〜プロローグ〜
四章開幕!!
前回の三章は過去編なので、実質ここからが二章から続く物語となっておりますので、よろしくお願いします!!
春が終わり、汗ばむ蒸し暑さと雨の香りが近づく灰色の空の下。
呪幸村にある我が家の裏手に広がる森林を抜けた先、一面の草原が広がる丘の切れ目。
切り立った崖際に座した俺は、目の前に突き立てられた長方形の石に話しかける。
「ちょっと熱くなってきたよな。次期に梅雨になるけど、今も飲んどいてくれ」
家から持ってきていた桶から柄杓に水を汲み。蒸し暑さで熱に参っているであろう目の前の石に浴びせる。
柄杓をひっくり返し乾いた表面に注ぐ。
水が石を濡らし、表面を色濃くして潤いが広がっていく。
その様子は目にも涼やかで、こっちまで納涼した気分になる。
「最近会いに来れなくて悪かったな。さや」
石には俺が刻んだ名。
死白さやという母の姓が記されている。
「来るの久しぶりなのに、ちっとも汚れてないな」
俺が会いに来たのは五年ぶりだというのに、周囲の草は短く切り揃えられ、墓には苔の一つも生えていない。
俺がいない間も、おそらく紗世が手入れをしていてくれたのだろう。
「良い奴だろ? あれが、俺が幸せにしたい人なんだ」
全く良くできた、出来すぎた女だ。
我ながら人との運命には恵まれていない方だと思う。
しかし、それも紗世に出会うためのしわ寄せなのだと言うなら、人生の気まぐれさにも目を摘むってやらないこともない。
それくらいには、今の俺は幸せだ。
目を閉じ手を合わせ、祈る。
約五年ぶりとなった無言の近況報告をしていく内に、時間は静かに過ぎて行った。
報告も終わり。流れる雲に想いを馳せ、ここまでの闘いの成果を再確認する。
「まだ一人目だけど……やっとここまで来たぜ」
あの戦いから一ヶ月。
俺達の自由の為、そして共に戦ったアシュリーの父親の仇を討つ為。風の賢者ゴルドール・リーマンを灰にし、俺は過去からの因縁の糸を一つ断ち断ち切ることに成功した。
これで紗世との平穏を勝ち取るため、断ち切る因縁は残り四つ。
何年かかろうとも、絶対に成し遂げてみせる……!
紗世との穏やかな日々を謳歌する未来を。
……あの日、さやに言われた通り世界は広かった。
この世に一人しかいないと思っていた。
自分の様に能力に囚われた人生を送る恩人と出会うような偶然も、確かにあった。
自由を切り開く権利を持てるのは強者だけ……弱者には抗う権利すら与えられはしない。
今なら、この呪われた力を持っていたことにも感謝してもいい。
おかげで紗世の為に戦える。それだけが今の俺にある存在理由。
握りしめる拳に決意を確かめ、眼下を覆う緑の絨毯が風に揺れる様を眺める
すると、ゆっくりと近づいてきていた気配が背後で立ち止まった。
「ここに居たんだ。剣、朝ごはんできたよ」
聞き慣れた落ち着きのある声に呼びかけられ、振り返る。
立っていたのは、小柄な同じ歳の女性。
風に揺れている長い髪は明るく艶やかで、本能的に掌を潜らせ、泳がせたい衝動を呼び起こさせ。
花柄のワンピースを着た姿は、童顔な顔の際もあり実年齢より少し幼く見える。
「今行く。……じゃあまた来るよ、今度は四つの土産話を持って」
立ち上がり、さやにつかの間の別れを告げ。
すぐに追いついた紗世の隣を並び歩く。
「何話してたの?」
「あーぶっ飛ばした賢者の話とか天気の話とか……紗世の話とか、だな」
「……例えば?」
それを聞いた紗世は、眉をしかめ露骨に疑いの眼差しを向けてくる。余計なことは言うなと。
まあ両親の信頼は出来ることなら得ておきたいものだ、その視線は理解できる。
「安全なとこで待ってろって何度言っても聞いてくれないおてんばな奴だって言っといたよ」
俺は、事実を含んだ嘘でからかった。
「それわたしの印象最悪じゃない!? 今から弁解させてよ!」
間に受け、踵を返そうとする紗世の肩を押さえて前を向かせる。
「大丈夫だって、ちゃんと墓の掃除をしててくれたことも見てただろうし。ありがとな」
「う、うん。でも、それは剣に毎週ついて行ってたから、なぜか大切な気がしてたんだ。……理由は忘れてたけど、ね」
仕返しなのか、最後の言葉には少々とげが含まれている。
戦いの為、故郷に残して旅だったことは、やはりというかなんというか。まだ根に持たれていた。
「……まあな」
「そうそう。誰かさんたちに寝てるうちに記憶を取られちゃったからね~あはは~」
わざとらしく笑う紗世の態度に、俺は嫌な予感が働く。
「えっと、紗世さん。それ、しばらく言うつもりですかね?」
「え~そりゃあ、あと一年くらいは言っていこうかなって思ってるよ?」
「あーそっすか」
一年もこすられんのか、その話。
安全のためとはいえ、紗世の想いを踏みにじる真似をしたのは承知の上だけど……
根に持つと、長いんだよなぁ。
「え、もしかしてダメだった? わたし五年間も寂しいとさえ気づけない時間を一人で過ごしてたから、ちょっとだけ気にしちゃってたんだけど……ひょっとしてダメだった?」
「いやー駄目じゃない駄目じゃない! もう、好きなだけ言ってくれ……」
熱が吹き返しそうになる口調を、両手振って押し止める。
俺達の距離感で互いの想いを再確認し、我が家へと歩く帰路の途中。
隣から手の甲をノックされ、宙を漂う手を摑まえる。
掌から温もりが伝わる。
それだけで、得も言われぬ幸福で満たされていく。
俺はこれからも紗世には頭が上がらないと確信するしかなかった。