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忘れ物の催促

新月が輝く夜空の下。

素通りしようとした我が家の前で、見慣れた人影を見つける。


月明かりに照らされた後ろ姿は、幻想的でやけに儚げだ。


「もしかして、ずっとここで待ってたのか?」


「そりゃあ、もちろん」


振り返った紗世さよの横顔は、いつもより少しだけ元気がない。


「家の中に居りゃあいいのに、別れの挨拶ならさっき言ったろ」


「今夜は寝れそうにないから……それに忘れものもあるし」


「忘れ物? 財布もケータイも持ってるし他に持っていかなきゃならない物なんて無いぞ」


「剣って肝心な時に鈍いよね~」


ジト目になった紗世は、責めるような声で指摘しながら、後ろ手に何かを隠す。


「わるかったな。それで? 忘れ物ってなんなんだよ」


「教えてあげません。渡してほしかったら当ててください」


「言っとくけど、俺も暇じゃねえんだぞ……まあいいや、ちょっと待てよ」


今日の行動を思い返すことに没頭。

頭だけでなく手も動かし、考えながら自分のポケットに手当たり次第に突っ込んでいく。

しかし、案の定。心当たりにはたどり着かない。


ジャケットの胸ポケットに煙草とライター。左薬指のリングもしっかりとそこにある。


むしろ、背中の担いだ刀が増えたくらい。


うーん。まっったく、わからん!


俺は一体なにを忘れてるんだ?

もういっそ自分のポケットの中よりも老いを疑った方がいいのだろうか。


「……降参だ。さっぱりわかんねえ」


顔の横に両手を挙げ、負けを認める。


「そっか、つるぎもまだまだだね」


「これ以上、考えても無駄そうだからな」


「しょうがないなぁ剣は、じゃあこっちに来て」


はあ、と溜息を吐く紗世。


「近づけばいいのか?」


俺は言われた通りに最愛の人に接近し、お互いの距離が目と鼻の先に迫る。

周囲に人が居れば、イチャつく恋人同士にしか見えないだろう。


「うん。そしたらわたしの後ろの手から取っていいよ」


「また回りくどいことを……」


回り込ませた手で包み込むような体勢になった腕の中。紗世は突然を背伸びをした────。


元より無いに等しい距離。

咄嗟に近づいた薄桃色の唇は容易く俺の頬に触れる。


「ほら、忘れもの」


微笑む紗世に、俺は頬に手を当て尋ねる。


「いやよくわからんけど、一つだけ言うわ。時間を返せっ……」


「だって、さっきはお母さんが居たから……それにこの前は剣からしてくれたじゃんっ!」


何故か、ふくれっ面でそっぽを向かれてしまう。

この状況、正しさはこちらにある。


だから、このまま出発することに俺の良心は一ミリたりとも痛まない。

目の前で、最愛の人の頬が木の実を頬張りすぎたリスのみたいになっていても、だ。


……でも、再会が曇った顔だったら困るんだよなぁ、ほんと。


「そんな顔すんなって……はあ、済んだら本当に行くからな?」


聞きつけるや否や振り向く紗世の晴れた顔色。

俺は仕方なく俯き。上目遣いの紗世と見つめ合う。


紗世の期待に満ちた目は、俺の瞳の奥の感情を覗き込むように真っすぐに向けられている。

今更こんなことで照れること自体恥ずかしい年ごろだというのに、律儀に順序立てたばかりに顔が熱い。


紗世が目を閉じる。

その合図に、俺はあっという間に紗世との距離を消失させ、唇を重ねた。


謎の沈黙。紗世は赤熱した顔を隠したまま、徐ろに呟く。


「……えへへ、こんなに改まっちゃうとなんか照れるね……」


「誰が照れるか、こんくらいで!」


俺は思わず、唾を飛ばす。

こちらの表情を指の間から盗み見ている紗世は、ご満悦そうに笑っている。


「わわ!? ちょっと!」


仕返しに紗世の髪をくしゃくしゃにして、その場で踵を返し、灯京への道を走り出す。


「あ、剣! いってらっしゃーい!!」


「おう!」


後ろ姿で突き上げた拳。

聞こえた声に俺達の平穏を掴み取ることを約束し、速度は想いと共に加速した。




木々の生い茂る山道を下り、背の低い建物と殺風景な街並みを走ること数時間。

景色は見上げる建物に囲まれたコンクリートジャングルに様変わりしていく。


灯京の県境を越えたころには、もう深夜を回っていた。


「遅くなっちまったけど、結果的には静かでいいか」


しばらく振りの街灯の明かりに照らされた交差点。

辺り一面静かな街路にぽつりと立ち、取り出した煙草に火をつける。


もう一ヶ月も前に買った物だが、紗世のそばでは吸わないと決めているので、玄関に掛けた上着のポケットに放置したままだった。


出発の時に再会したときは、少し得をした気分になった。


「さて、帰って寝るか」


一息ついたところで、もう数時間後に迫った約束の為。早めの就寝と行きたい。


こちらが投げた無茶を考えると明日は何をさせられるかわかったもんじゃない。睡眠は取るに越したことはないだろう。


俺は短くなった吸い殻を手放し、足の裏で消化した。


ふと見上げた空には雲に半身浴する月。


それに照らされた人影が腰元に何かを抱えて飛んでいる。いや、飛び降りていた。


その影は目の前で赤信号につかまった自動車の車上に遠目では確認できなかった異形の右手から墜落する。


途方もない衝撃音と金属のひしゃげる音。

続くのは男の悲鳴。座席からなんとか逃げ出すことに成功していた運転手が闇へと消えていく。


数十秒後、爆発した自動車に目を細める俺の前方。

爆風に紛れて一人の男が、女性を抱えたまま着地した。


「おい、何見てんだおっさん。殺すぞ?」


立ち上がった男は、こちらに気づくなり悪態をつく。


「初対面の挨拶の中では最低ランク。お前、友達減るぞ? あ、すでにいないのか」


「おい、この腕が見えるか? 本気でヤル気なら死ぬ覚悟はしといた方がいいぞ」


威嚇で突き出した男の左腕は、一見しただけで黒く染まり、人間の物ではないことが解る。


それ故か、抱えられた女性は恐怖に押し潰されている。化け物の腕の中では、声を上げることすらできそうにない。


「落ち着け。俺も面倒ごとは御免だよ」


「ふん。今度から言葉には注意して生きていくんだなァ!」


……今日も早く帰るのは無理そうだな。


興味を無くしたように立ち去ろうと歩きだす背中に、俺は溜息を飛ばす。


「あ~ただし、その子は置いて行ってくれねえか。お前とは別れたそうだぞ?」


俺の優しい忠告。


「口には気をつけろと言ったぞ……おれは?」


しかし、一方的な優しさは男には届かなかったらしく。

振り返った男の瞳は敵意に満たされ、女性は先ほどよりもひどく怯えている。


だから、宣告する。これから彼女に起こる出来事を。


「そんな言葉に返事した覚えはねえ……安心しなお嬢さん。この俺が、そのむさい男の腕からすぐに解放する」


先ほどまで感じていた優しい静けさは、無言の圧に変わり果て、妙に懐かしい気分。


そうだ。そうだった。


平和ボケした斉藤家での一ヶ月間で忘れかけていた。

この町での日常は、厄介事が絶えないのだった。

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