プロローグ 六大陸の世界と、中心の島
500年前―――
一つだった世界は、六つに分断された。
かつて悠久の果てまで続くと言われていた広大な一つの大陸は、唐突に訪れた天変地異によって、六つに分かれてしまったのだ。
神がもたらした大災害か、人の業の果てに起きた罪の清算か。
理由もわからないその出来事は、一つだった大陸が六つに分かたれた後、100年の混乱の末にその真相が闇の中に葬られた。
その100年が過ぎると、人々の記憶からは何故かかつて大陸が一つであったという事実が消え去っていた。
六つに分かれた各大陸で、人々は独自の文化を築き、平和な世界の中で暮らしていた。
しかしある時、とある大陸のとある一人の若者が、海の果てを見てみたいと航海に乗り出した。
それを皮切りに、その大陸からは若者と同じ夢を見る多くの航海士が海に繰り出した。
後に大航海時代と呼ばれたその時代、しかし大海原をひらすら行けど探せど、果てまで続く水平線以外に何かを見つけた者はいなかった。
50年の時が過ぎ、海の果てには何もないという結論が出て、誰もが海に繰り出さなくなった後、それでも最初に夢を見た若者だった老人は航海を続け、そしてついに一つの島を発見した。
白い花が咲き誇るその孤島を発見した航海士は喜びに打ち震えたが、そこで自分と同じ船に乗ってきたクルー以外の人と出会う。
孤島の原住民でもないその人物達は、驚くべきことに航海士の住まう大陸とは別の大陸からやってきたのだと言う。
それも一つではなかった。航海士達はそれぞれ六つの大陸からほぼ同じタイミングで孤島に到達し、そして孤島の中でそれぞれ出会ったのだ。
いくつもの紆余曲折があって、その孤島は六つの大陸にある六つの国のどれにも属さないものとして扱うよう条約が結ばれ、そして各国はその島を通じて他国と交流を図るようになった。その際に作られたのが、海洋横断鉄道―――通称「リンクライン」と呼ばれる、大陸と島を繋ぐ巨大な鉄道だった。
六つの大陸にはそれぞれに名と国家があった。
北の帝国『アンデルス』。
北東の王国『シーベルト』。
東の島国『風陣』。
南の連邦『モルティー』。
南西の公国『リリエイツ』。
西の共和国『アニエスタ』。
鉄道は六つの大陸からそれぞれ伸び、そしてその孤島と繋がっていた。
大陸から伸びる六つのリンクライン。その合流地点となったその島は、人々から世界の中心の孤島―――「リンクライン島」と呼ばれようになった。
この時代における最も重要な交通手段は列車である。
交通手段というものは他にも車や船、あるいは馬車というものもあるが、それらは小回りが利きやすいだけで列車の速度には到底追いつけない。
最速の交通手段といえば、やはり列車だろう。そして様々な物品が国を跨いで行き交う現代において、列車の存在は欠かせないものとなっている。
その最たるものが、海洋横断鉄道「リンクライン」だ。
現状において、他国へ渡る手段は列車に限られている。なぜなら、大きなくくりで世界に六つある国々は、その全てが海によって断絶されているからだ。
だが、そんな状況でも国家間の交流は行われている。それは貿易とて例外ではない。
全ては海洋横断鉄道を走る列車のおかげ。
この列車がなければ、各国は他国との貿易を重要視しようとはしなかっただろう。
だからこそ、その列車に何かトラブルでも起きようものならそれは大問題になるわけだが。
「この列車は我々『陽の出より顕れる支配』が占拠した! これより我らはリンクライン島へ渡り、共和国領土へと続くリンクラインを封鎖する!!」
共和国―リンクライン間の海洋横断鉄道において、大問題が発生していた。
トレインジャック。
列車という交通手段が最重要とされる現代において、最も恐るべき事態である。
大海原に架けられた橋の上を走る列車に乗っていると、水平線の先に陸が見えなくなることもある。それほどリンクライン島と大陸との距離は開いているのだ。
それほどの距離があると、このトレインジャックが発生した連絡を受け、軍人達が現場に到着するまでにはかなりの時間が必要となる。
だからこそ予め車内には警備兵が控えていたはずなのだが、それも全員やられてしまったらしい。
乗員乗客は実質的に人質となり、海洋横断列車はテログループの手に落ちた。
簡潔な言葉で表そう。
これは史上最悪と呼ばれるにふさわしい大事件である。
そんな史上最悪の大事件の真っただ中にありながら、布に包まれた長さ1メートルほどの棒を抱えた黒髪の少年―――レンは、いかにもつまらなそうに窓の外を眺めていた。
彼の心境が理解できないこともない。
海洋横断鉄道の車窓から見える景色は、長時間の走行期間中のほぼ90パーセントほどが海だけなのである。
代り映えのしない景色を何時間も見ていて面白いという感想を抱ける者はこの世界に何人いることか。もちろん、レンはそういった変人の類ではなかったので、ずっと眺めていた大海原に飽きていた頃合いだった。
問題は、緊急時である今において、その反応はあまりにも一般的ではないということだ。
あるいは恐怖のあまり神経がやられてしまったのかとも考えられるが、それも違うらしい。
「おい貴様、いつまで外の景色を楽しんでいるつもりだ」
テログループの巡回員が、ずっと車窓から外を見ているレンに高圧的な声を掛ける。
それを受けてもレンは動じなかった。肩一つ震わせることなく、無言で先程までと同じ体勢を保っている。
その様子が気に障った巡回員の男は、一つ舌打ちをして両手持ちの銃から左手を放し、レンへと伸ばす。
「おい、貴様聞いているのか―――」
相手が自分よりも圧倒的に劣っているという認識から生じる致命的な油断。だからこそ、巡回員の男は気付くことができなかった。
この少年に対してだけは絶対に気を抜いてはいけなかったということを。
派手な音を立てて、男の体が空中から地面へ叩きつけられた。
何が起きたのかわからないといったように唖然とする乗客達。
巡回員の男は気絶していた。見ると、その男はレンがいる席から10数メートルほど離れた車両後部側で伸びている。
ゆっくりとした動作で立ち上がったレンは、座席と座席の間にある通路に立つ。
派手な音を聞きつけて前方の車両からやってきたテロリストの仲間三人は、扉を開いてレンのいる車両へと乗り込んできたところでぎょっとする。
当然車両の後方で伸びている仲間の姿を見つけたこともその理由の一つだが、一番の理由は気づいた時にはレンはやってきた三人のテロリストに肉薄していたことだ。
次の瞬間には、すさまじい衝撃をもってその三人が前方車両に吹き飛ばされる。
その車両にいた見張りのテロリストが、何事かと銃を上げた。
仲間が吹っ飛んできた車両の扉をくぐってやってきたのは一人の少年。テロリスト達と比べると、年齢は一回りくらい下と思われる、ただの乗客だ。
だが、男達の顔は緊張でいっぱいだった。
この世界において年齢と強さは決して比例するものではない。
もちろん何の訓練も受けていない子供が大の大人に挑みかかっても勝てるわけはない。だが、その常識は覆せるということを、彼らはよく知っている。
そして、実際に覆したレンは、車内にいる全員の視線を集めながら、ゆっくりと手を動かす。
攻撃の予備動作ではなかった。動かした右手で、左手に持つ棒状の何かを包んでいる布を取る。
「なんだ、ありゃあ?」
テロリストの一人がそう呟いた。
布の中から現れたのは納刀された一本の剣。だが、その剣はレンが左手で鞘を握れるほどに刀身が細い。
結論を言ってしまうと、それは東洋において有名な「太刀」という剣だった。
レンはその剣を鞘から抜き放つこともなく、左手で握ったままその場に立つ。
そして一言、戦いの前にこんなセリフを吐いた。
「まだ島に入る前だっていうのに、ほんとツイてないなぁ、俺」
かくして、史上最悪になり得たはずのトレインジャック事件は、たった一人の少年の活躍によってそれほど話題になることもなくその幕を降ろすことになる。