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妖精の子

ホラーのつもりで書きました。

 ――あれは確か、静かな夜だったと思う。

 窓越しの月がきらきら輝いていて、夜だというのに花壇の花の形までくっきりと見えていた。月があまりに眩しいものだから、星々は霞んで見えないくらい。だから、空には大きく光るまん丸以外に何もなくなってしまったようで、なんだか怖いくらいだったのをよく覚えている。


 私はぼんやりと外を眺めるうち、突然月の下を歩いてみたいと思い立った。ベッドを飛び出し、両親を起こさないようにこっそりと家を出る。黙って夜中に出歩くなんて悪い子だと一瞬思ったけれど、明る過ぎる夜には、隠れる陰さえ無くて、心臓が痛いくらいにどきどきしていた。


 わざと舗装された道を外れて雑草をさくさく踏みしめながら歩くと、なんだかとっても楽しくなってきて、私は鼻歌を歌いながら、スキップするように駆けだした。どこの家も静まり返っていて、夜の甘いにおいを目いっぱい吸い込んだら、まるでこの世界に私しかいないみたいだった。教わったダンスを踊って、自分の足を引っ掛けて転んでしまうのさえわくわくした。


 熱に浮かれたように歩くうちに、私はふと村外れの大樹のことを思い出した。お婆ちゃんが子どもの時よりもずうっと昔からそびえ立っているらしいソレは、普段なら特に興味もないものだったけれど、夜の冒険という非日常にすっかり酔いしれた私には、無視できないくらいに気になって仕方なかった。


 ふらふらと大樹の下にたどり着いた私は、初めてソレをちゃんと見た。どうして倒れないのか不思議なくらい幹はボロボロだし、葉っぱなんて一枚も付いていない。真正面には大きなうろがぽっかりと口を開けているのに、たしかにこの樹は生きていると思えるような不思議な存在感があった。


 そういえば、村の大人たちからは、大樹のうろを決して覗いてはいけない、入ってもいけない、と口酸っぱく言われていた気がする。けれど、隣の家の兄弟が友達と一緒に度胸試しとかで入っていたりして遊んでいるのを私は知っている。こんなに楽しい気分なのだから、私だって入ってもいいはずよね。


 吸い込まれるような感覚になりながら、私はうろのふちに手を掛ける。中を覗き込んでも真っ暗で、中の様子は全く見えない。もしかしてとっても深いのかしら、だから度胸試しなの?


 やっぱり怖いしやめておこうかなと思ったところで、うろの中にキラリと光が見えた。気のせいかとも思ったけれど、何度まばたきをしても光は消えなかった。あれは何かしら、もしかして誰かの落し物かも。もう少し近くで見てみようとぐっと身を乗り出したところだった。

「いとしいこ」

 耳元で囁かれるその声に驚いて、足を滑らせて、うろの中に体が落ちていく。


 私が覚えているのはここまで。

 ――次に目を覚ましたとき、5歳になったばかりの私は、15歳の私になっていた。



「それからはとっても大変だったわ。だって、私の中では『5歳になったから来年から小学生だ!』なんて楽しみにしていたっていうのに、次の瞬間には高校生の勉強をしなくちゃいけなかったんだもの」


 そう言い切ると、羽鳥さんは残っていた珈琲をぐいっと飲み干した。顔をしかめたのは珈琲が熱かったからか、それとも口に苦い味が広がったからか。人の心を推し量るのが苦手な僕には分からなかった。


「ありがとうございました。大変興味深い話でした」

「それにしても……今さらこの話を聞きたいって人にも驚いたけど、偶然の繋がりにも驚いたな。たしか、兄貴の会社の人が知り合いなんだっけ?」

「ええ。羽鳥さんのお兄さんの会社の同期が私の大学時代のサークルの後輩でして。こういう記事ばかり書いていると彼も知っていたものですから、お兄さんの了承を得た上で羽鳥さんのことを教えて頂いたのです」

「なるほどね。小林さんは運が良かったんだね」


 笑う羽鳥さんに僕は頷いた。実際、運が良かっただけと言わざるを得ない。当時、大手の週刊誌でさえ本人への直接取材はできなかったし、ましてや弊社のような弱小出版社では尚のことだった。ところが偶然によって、まさしく生の声を聞けたのだから、今回ばかりは神やら何やらに感謝してもいいと思えた。

 僕が感謝する神はどれがいいかとひっそりと考えていると、羽鳥さんはそういえばと前置きして、やや怪訝な顔をした。


「ていうか、4年前――いや、あと1か月もしたら誕生日だから5年前になるけど、『還ってきた』直後ならともかく、今さらこんな話、記事になるものなの?」

「はい。世の中には、本物のオカルトに出会うためなら何百年前の伝説に一生をかける変人さえいますからね」


 力強く言い切った僕に対し、あんたみたいな人のことね、と羽鳥さんは笑った。まったくその通りなのでぐうの音も出ない。

 

「でも、私も神隠しの前後のことは覚えてるけど、その間のことはまったく覚えていないからなあ。小林さんみたいな人には悪いけど、あんまり期待するような記事にはならないんじゃない?」

「そこが記者の腕の見せ所というやつですね。期待させるように書けなければ、こんな怪しげな雑誌は売れませんから」

「そういうものなんだ……。やっぱり、変な人たちっているものなんだね」

「……そうしみじみと言われるのも中々つらいものがありますね」


 それからしばらく他愛ない話をした後、夕方からサークル活動があるという羽鳥さんは、喫茶店を出ていった。僕も事務所に戻って、原稿を書き上げなければならない。すっかり冷めてしまった珈琲をぐいと飲み干すと同時に僕は顔をしかめた。

 どうやら、原因は苦みの強すぎる珈琲のせいだったらしい。


 取材の日から数日が経ち、無事に記事を書き上げ、編集長から絶賛されて僕は久方ぶりに退社した。記事のタイトルは『F県H村神隠しの真相~14年前の少女の声』とシンプルなものに決めた。何事も無ければ、来週発刊のオカルト雑誌のセンターを飾ることになるだろう。弱小雑誌とはいえ初めてのセンターに、さすがに緊張と興奮を禁じ得ないが、まあ成るように成れという気分だ。

 何本か電車を乗り継ぎ、懐かしの我が家に辿りつく。いつから建っているのか分からないような木造アパートだが、駅の近くにあるというだけで胃が痛むような家賃を請求される上に、今回のように締切近くでは帰れないことも多いのだから、まったく無駄にお金を払っている気がしてならない。

 ため息を吐きながらくたびれたシャツを脱ぎ、まだマシな見た目の服に着替えてから、僕は鞄を持って家を出た。これから人に会う用事があるのだ。

 再度電車に乗り、今度はすぐに降りて、近くのファミレスを目指す。店内に入ると、相手は既に来ていたらしく、こっちだというように手を振ってきた。10以上も歳の離れた女の子、しかも未成人相手にされるのは中々に恥ずかしいものがあったが、後から来た自分が悪いのだ。やむを得まい。

 女の子――羽鳥さんはテーブルに広げていたルーズリーフや教科書を鞄に仕舞いつつ、やや疲れたように水を一口飲んだ。どうやらまだ何も注文していないらしい。律儀な子だなと思った。


「小林さん、お仕事お疲れさまだね」

「……そんなに疲れて見えますか?」

「うーん、どっちかというと……くたびれてるって感じ?」


 何気ない言葉に三十路男の心が抉られる音が聞こえた気がしたが、実際にくたびれているだろうから反論もできない。そうですかと引きつった笑みを返しながら席に着くと、店員を呼んで適当にドリンクバーを頼む。羽鳥さんオーダーのオレンジジュースと、自分用の珈琲を手に席に戻ると、どこか落ち着かない様子で羽鳥さんはキョロキョロしていた。


「そんなに緊張しなくても、ここは会社からも離れていますし、大丈夫ですよ」

「あ、うん。それもあるんだけど……」


 歯切れの悪い言い方がやや気になったが、とりあえず手早く用件を済ませてしまおう。僕は鞄からコピー用紙の束を取り出すと、羽鳥さんに手渡した。

 やや緊張した面持ちで羽鳥さんはそれを受け取ると、中身をぱらぱらとめくり始めた。

 ――来週発刊される『F県H村神隠しの真相~14年前の少女の声』の完成稿だ。

 当たり前に社外秘のシロモノだが、インタビューおよび記事にする条件が、誰より早く記事を読ませてほしいというものだったので、こうしてひっそりと会っているわけである。見つかれば厳罰待ったなしだが、このリスクを許容しなければそもそもこの記事もなかったのだから、必要経費と割り切るしかない。

 しばし無言でぱらぱらと紙をめくる羽鳥さんだったが、ふと手を止めて、どこか不安そうな顔で僕を見つめてきた。何か言いたいことがあるようで、中々言葉が見つからないのか。じっと僕が聞く姿勢でいると、やがて羽鳥さんは重たげに口を開いた。


「……小林さんは、こういう神隠し的なものに詳しいんだよね」

「ええまあ、職業柄何度か」

「……私と同じように『還ってきた』ケースってどれくらいあった?」


 なぜそれを聞くのか、とはさすがの僕も聞かなかった。どう見ても何かを感じて問いかけてきたのは明白だったが、今はただ答えるべき時だろう。


「僕が知る限り、最近では2年前にイギリスの片田舎で『還ってきた』と主張する少女がいましたね。当時4歳だったその子は、気分が悪いと自分の部屋のベッドで寝ていたところ、耳元で誰かの声を聞いたと思った次の瞬間、気が付くと14歳になって簡素なワンピース一枚で村外れに立ち尽くしていたんだそうです。ただ、羽鳥さんと違って彼女は10年間行方不明だったわけではないらしいのですが」

「えっと、どういうこと? 神隠しに遭っていたんじゃないの? ウソってこと?」

「それが、彼女の両親や村の人間は、確かにその女の子が10年間一緒に居たと言っているそうです。これだけなら少女の狂言か何かかと疑うところですが、二つだけ不可解な点があったため、もしかして本物のオカルトかと騒がれたのですね」

「……不可解なことって?」


 身を乗り出して話を聞く羽鳥さんの真剣な表情に、こんなに興味を持っていただろうかと驚きつつ、珈琲で口を湿らせて、僕は話を再開する。


「一つは、少女の体調が急に良くなっていたことです。4歳の彼女はあまり体が強くなく、激しい運動をすればすぐに熱を出しては寝込んでいたそうですが、正確な時期は不明ながら、ある時期を境に外で走って遊んだり、水遊びをしても寝込むことがなくなったそうです。そして、両親はそのことを知っていたはずなのに、それを全く不自然に思わなかったそうなのですよ」


 ごくりと羽鳥さんが唾を飲み込んだ音が聞こえた気がした。賑やかなファミレスの中だというのに、自分の声だけがやけに大きく聞こえるような気がして、話している僕自身も知らない内にドキドキし始めていた。


「もう一つは、還ってきた前後の状況です。両親によれば、誕生日の祝いとして少し綺麗な服を着せて、家の中でご馳走を食べる予定だったそうですが、ふと目を離した隙にいつの間にか少女はいなくなっており、少女の部屋にはさっきまで着ていたはずの綺麗な服だけが畳まれて置いてあったそうです。どこに行ったのかと父親が外に飛び出して程なく、村外れにぽつんと佇む少女を見つけたということですが、そのとき着ていたワンピースというのもシルク製で、タグも模様も何も付いていない不可解なものだったのです」

「えっと、何が変なの? こっそり持ってて、着替えただけかも」

「その可能性も確かにありますが、そのワンピースをどう手に入れたかが不可解なのです。シルク製の服はご存じのとおり高級品です。そういったものを買ったとして、タグや模様の一つも付いていないことなどあり得るでしょうか? また、少女にそんなお金があったでしょうか?」

「じゃあ、手作りってこと? でも、不可解ってことだから……その村は養蚕業をしてたってわけでもないんだよね?」

「ご明察です。また、近隣で養蚕業を行っている村もありませんでした。つまり、そのワンピースをどう手に入れたか? この謎があったからこそ、少女の話に注目が集まったのです」


 話が一通り終わり、羽鳥さんはオレンジジュースの入ったグラスをぎゅっと握りしめて、何かをじっと考え込んでいるようだった。夕方のファミレスということもあって、他の卓から美味しそうな匂いが漂ってきたものの、この重い雰囲気の前ではあまり腹に響くこともなかった。


「……ちょっと待って。不可解なことは分かったけど、じゃあその子がいなくなっていた10年間、一緒に居た『その子』はいったい何なの?」


 ハッと気づいた羽鳥さんが、僕の方を睨むように見る。そこが神隠しとは違うところ、日本ではあまり馴染みの無い伝承ともいえるソレは。


「あちらの方では、こう呼ぶそうです。『取り替え子(チェンジリング)』と」



 チェンジリングの伝承には様々なものがあるが、そのうちの一つでは「妖精が人間の美しい子どもを好んで連れ去り、代わりに妖精の醜い子どもを置いて行く」とされている。

 その件の少女が、本当に取り替えられていたかどうかは定かではないが、状況が伝承にある程度合致していたこと、不可解のワンピースも妖精という超自然的なものが関わっていれば自然なのではとオカルト学者が騒いだことで、しばらくの間この界隈ではその話でもちきりだった。


「諸説ありますが、チェンジリングは妖精の仕業だと言われています。ですので、少女が取り替えられる直前に聞いた声というのは、もしかして妖精の声だったのではないか、と言われています」


 そこまで言って、羽鳥さんの顔が真っ青になっているのに僕は気付いた。明らかに、何かに怯えている。いったい何に、と考えたところで、僕も血の気が引いた。そういうことなのか? 現代日本で起こる神隠しと呼ばれるソレらの一部には、つまり。


「……羽鳥さんは、自分が神隠しに遭う前に聞いた声が、妖精の声ではないかと疑っているんですね?」


 その言葉を聞いて、羽鳥さんはびくりと震えた後、こくりと頷いた。確かにそれは面白い知見だと思う。チェンジリングは取り替えられるからこその名称だが、別に美しい人間の子どもが欲しいだけなら、醜い妖精の子がいないなら、取り替える必要なんてどこにもないのだから。

 でも、じゃあなぜ羽鳥さんは、いまこんなにも怯えているんだ?


「最近、聞こえてくるの。どこかから。ふっと声が」

「声?」

「……『愛しい子』って聞こえてくるの。そして『家出はおしまいだ』って」


 いつの間にか鳥肌が立っていたことに僕は気付き、涼しいはずの店内が急に気持ち悪いくらい寒いような感覚になっていた。

 羽鳥さんの言葉が本当なら、彼女は今も妖精に誘われているということか? 記者としては付いていって取材をしたいし、何なら妖精の姿をカメラに収めたいところだ。

 だが、僕は羽鳥さんと親しい伝手を辿って会話を交わして、ただの取材対象じゃない生身の知り合いになってしまった。何度も神隠しに遭ったと主張している人に会ったこともあるが、毎度還ってこれるなんて保証はどこにもない。だから、みすみす連れて行かれるような真似はさせたくないところだ。

 とはいえ、どうする。僕一人じゃボディガードには心もとない。僕以外に、オカルトに詳しい知り合いが居ただろうか。羽鳥さんのお兄さんなら来てくれるかもしれないが、彼は今出張で近くに居ないと聞いている。


「羽鳥さん、もしそれが本当なら、次は還ってこれないかもしれない。僕は、知り合いがそうなるかもしれない時まで記者を続けられるほど、性根は腐っていないつもりです。だから、なんとか妖精から身を守りましょう。誰か傍に付いてくれそうな人はいますか?」

「……あはは、でもいいよ。小林さんも忙しいだろうし、それにほら、幻聴かもしれないし」


 焦る僕を見て、羽鳥さんは力なく笑った。気丈に振る舞っているように見えるが、どことなく瞳はぼんやりとしていて、明らかに普通の状態ではなかった。ちょっとでも目を離したら、それでふらっと消えてしまいそうな、そんな危うさがあった。

 どうしたらいい。何か手はないのか。


「そういえば、私、明日で20歳になるんだ。今度会ったときは、小林さんお酒奢ってよ」


 ふと思い出したように言う羽鳥さんの言葉にハッとする。少なくとも現代日本では、20歳で大人になる。つまり、チェンジリングの伝承で言われる『子ども』にはならなくなるのではないか?

 昔は20歳で大人ではなかったとか、子どもだけが対象となるかは分からないとか、いくらでも反証は思いつくけれど、今はこれに頼るしかない。


「羽鳥さん、僕を信用してくれるなら、お願いがあります」

「……小林さん、顔が怖いよ」


 そして僕は、なるべく声を潜めて言った。


「0時を回るまで、僕とデートしませんか」

「え、デートは嫌」



 事情を説明し、もしかしたら20歳になったら妖精も諦めるかもしれない、その仮説に縋ってみないかと羽鳥さんを説得し、僕たちはレンタカーを借りて移動することにした。

 移動先は未定だが、とりあえず車で動いていれば連れ去りも難しいのではないか、という推論故である。


「……啖呵は切ったものの、運転するの久しぶりなんですよね」

「ええ……かっこわる……」


 最近では、若い人は免許すら取らないこともあるらしいが、電車での移動が当たり前になれば然もありなんと言ったところだ。記者という職業柄、普通のサラリーマンより運転することは多いと思うが……。

 地味に現役JDの罵倒に傷つきながら、なんとか市街地を抜けて高速に乗ることができた。あとは0時を回るまで深夜のドライブと洒落こめばいい。現在の時刻は21時。あと3時間程度だ。

 あまり目を離さないように、横目でチラチラと羽鳥さんの様子を窺う。ハイウェイの青やオレンジのランプに照らされて見える横顔は、あまり変わったようには見えないが、内心では不安を抱えているのだろうか。


「小林さんは、どうして記者になろうと思ったの? しかもこんな胡散臭いジャンルのやつに」


 唐突に羽鳥さんが口を開き、人生相談と見せかけたジャブを繰り出してきた。最近のJDはおっさんをいじめるのが趣味なのだろうか。


「……きっかけは、やっぱりそういう記事を小さい頃に読んで、幽霊とか神様とか居たらいいな、会いたいなって思ったからですね」

「うわ、思ったより普通」

「……たいていの人は面白くもない理由ですよ。羽鳥さんは何か将来の夢がありますか?」

「えっと、神隠し――っていうか妖精隠し? に遭って、勉強追いつくのがすごい大変だったんだよね。だから勉強教えたりするのできたらなーって」

「学校の先生ってことですか?」

「……私、小学校も中学校も、高校も行けなかったから。大学に普通の子と同じタイミングで入ろうと思ったら、高卒認定取るしかなかったんだ」


 全く普通ではない理由だったけれど、とても前向きな理由だと思えた。羽鳥さんらしい。

 それからも何でも無いようなことをたくさん話した。僕の子どもの頃の思い出や、社会人になってからの苦労や面白エピソードなどなど。羽鳥さんは好きなアーティストや芸能人のことを教えてくれたが、おっさんである僕には8割方分からなかった。たぶん、羽鳥さんは分かっていてそういう話題を出している。やっぱり、おっさんをいじめるのが好きなんじゃないか?

 会話もひとしきり弾んでしまって、お互い黙ったままでいると、車のラジオだけが妙にうるさく響く。でも無音はつらいし消すのはなあ、と考えていたところで、ザザッとノイズが走った。トンネル近くでもないのに不思議だなと思っていると、隣で羽鳥さんがびくっと震えたのが分かった。


「羽鳥さん?」

「……小林さんには聞こえてないんだよね?」

「えっと、何がですか?」

「今一瞬、ラジオから妖精の声が聞こえたの」


 もしかして、今のノイズが走った瞬間がそうなのだろうか。だとしたら、妖精はまだ諦めていないことになる。やはり、仮説は仮説でしかないのか。いや、まだ分からない。現在時間23時。あと1時間。


「ふふっ、ちょっとウケるね」


 不安になる僕とは対照的に、羽鳥さんは笑っていた。いったい何が面白かったのか。僕の困惑する雰囲気を感じたか、くくくと笑いを抑えながら、羽鳥さんはラジオを指さした。


「だってさ、散々超能力的な感じで声だけ飛ばしたり、人を連れ去ったりしてたやつらが、ラジオを介さないと声も飛ばせなかったってことでしょ? それウケない?」

「……なるほど」


 まったく、この子はどれだけ心が強いのか。ちょっと前まで顔を青くして怯えていたのに、今じゃ笑い飛ばすくらいに回復してる。強がりでも何でもなく、心の底から笑ってる。

 脱帽だ、完敗だ。なんだか僕まで笑えてきた。妖精なんてそんなものかもしれない。


「この調子なら、小林さんの仮説も合ってるかもしんないね」

「……そうだといいなと思いますよ」



 0時を回ったところで、おあつらえ向きにICが見えてきたので、いったん高速を降りることにした。お互いに無言のまま料金所を通過し、近くにコンビニが見えたので、そこに駐車する。

 どちらともなく顔を見合わせる。なんとなく喋りづらくて、声は聞こえるかとジェスチャーで指し示す。羽鳥さんもジェスチャーで、聞こえないと答えた。じわじわと気持ちが浮かんできて、何を言うか迷った挙句、僕はこうするのが一番だと思った。


「20歳のお誕生日、おめでとう。羽鳥さん」

「っ」


 そこで感極まったのか、羽鳥さんの眼に見る見るうちに涙が溜まってきた。泣かれるとは思っていなかった僕が、あたふたと困っているうちに、羽鳥さんが腕を伸ばして、僕の胸に顔を埋めた。

 シャツ越しに漏れ聞こえる嗚咽が、いかに羽鳥さんも不安を感じていたかよく分かった。

 20歳になったとはいえ、三十路から見ればまだまだ青臭いガキのままである。当たり前のことだなと僕は思わず声を上げて笑った。

 しばらくして泣き止んだ羽鳥さんは、赤い目をしながら胸から離れていった。可愛い年下の女の子に胸を貸すというのも中々レアな体験だなとしみじみ思う。


「なんかヘンなこと考えてるでしょ」

「……考えていないです」

「いま、一瞬間があった」

「ないです」


 言い合いながら、2人して笑い合った。ようやく落ち着いてきたので、せっかくコンビニにいるのだし何か飲み物でも買おうかと車を降りた。


「え?」


 羽鳥さんが突然、後ろへ振り返る。どうしたのかと僕もそちらを見た。

 ――なんだ、アレは。

 明らかに奇妙な光のもやのようなものが、渦巻きながら羽鳥さんに向かっていた。


「羽鳥さん! 逃げろ!」

「あ……」


 逃げる間もなく、もやが一筋、羽鳥さんに飛びかかると、一瞬びくりと体が震えて、羽鳥さんはゆらゆらと普通でない動きで歩き始めた。

 とっさに羽鳥さんの肩を掴み、引き寄せようとするが、力を入れて引っ張ってもぴくりとも動かない。すると、ぐりんと羽鳥さんが顔をこちらに向けた。


「なっ」

「『じゃまするな』」


 瞳孔が完全に開き切った目をして、羽鳥さんの口からしわがれた、明らかに彼女のものでない声がした。光のもやが頭にまとわり付いて、羽鳥さんの顔の上にうっすらと別の顔を作り始めたかと思うと、僕はぶうんと放り投げられた。


「うぐっ」

「『いとしいこ、いかせない』」


 地面に叩きつけられ、痛みを堪えながら何とか立ち上がると周囲の異変に気付く。さっきまで見えていたコンビニはいつの間にか廃墟に変わっていて、地面も駐車場のアスファルトではなくむき出しの土の地面だ。幻でも見せられていたのか。

 ぞくりとした。やはり彼らは超自然的な存在なのだ。人間が勝てる相手じゃない。そう逡巡する間にも羽鳥さんはふらふらとどこかへ歩いて行こうとしている。

 何とかしなければと焦る一方で、恐怖で体が竦んでしまい、一歩も動けない。なんとか無理やり体を動かそうとして、変な体勢になってよろけて転んでしまう。その先にたまたま車があって、もたれかかることでなんとか転ばずに済んだ。

 そのとき、ふと先ほどまでの圧迫感が薄れているのが分かった。妖精が力を弱めた? いや、光のもやがどんどんと増えてきていることから、きっと違う。ならばなぜだ?

 よく観察すると、この車の周辺にはもやがあまり近寄ってきていない。そういえば、妖精は鉄や火を嫌うんだっけ。そんな大事なことをなぜ忘れているんだ僕は!

 車に乗り込み、鞄から百円ライターと万年筆を取り出す。サービスでくれたキャバクラの姉ちゃんと成人祝いでくれた祖父ちゃんありがとうな!


「どけええええええ!」


 車から離れた瞬間、飛びかかってくるもやに対し、万年筆をぶんぶんと振り回す。やはり鉄が嫌なのか、近寄ってくるもやの量が格段に減っている。

 必死に走る。羽鳥さんの背中は見えないが、もやが多い方に確実にいるはずだ。信じて走るしかない。もやを万年筆で切り裂きながら走ると、ついに羽鳥さんの背中が見えた。


「羽鳥さん! 行っちゃダメだ!」


 呼びかけると、ゆっくりと羽鳥さんは振り返った。ソレを見て、またもゾッとさせられる。

 羽鳥さんの可愛かった顔は、しわくちゃの醜い顔に変貌しており、その肩には同じように醜い顔をしたおっさんのような小人が座っていた。

 ……あれが妖精なのか。羽のついた手のひらサイズの美少女はいなかったのか。


「じゃまするな」

「いとしいこ、いかせない」

「いえではおしまい」

「おとなにはなれない」


 羽鳥さんは口を開いておらず、しかしあらゆるもやから羽鳥さんの声が聞こえてくる。だが、どれもこれもがひび割れて汚い声をしている。違う、羽鳥さんはもっと明るく綺麗に笑うんだ。


「お前らの事情なんて知ったことか!」


 燃料のことを考えて温存してきたライターを着火すると、あからさまにもやがザワザワと動き始めた。よし、効いてる。あとは、羽鳥さんの頭に張り付いた妖精を取り除けば。

 羽鳥さんの体に近づき、ライターを振り回すようにして体から追い出せないか試みると、明らかに肩の妖精が苦悶の表情を浮かべている。このままならいける、と思ったその瞬間、ライターの火が急激に小さくなっていき、ふっと音もなく消えてしまった。使いさしのライターなんぞ寄越すな!


「じゃまするな」


 肩の妖精が言ったかと思うと、またも投げ飛ばされそうになるが、ぐっと踏みとどまった。今度はしっかりと手を握って離さない。


「お前の方こそ邪魔だ!」


 もう一方の手に握った万年筆を持つと、僕はそのまま肩の妖精の額に向けて突き刺した。

 全く感触がなく、ただすり抜けただけに見えたが、たまらず妖精は転がり落ちた。


「羽鳥さん! しっかりしろ!」


 体を抱きとめ、呼びかけるが、意識が無いのか醜い顔をこちらにじっと向けるだけだった。

 どうしたらいい、肝心の羽鳥さんがこんな状態じゃ、逃げることもできない。打つ手がなく、途方に暮れた瞬間、光のもやが一斉にぴたりと動きを止めた。いったい何が、と思う間もなく、瞬きの間に、妖精たちは初めから何もいなかったように姿を消したのだった。



「たぶん、小林さんの仮説は正しかったんだね。そういえば、生まれた時間は2時とかそんな夜中だって言ってたような気がするし」

「羽鳥さん? そういう大事なことは早くに……」

「あはは、ごめんごめん」


 その後。ふらりと倒れた羽鳥さんを車のシートに寝かせて、周囲を警戒していたが、もう光のもやを見ることはできなかった。やがて、羽鳥さんが目を覚まして、今に至る。


「途中、絶対にもう戻れないなって思った。なんだか懐かしいような気もして、私、きっとここを通ったことがあるって思ったもの」


 晴れ晴れとした顔は、醜いしわくちゃの顔ではなく、綺麗で可愛いいつもの羽鳥さんの顔だった。


「何にせよ、連れていかれなくてよかったです」

「いろいろと迷惑をかけて、ごめんね」

「……まあ、あのまま見捨ててはおけなかったので」

「なにそれ、ツンデレってやつ?」


 羽鳥さんが笑い、僕も笑った。

 すべては夢だったのかもしれない。

 けれど、一人の少女が不幸にならなかったのなら、それで全て問題はないと思う。



 妖精たちは、確かに私を連れ去ろうとした。けれど彼らの感情は、我が子への暖かい陽だまりのような愛情だけだった。

 妖精たちは「家出はおしまい」と言っていた。それが私のことだとしたら、私の帰る家は、いったいどこにあったのか。

 取り替え子(チェンジリング)で取り替えられたのは、他ならぬ私なのだとしたら。

 私は今――本当に、人間なのだろうか。


ありがとうございました。ホラーって難しいですね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ミステリアスでシリアスな中にちょっとコミカルな感じもあり、読みやすさも抜群で完成度が高いと感じました。チェンジリングの知識も描写も台詞まわりもバランスがよく、癖なくシンプルに練られた文章が…
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