帰るべき場所へ、いってきます。
家に戻り朝食を片付けた後、いつものようにテレビのニュースに目を向ける。
画面の中には全国で起きた微笑ましい出来事や、灯京で退治された化け物の情報が次々に伝えられていた。
概ね、いつも通りの光景。
今はといえば、ゆるい音楽とともに子猫がじゃれあっている映像が流れ。目を輝かせた紗世が黄色い声を上げながら画面に釘付けになっていた。
これをニュース番組で流す意味はよく解らない。
かわいいは全世界に知らせるべき事だということなのだろうか?
それはともかく、今日も平和な世界に安心する。
同時に俺は少しの不信感を覚え始めてもいた。
「どうしたの剣?」
俺のしかめ面を見た隣の紗世が、心配して声をかける。
「いやぁ、世界は平和だなと思ってな」
月並みな感想。面白味の欠片もない。
「え、わたしの知るかぎりそれって良いことだと思うんだけど?」
「ああ、もちろん良いことだ」
「……うん、そうだよね」
それが見たままの状況だったら、だけどな。
賢者ゴルドール・リーマンとの戦いの前夜。
俺は、それが正義の行動である証明のため。
奴が人間を吸血鬼化し生物爆弾として、世界に放とうと目論む計画の証拠を盾石のオッサンに届けておいた。
俺の交友関係で、灯京の人間に一番顔が利くのは間違いなくあのオッサンだ。
我ながら、出来る限りのパスを出したと思っている。
それなのに……それを踏まえても現状は上手く行きすぎている気がしてしまう。
ルーマニアに身を置いていた風の賢者が居なくなって一ヶ月。
俺は毎朝欠かさずニュースに目を通しているが、世界はその話題に触れる気配すらない。
この世界は五人の賢者によって、表向きは争いの抑制と平和の共生を掲げられているらしい。
が、実際のところは違う。
世界を救った際、人類が目にしたのは小惑星を吹き飛ばした魔法という奇跡の脅威的な威力と絶望的な恐怖。
その際、手に入れた救世主という立場。
加えて力と恐れを利用し、賢者たちは五か国の権力者に上り詰め、世界を裏側から支配した。
所詮、五人が四人になった所で、その支配力は衰えもしなければ、賢者殺しなどという大罪が当人たちの耳に入らぬはずもない。
ならばなぜ?
世界はこんなにも穏やかで、賢者たちは何も仕掛けて来ないのか?
奴らが本気で目を光らせれば、この世の出来事など、朝食を取りながら鼻唄交じりにでも知り尽くせると思うのだが……
「でも最近、ニュース見ながらずっと難しい顔してるよね?」
紗世が、”良いこと“という言葉とは裏腹に、曇った俺の顔を覗き込んでくる。
「そうなんだよ……明日からまた灯京に帰らないといけないと思うと憂鬱でな」
「それを本気で言ってるなら、わたしは剣を行かせてあげないけど、いいのかな?」
「あー行きたいなー今すぐでも灯京の我が家に帰りたいなー」
「それはそれで、わたしが憂鬱になるんだけど……」
「まあ、冗談は置いといて──」
前置きをして、俺は複雑そうな顔をする最愛の人の頭に手を預ける。
「心配すんなって? 少しばかり不安な要素はあるが、今のところ悪いことは起きちゃいねえから」
「……そっか。なら、もう心配するのはやめておくね」
「お、やけに素直だな」
いつもなら、次の瞬間には「危ないことはだめ!」とか言い出しそうなのに。
「だって、遠くで心配するくらいなら、わたしもまた灯京に行けるよう早く強くなりたいもん」
「紗世ならすぐなれるだろ。前の最終試験だってもう少しで突破できそうだったしな」
「うん、だから待ってて。すぐに追いついて剣のこと助けてあげるからね!」
紗世の笑顔が咲く。
目の前の満面の笑みに、俺は複雑な思いで微笑を返す。
「まあ期待して待ってるよ。急がずゆっくりやってくれな」
来てほしくないとは、言えない。
紗世の涙と共に告げられた想いを知ってしまった。今の俺には。
「うん、大船を乗っ取った気分でいてよ!」
「そんな海賊気分で人を待つのは嫌だ」
台無しな台詞をきっかけにして、俺の長い休暇気分は終わりを告げたのだった。
その後は、ここ数か月ほったらかしていた少し視界に被った鬱陶しい髪を強引に切り揃えられ、出発の準備を済ました。
盾石のオッサンに告げられた約束の日は、もうすぐそこに迫っている。
「本当は灯京に行ったときに切ってあげたかったけど、あっという間だったからね」
「ああ、夏も近づいてきたし助かった」
おかげで戦闘中、眼前を横切る影の回数は大幅に減りそうだ。
荷物を肩に掛け、準備を済ませて玄関を出る。
玄関先には紗世とその母の可与さんが見送りに来てくれていた。
お義父さんはいつも通り仕事場で作業中らしい。
実は個人的な頼みごともしている身なので、それに関しては、それほど残念には思っていなかったりする。
「剣君。無理はせず、身体には気を付けて頂戴ね」
心配そうに見つめるお義母さん。
その気持ちだけで、決意が一段と引き締まる。
「お義母さんこそ、身体に気を付けてください。それと、紗世をよろしくお願いします」
「それは頼まれなくとも大丈夫よ。私の知る限りの全てを叩き込んであげるから」
監視と安全を頼んだつもりだったが、それだけ本気なら監視のことは気にしなくとも良さそうだ。
安定の方は、三割り増しで心配になってしまったけれど。
「あはは……そっちの方は容赦してやって下さい」
「やめろとは、言わないのね?」
覚悟を問う視線。
俺は目を逸らさず、真っ向から受け止める。
「言えませんよ……紗世が望むなら」
視線が通い、ゆっくりと頷いたお義母さんから無言の承認。
「二人とも、まるでわたしがワガママみたいに言うなぁ」
お義母さん隣、自分抜きで交わされる言葉を聞いていた紗世は、不機嫌を貼り付けた顔で口をへの字にして、不満を言う。
「それも、否定はしないぞ?」
「ここは否定するところでしょ!!」
「くくっ、あっはっはっはっは!」
ちっとも怖くない紗世の憤慨した姿に、思わず吹きだてしまう。
こんな会話も、暫くお預けだ。
俺が一頻り笑っているのを、困った顔で眺めていた紗世は不意に優しい目をする。
「……まあいいや。絶対、無事で待っててね?」
すでに湿っていた瞳は、夕陽を反射して一際輝きを増す。
そんな顔するなって。俺はお前の笑顔が一番好きなんだ。
だから、俺は言わなくてはならない。
彼女が待っている言葉を。真実にするべき言葉を。
「ああ、約束だ。絶対、向こうで待ってるよ」
「……いってらっしゃい!」
「いってきます!」
紗世の絞り出すような声。それに目一杯の元気を乗せて手を振った。
紗世とお義母さん。二人に背を向け、俺は夕陽に見下ろされた木々のトンネルへ一歩を踏み出した。
「待ってくれ、剣君!」
暖かな出送りの空気を塗りかえる焦燥の声を連れ、紗世の父親。
斉藤幸作さんは、息を切らし急ぎ足で現れた。