新たな日常。その六
晴れた日の午後。居間でくつろいでいた俺の耳に突然、池が爆発したような騒音が届く。
「また駄目だったのか……」
目の前で視界に流れるニュース番組を切って、音の正体を確かめるため立ち上がる。
声のする方に進んで、縁側から庭を眺めると……
そこにはずぶ濡れになった紗世が、空になったビニールプールの底に手を当てぷるぷると憤りで全身を奮わせている。
それを紗世の背後で眺めていた可与さんがため息をつく。
「紗世、さっきも言ったでしょう。魔力を押し出すのではなく、水面に振るわせるように伝えるの」
親切心での助言だろうが、当の本人は言われた言葉に耳を貸さず弱音を吐く。
「もう無理だよぉぉ!」
まあ無理もないだろう。
ここ最近は可与さんが呪い(まじない)の仕事がある日は朝から、入っていない日は午後から付きっきりで魔力操作の特訓をしている。
「弱音を吐かないの。こんな事も出来なくては自分の身も……あなたに触れる人々全てをも傷つけかねないのよ」
「っ!?」
「ちょっと可与さん、流石に言いすぎですよ。紗世だって努力はしています」
元々、自分の特性を嫌っている紗世にとって、それと向き合うだけでも相当なものだろう。
「そんな言い訳で取り返しのつかないことになった時、母として私は責任を取らなければいけませんが。それでもこの子を甘やかす方が良いとでも?」
厳しい様だが、可与さんの言葉にも一理ある。
俺も今でこそ普通に生活できているけれど、力に慣れない頃は平気で触れるもの全て傷つけていた。
でも、自分がそうだからって理由で────。
目の前で苦しそうにしてる家族を見捨てるほど、俺は厳しくはなれない。
「そんなの俺が守れば済む話じゃないですか? 今までだって、それでなんとかなってきましたし」
納得、まではしてくれていないけれど、可与さんはため息ついて表情を和らげる。
「……分かりました。今日は剣君に免じて終わりにしましょう。ただし、次からはそんな言い訳で逃げられると思わないように」
可与さんの背中を見送り。俺は紗世の肩に手を置いて慰めの言葉をかける。
「まあ気にすんなよ。最初からうまくなんて出来っこないんだし、少しずつ頑張れば可与さんだって認めてくれるさ。な」
「う、うん。そうだよね。これはわたしが誰かを傷つけないための訓練でもあるんだし……頑張らないとだよね」
紗世の疲れた笑顔に『そんな必要はない』と言ってやりたい気持ちを抑える。
紗世が将来、結婚したりした時に家族と抱き合う事も出来ないのはあまりにも酷だ。
それは俺みたいな奴が無責任に言っていい言葉ではない。
「そうだな。紗世なら絶対できるさ」
何か胸に引っかかる感情を顔に出さず。俺は紗世に笑顔で答える。
この人が幸せになれるのが、今の俺にとっての最高の幸福だから。
そんな十八歳の春。
可与さんからの宿題も数が減り。俺と紗世はお互いに自分の能力と向き合い始めていた。
紗世は魔力のコントロールに悩ませられる日々。
そして俺は、身体能力の向上とあの地獄の日々で掴みかけた強化魔法・武御雷の状態維持の向上と応用の模索。
最近ではトレーニング中に発動することで継続時間の延長を図っているが、四分で魔力が音を上げるため結局いつも通りの筋トレに落ち着いている。
「ふう。今日はこの辺にしておくか」
見晴らしのいい丘から見下ろす豊かな草原に別れを告げ、俺は今日の昼食へ挨拶に向かう。
「剣、お疲れさま。もう出来てるから”手を洗って”お昼にしよう」
すでに、椅子の背に手をかけ引いていた俺に紗世が静かに忠告する。
「はい……わっかりました」
仕方がない、シェフの機嫌を損ねては明日からの食事が犬の餌になってしまいかねない。
ここは大人しく手を洗うとしよう。
俺は言われた通り、洗面台の前に立ち。
指の間から手首、爪の隙間に至るまで念入りに洗い流してから席に着く。
「じゃあ、いただきまーす!」
「いただきます」
目の前に広がる紗世の手料理を箸を伸ばしながら、ふと気になった事を口にする。
「可与さん。今日も仕事か?」
紗世の隣、空席の椅子に目を向ける。
斉藤家では飯をみんなで食べると決まっているので居ない時は大抵仕事か私用で外出中だ。
「うん。今日は町の方からの依頼だって、いいよね~」
「依頼って呪い(まじない)で悪夢払いとかトラウマ忘れさせに行くとかだろ。そんな羨ましがることか?」
むしろ良いと言うのは、少し不謹慎だろ。
「そうじゃなくって! 今桜満開なんだって電車からの景色が最高らしいよ」
「へえ、もう四月も十日過ぎてんのに。桜かあ」
そいえば、今朝のニュースでお花見がどうのって言ってたっけ。
「うん、そうだよ! いいよねぇ。わたしも車窓からの景色見たいなぁぁ」
わざとらしく呟き視線を送ってくる紗世。
はあ、本日のお姫様のワガママの始まりである。因みに機嫌を損ねれば以下略である。