されど、平穏は微笑まない。
「そういえば孫の顔は、いつ頃見れるのかしら?」
和やかな雰囲気で食卓を囲む夕食時。斜め前に座るお義母さんが爆弾を投下した。
「ブフォッ!?」
そんな事態に俺は口の含んだ水を吹き出し、
「ちょっとお母さん!? 食事中になに言い出してるの!」
隣の紗世は母の発言に声を上げた。
「あら、そんなに不味かったかしら。あなた達も恋仲になってそろそろ五年経つのだから籍くらいは入れる予定はないのかしら? ねえ、剣君」
「……」
「話題の切り込みが鋭利すぎるから剣が固まっちゃったじゃん……」
言葉の選択に詰まる俺を見かね、紗世が代わりに返事をした。
すると、お義母さんは直接尋問を諦め。隣に座る紗世の父親で俺のお義父さん。
斉藤幸作に視線を向ける。
「そんなことを言われても、私たちとしては死ぬ前に孫の顔が見たいのよ。ねえ、貴方」
「お母さん達、そこまで言うほど年じゃないでしょ」
「えっと、僕はよく解らないが……」
言いかけたお義父さんの気まずそうに泳いだ視線が、向かいの俺とぶつかる。
それだけでお互いの気まずさが重なり。一瞬で気持ちがつながった気がした。
この家で俺以外の唯一の男であり父親であるこの人なら、迂闊な答えはできないこの状況から俺を助けてくれるはず。
いや、助けてください!
お義父さんは、もう一度お義母さんに向き直り朗らかな笑顔を作る。
一見、気弱そうでも頼りになるのはこの家の主であるお義父さんだって信じてましたよ俺は。
「可与さんが望むならそうなんじゃないかな」
こ、この裏切り者ぉぉぉぉぉぉッ!
そんな心の叫びから数十分後。
斉藤家から庭を挟んで隣に建てられた二人の家へ帰った。
暖かい色の照明が照らす寝室で、先ほどの雰囲気を引きずりながら溜息を吐く。
「あー気まずかった……」
「あはは、急にあんな話題を投げられたから対処に困ったよね~」
「全くだ……」
俺たちの関係性が家族から恋人に変わっても、誰かが決めた枠組みに入らなきゃ行けないわけでもないと思うんだけどなぁ。
「あ、あのさ」
ベットに腰かけた俺の隣。
正座した紗世が、太ももの上を何度も摩りながら俺の顔よりわずかに上を見つめて話を切り出す。
突然、どうしたのだろう?
トイレならさっき行ったばかりだというのに。
「でも、もし……もしもだよ。わたしと結婚するとしたら剣はどう?」
ん? どういうことだ。
質問の意図が分らず、俺は首をかしげる。
「それは嬉しいとか悲しいとかいう話か?」
「ううん。というよりはしたいか、したくないかの話……どう、かな?」
どうと聞かれても、したとして今と何か変わったりするもんなのか?
そもそも結婚というものへの理解が足りない俺には判断材料が少なすぎる。
「紗世は、したいのか?」
なので、自問自答では埒が明かない選択肢を確定するため、一番大切なことを聞く。
「当たり前とか常識なんてわたし達には関係ないってことはわかってるんだよ。でも、もし剣がいいなら、わたしはしてみたいかな。なんて……」
そう言って、紗世はぎこちなく笑った。
「確かに、どうでもいいよな。そんなこと」
する意味とか利点とか損とか、そんなことは結局一つのモノの前では意味を持たない戯言だ。
たった一つの信念だけが、今の俺を動かす行動原理だから。
「う、うん。そうだよね! そんなことしなくてもわたし達はずっと一緒だもんねっ!」
「いや、そうじゃなくてさ」
「……ん?」
「紗世がしたいって思うなら、しない理由なんてないだろ」
俺はお前の笑顔を、幸せを守るために共に居るんだから。
「え、じゃあわたしとしてくれるの……結婚」
「さすがに今すぐって訳には行かないけどな。準備ができたら今度は俺から言わせてくれよ? そのセリフ」
むしろ男としては先に言われたのが悔やまれるレベルだ。
「んぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
俺の返答に不備はなかったように思ったが、言い終わると彼女が壊れていた。
両手を胸の前で握りしめ、口から振動音のようなものを出しながら震えている。
「おい、どうした?」
と、声を掛けた次の瞬間。
飛びついて来た彼女の腕が、俺の身体を包囲した。
「剣、大好きぃぃ!」
「コラ、急に抱きつくんじゃねえっ!」
「うぅぅぅん。ヤダヤダ離れたくない~だから今夜は寝かさないね!」
「俺、明日も朝早いんですけど……」
「却下します」
一緒だけ真顔になる紗世。
その態度で彼女の発言の本気度が分ってしまった。
「せめて、一時間でもいいから眠らせてくれ……」
「う~ん。それは明日のお昼までに検討しておきますっ」
「期限を守る気が、最初から無いだと……っ!?」
「もういいじゃん。そんなこと、若いんだからなんとかなるって!」
「そういう問題じゃねえぇ! ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
そのまま深みへ引きずり込まれた俺は、予定起床時間の三十分前まで眠りにつくことを許されなかった。
翌日、寝不足の瞼を引き上げ早朝のトレーニング前の新聞配達をしながら走る。
こんな仕事ができるのも紗世やお義母さんが村の人たちに少しづつ俺のことを話して、誤解を解いてくれたおかげだ。
なので、出来る限り返せるものは返さなくては。
今は別の目標もできたばかりだ。張り切らないほうがどうしてる。
そんな無駄な思考の寄り道をしながら黙々と新聞を投函していく。
と、前方に見慣れない黒いローブを着た男が立っていた。
店すら開店していないこの時間に隣町から客人など来るだろうか?
俺は警戒しつつ男に話しかける。
「おいアンタ。この村には観光スポットなんてないんだが……迷子か何かか?」
話しかけられた男は、物珍しそうに俺の顔を前のめりな眼球で凝視する。
「武御雷……見つけたぞ」
その名を呼ばれただけで、目の前に立つ男は敵なのだと分かる。
なら俺がやることは一つだ。
俺たちの幸せの脅威になり得るものを、このまま放っておくわけには行かないからな。