 身勝手なガキとの団体行動なんてよ!
「私達も来たくて来たんじゃありません。人目のある外からでは私たちの”真の力”は使用できないから仕方なく来てあげたんです」
微妙に上からな物言いに違和感を覚えつつ、俺はやる気のないアシュリーに歩み寄り。
肩に手を置いて、指示を告げる。
「もういい。わかった。俺が戦うから、アシュリーは外の民間人に被害が及ばないようにしとけ」
「仕方ありませんね」
「そんな必要あるかは疑問だけどな。それから……」
話の途中。棚の合間を縫って影が忍び寄り、空気の読めない人狼が宙を舞う。
銃は効かないと諦め、肉弾戦に打って出たようだった。
度胸は認める。しかし、それは何もかもが不足した特攻。
合格点にはほど遠い。
「返事は、はい。だ!!」
俺の首を狙い、飛びついてきた人狼の無防備な腹に鉄拳を見舞う。
「ワオォッ!?」
堪える手段のない空中での一撃。拳から離れた人狼は、商品棚を盛大に巻き込んで後方に吹っ飛ぶ。
続けざまに次々と襲い来る人狼の爪を避け。カウンターで応戦。続けて、三発の拳を振り抜く。
その度、人狼達が棚をなぎ倒して室内は滅茶苦茶な景色に様変わりした。
静寂の後。のびた人狼をアシュリーが血の魔法で拘束。
やはりというか、当然。救助と比べると、戦闘は実にあっさりと幕を閉じた。
俺はドミノ倒しになった棚の上で血結晶の拘束で張り付けられた人狼達を確認。なんとか被害ゼロで解決した戦闘を振り返って、安堵の溜息を吐く。
「じゃ、帰るか」
周囲を見渡し、呟く。
「事後処理などはしなくても?」
「ああ、しなくて良いだろ。そんなんオッサン達が後でやるから」
即答する。こんなとこには居たくもないし、一刻も早く帰りたいからだ。
あと起きたらまず紗世に到着の連絡をするようにと、きつく言われている。
「うん、オイラもここ臭いから早く出たい……」
「そうですね。では人目に映らないよう裏口から出ましょうか」
アシュリーとウォロフはゆっくりした足取りで、この建物で唯一の階を行き来できるエスカレーターに足を預ける。
なんとか被害者無しで完了したし、チームワークの良し悪しは初日ってことで水に流すか。
緩い空気が室内を満たし、三人ともが緊張の糸を緩む。
俺は首に手をまわし首を鳴らしながら、脱力した顔で何気なしに先行く二人をぼけーっと視線に映した。
エスカレーターに乗り。視線を落として、緊迫した表情を張り付けたアシュリーとウォロフを。
「?」
次の瞬間。
二人の姿は構える間もなく巨大な影に掴まれ、階段横の壁に叩きつけられた。
「この裏切りモンがァァァァァァァ!!」
「ウッ!?」
「ぐはッ!?」
突如現れた大柄な人狼は赤いスカーフを首に巻き付けて、顔面にひょっとこ口のような形状の不細工な鉄マスクをしている。
途方もない勢いで力任せの突進。壁にめり込んだウォロフを助けようとアシュリーが口元を動かす。
「血の呪文――――」
「ヲォォォォォォォォォォォォォォン!!」
が、間に合わない。
滑り込んだ大柄な人狼の遠吠えは、圧縮された狭い口元から音の衝撃破を生んだ。
間近で受けたアシュリーは俺の横を抜け、大穴を通り越して隣のオフィスビルまで吹き飛ばされる。
「ウォロフ、テメエがボスのガキだったから我儘を許してやっていた。だが、これはどういう了見だ!!」
赤スカーフの人狼は怒面を作り、壁に押し込んだウォロフに詰め寄った。
どうやらウォロフとは浅からぬ関係らしい。首のスカーフから推察して、以前見た黄色スカーフと同じ、群れのリーダーかなんかだろう。
「敵とオレ達の計画を潰して、人間と胡散臭い吸血鬼なんかとへらへらしやがってッ! 人狼は強者に従うのが掟だ! 黙ってオレに従え!!」
大柄の人狼の腕に圧迫されるウォロフの首が、ミシミシと嫌な音を立てる。
怒りに膨張した腕は、灰色の毛並みの上からでも分かる剛腕。圧し折るのは容易そうだ。
「ぐぎぎぎ……い、いやだ。オイラはあんな奴には、キョウダイ達を使い捨てにする奴なんかに従いたくない!」
渾身の反撃。ウォロフは反逆の意思を瞳に滾らせ、自分の首へのびる腕に噛みつく。
大柄な人狼は怒りに顔を歪める。しかし、残念ながらそれは敵の怒りを買っただけの一撃にしかならない。
「テメエッ! だったら分からしてやる。どっちが上か、もう一度な!」
だが、その言葉と反逆に燃える瞳は、俺が救うに足る証明に至った。
ウォロフへ下ろそうと振り上げた手首を掴み。動きを止める。
勢いが失せ、微動だにしない腕に目を剝いた大柄の人狼が、こちらに熱い視線を送り睨みつけた。
「放せ人間。殺すぞ……!」
「いやぁ兄弟喧嘩中に悪いんだけどよ。そいつは今、俺のチームメイトなんだよな」
俺は向けられ慣れた視線を受け流し、見上げたデカブツに選手交代を告げる。
「力の差を判らせたいって言うならよぉ。先ずは俺を倒してからにしてくれよ」