逃がした、魚が、大きすぎて。
「いや、俺、攻略対象じゃないんで。」と「私の、執事は、名前が覚えられない。」で婚約破棄を宣言する当て馬王子じゃなかった、メインヒーローであるはずの王太子殿下の話です。
上記2つを読んでからの方がわかりやすい内容ですが、これだけでも行ける気がします(多分…)。
幼い頃、親に言われるがまま指名した婚約者がいた。
王族と並ぶ由緒ある血筋を持った少女だった。
彼女は銀髪に青紫の瞳をした静かな美しい女の子だった。
常日頃から黒髪黒目の影みたいな執事を傍に置いてたのは知っていたが、それ以外は何も知らなかったし、彼女に対してあまり興味が持てなかった。
いや、持つ必要がなかったのだ。
彼女は自分の婚約者。
順当にいけばいずれは娶ることになる相手だ。
彼女の事を知る機会などこの先いくらでもあるのだから、今は気にしなくてもいい。
自分が目をかけなくても、彼女のような物静かで奥ゆかしい女が、婚約者を持ちながら他の男に目移りするとは考えられない。
そう高をくくり、彼女をお飾りのように扱った。
一応は婚約者なので、毎月時間を取り茶の席を設けたが、彼女はあまり話をしない。
したと思ったら政治の話やら近隣諸国の話など、あまりにも堅苦しく面白みに欠ける話ばかりで、正直に言ってつまらない時間だった。
こんなつまらない女でも侯爵家の血筋、正妃という席には申し分ない家柄と容姿なので外交的には十分役に立ちそうだが、私生活では必要以上に関わらず、側妃でも持とうかと考えていたら、刺すような鋭い視線を感じ、冷や汗が垂れた。
「…」
「…」
彼女の執事と目が合った。
漆黒の双眸がまるでこちらの心の中まで見ているかのように冷めた視線を送っていた。
思わず目を見張ると、彼はすっと目を逸らし、婚約者の茶を交換していた。
「…」
あの執事は嫌いだ。
俺は王族で、王太子なのに、あの執事の目には俺に対する敬意の一つも感じられないし、何も言わないが冷めた目で見てくるのでとても居心地が悪い。
彼女と結婚するとこの執事がついてくるのか…それは勘弁してほしい。
そんな事を思いながら、今日も彼女が持参した茶を飲む。
15歳で魔法学校に入学した。
そのころになると俺の容姿や王族という立場に着飾った女の子たちがまるで蝶のように集まってくる。
昔からそうではあったのだが、年が経つにつれ、令嬢たちのアピールの仕方が変わってくる。
それを周りに置きながら、俺は同じように学校に通うことになったあの執事を探す。
いた。今日も一人だ。
あの執事は俺の婚約者以外、特定の誰かと一緒にいるところを見たことがないし、やはり平民なので俺のように女の子たちにもてはやされる様子もない。
一人ぼっちで何かをしている姿を見るたびに、俺は奴より上なのだという優越感が生まれる。
侯爵令嬢の腰巾着という以外に何の取柄もないあの執事に勝ったと思う日々はなかなかにいいものだった。
俺は順調に侯爵令嬢との婚約を続けていたが、学校で気になる少女を見つけた。
光の魔法という千人に一人いるかどうかと言われるほど珍しい魔法の使い手である男爵令嬢のアルメリアだ。
彼女はとてもよく笑う可愛らしい女の子だった。
何時もけなげに努力をし、どんなことがあっても一粒の涙を零しつつも前向きに頑張ろうとする彼女の涙に俺は惹かれた。
笑わない婚約者とは対照的によく笑い、噂話に花を咲かせる可愛らしいアルメリア。
市井の出身であるらしく、町にお忍びで行ったり、普段彼女が行かないようなお店に連れて行ってあげると目を輝かせて喜んだ。
そういう些細な違いを婚約者と彼女で比べて、気付けば俺はアルメリアを誰よりも愛おしく思うようになっていた。
そんな愛しの彼女が怪我をした。
どうも誰かに背中を押され階段から落ちたらしい。
幸い怪我は手首をひねっただけと、大きな怪我には至らなかったけど、彼女が少しでも痛い思いをすることがあったのが許せない。
それからも彼女は怪我をしたり、教科書を紛失したりということがあり、俺は俺の従者に探りを入れさせたら、誰かに嫌がらせを受けていることがわかった。
なんて酷いことをする奴がいたんだ。と憤れば、彼女は自分は大丈夫。こんなことには負けないと笑って見せた。その笑顔に俺を含めいつも一緒にいる侯爵子息たちもメロメロになった。
側近たちと彼女を守ろうと、なるべく一緒に行動するようになったころ、婚約者が面会を申し込んできた。
よく笑い、面白い話で場を沸かせられるアルメリアを知ると、婚約者の話が一層つまらなくなったように感じた。
そんな中、婚約者はあの男爵令嬢に入れ揚げ過ぎだと忠告してきた。
その事が面白くはなかったけれど、容姿だけは美しい婚約者が俺が誰かに取られることを危惧していることがわかり、俺は笑いそうになるのを必死にこらえた。
ああ、愉快。
どちらの少女も美しいし可愛いしで両方手に入れたかったけど、彼女に嫌がらせをしているのは婚約者らしいのでそれはできないことを知った。
アルメリアが泣きながら俺に訴えたのだ。婚約者に嫌がらせを受けていると。ずっと隠していたけどもう耐えられないと。その涙に俺は彼女との婚約を破棄することにした。
多くの生徒がいた中庭で彼女との婚約を破棄すると宣言すれば、彼女は少し眉をひそめただけであまり抵抗はなく婚約は破棄された。
そして愛しの彼女をあらたな婚約者にしようと父である国王陛下に報告しに行けば、物凄い剣幕で怒られるわ、母である王妃からも苦言を呈されるわとかなり口煩く言われたが、侯爵令嬢との婚約破棄は大衆の前で宣言をしてしまったため取り消すことができないと判断され、白紙になったが、アルメリアとの婚約は保留になった。
まだ婚約はできなかったけど、いつかはちゃんと婚約して結婚しようねとアルメリアに言えば、アルメリアはとてもうれしそうに笑った。
……
…
「茶葉が変わったのか?」
ふと、気になったことを傍にいた侍女に尋ねる。
今まで飲んでいた茶と今日の茶が違う。
その事を尋ねると侍女は申し訳なさそうな顔をして言った。
「今までの茶葉は、ルクレティア様より頂いたものでして…それが終わってしまったので、アルメリア様から頂いたものを淹れたのですが…」
「あー…できれば前のものにしてくれるか?あの味は結構好きなんだ」
「畏まりました。至急ご用意いたします」
そう言って侍女は下がったが、茶葉は変わらなかった。
代わりにアルメリアからこのお茶が好きなの!と文句を言われた。可愛らしいので俺は彼女の好みに合わせようと思った。
「…」
ルクレティアとの婚約を破棄してから、王宮侍従長から苦言を呈された。
どうもアルメリアが俺の名前を使い買い物をしているらしい。
ちょっとした物なら構わないと思ったのだが、高価なドレスや貴金属などを買っているため王家の財務管理をしている者から苦情が来たらしい。
アルメリアは将来俺の婚約者になるのだから、今からそれを使ったっていいではないかと思ったら国王陛下にまで怒られた。
仕方なくアルメリアを諫めれば、彼女は泣きながら謝った。
本当に申し訳なく思っているのだろうと思い、それ以上は言わなかったが、それからも王宮から再三王家の予算を無駄使いするなと言われたが、彼女がおねだりをしたら買ってあげたくなるので、ついついいろいろなものを買ってしまっていたら、更に弟からも笑われるようになった。
恋人一人御せなくて国の舵取りなどできるのか。あいつの目がそう言っているように思えて腹が立った。
ルクレティアとの婚約を破棄し、好いた女との婚約を考えているのに、何故か前のようにうまく回らない。
そんな日が続くとどうしたって気分がよくないものだ。
学校にいても王宮にいても周りの目が気になるし、周りの小言に苛立ちを覚える。
俺は一人苛立つ気分を鎮めようと学校内を散歩する。
大きく広い敷地を有する学校なので気分転換にはもってこいだと思い、調子に乗って歩き回ったのがいけなかった。
人気のない東屋にルクレティアがいた。
ただし一人じゃない。あの嫌いな執事も一緒だ。
婚約破棄を宣言してからは学校内でもすれ違うことがほとんどなくなった彼女たちを久々に見て、俺は目を見張った。
「…、」
あの笑わない人形のようなルクレティアが笑っているのだ。
花がほころぶような柔らかく美しい笑顔をあの執事に向けていたのだ。
東屋で仲良く寄り添うように座り、何かをしている二人の姿は、まるで本物の恋人のようで、羨ましいとさえ思った。
自分にだって可愛らしいアルメリアという恋人がいるのに。
なのにどうしてあいつらの方が恋人のようなのだろう。
なぜ、婚約者であった俺には見せなかった笑顔をそんな平民の執事に見せるのだろう。
俺との茶の席で一度でもその笑顔を向けていてくれたら、俺は彼女を愛せたかもしれないのに。
失って初めて彼女の真の美しさを目の当たりにした。
美しく愛らしいその笑顔がもう俺の物ではないことが悔しくてたまらない。
美しく微笑む彼女の髪を、あの執事が優しく撫でる。
まるで壊れ物を扱うように、慎重に、丁寧に、愛おし気に撫でれば、彼女は頬を赤らめ微笑む。
そんな顔、俺には一度だって見せたことがないではないか。
その笑顔は本来俺の物であるはずではなかったのだろうか。
何故それがあの忌々しい執事に向けられているのだ。
「ルクレティア!」
「!?」
「…」
思わず飛び出せば、ルクレティアは驚いたように目を見開いて俺を見上げた。
その顔がさっと朱に染まり、執事の背後に顔を隠した。
「何か御用ですか?」
「え、あ…」
用はない。二人の雰囲気があまりにも羨ましくて思わず壊したくなっただけなのだから。
言い淀んでいると、執事がルクレティアの背をそっと撫でながら何かを耳打ちして立ち上がった。
「ご一緒にお勉強でも致しますか?」
「勉強をしていたのか」
「はい。まあ、予習ですけど」
「い、いや。俺はいい…。偶々通りかかったから挨拶の一つでもしようかと思っただけで…」
「そうでしたか。てっきりうまくいっていないご自身の今の状況を我々にぶつけるつもりでいらっしゃったのかと思いました」
にこりと嫌味を吐く執事。
まるでこちらの事を全て知っているかのような言い回しに頭に血が上る。
「ふ、ふん!そんなことあるものか!俺とアルメリアは相思相愛!不満などあるものか!」
「そうでしたか。それは失礼いたしました」
そう言って頭を下げる執事に多少溜飲は下がった。
執事の言っていたことは多少当たっている。
最近のアルメリアは俺の話を聞かないし、会っても他人の陰口や嫌味などあまり品のいい話はしないし、すぐに物をねだってくるのに、俺からの要求に応えるのは渋々といった表情を隠さない。
そんな不満をちらりと思ったが、こいつに聞かれたら鼻で笑われ、またあの冷めた目で見下ろされそうなので黙っておく。
「も、もう俺は行く!」
「そうですか。では、お気を付けて」
「ごきげんよう」
二人が挨拶をするので俺は踵を返し東屋から離れた所まで来たところで、追いかけて来た執事に呼び止められた。
「殿下。失礼を承知で申し上げますが、婚約者でもご友人でもないご令嬢を呼び捨てにするのは、どうかと思いますよ」
「―――!!」
目の前が真っ赤になった。
あんな執事風情に。
ただの平民に、そんなことを言われると思いもしなかった。
それに執事の言葉で、俺とルクレティアの関係はもう赤の他人であることを思い知らされた。
その事が悔しくて、腹立たしくて、なによりも彼女がもう自分の物でなくなったという事実を突きつけられたことの喪失感が大きかった。
そのあとどうやって王宮に戻ったのかは覚えていない。
お茶の席でいつも静かに俺の話を丁寧に聞いていてくれた婚約者は、もう俺の物ではなくなった。
その事が悲しくて、辛かった。
笑顔は思い出せないけど、彼女は何時だって俺の事を考えていてくれた。
俺の好きな茶葉を用意し、俺の好みの菓子を選び、俺の都合に合わせて傍にいてくれた。
幼い頃なんとなく婚約して、共通の話題がなかったから始めたばかりの勉強の話をした。彼女は多分話の半分は分かっていなかったと思うけど、それでも一生懸命俺の話を聞いて理解しようとしてくれていた。
理解しようとして自分で考えたことを話してくれた。
言わなくても俺の好みを把握して、俺に合うものを用意してくれていた。
話すことが見つからないときは、勉強の延長で政治や周辺諸国の話をしてくれていた。
その事に気付いたとき、俺は枕を濡らした。
俺が手放した魚は、とても大きかったということを思い知らされたのだ。
殿下ざまぁ!
ドンマイ殿下(笑)
etc…ありましたら感想ください。
いつも誤字脱字報告有ごとうございます。
見直してから投稿しているはずなんですが、見落としが多いのでいつも助かっています。
また、「いや、俺、攻略対象じゃないんで。」と「私の、執事は、名前が覚えられない。」に感想をくださった方々、ブクマ、評価をしてくださった方々本当にありがとうございます。この場を借りて感謝を申し上げます。
殿下のざまぁ!が見てみたいというお声があったので書いてみましたが、お眼鏡にかないましたでしょうか?少しでも楽しんでいただければ幸いです。