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五感

夜8時前。母が帰宅した。


多忙な中、相当無理してきたようで、細い身体はより一層やつれて見えた。


それほど話し合いたいこととは何だろう。


世間話もそこそこに夕食の用意を促され、久しぶりに家族3人食卓についた。


白米、鶏の唐揚げ、ほうれん草のナムル、みそ汁。


ほとんど会話がないまま、箸が食器に当たる音だけが響く。


食事と片付けが終わり、再びリビングに集まった。


異様な空気が漂う中話を切り出した。


「話のことなんだけど。」


「うん。」


俺と姉が耳を傾ける。


「お母さんねぇ、そろそろ再婚しようと思ってるのよ。」





……




「え?」


「どういうこと?」


「お父さんと別れてから、結構経ったでしょう?何とかここまで1人で頑張ってきたけれど、やっぱり限界なのよ。それにあなたたちも大きくなって、子育てもひと区切りついたし、お母さんも好きな人と一緒にいたいの。次はお父さんの二の舞にならないように頑張るから……。」


姉が両方の手のひらで、テーブルを力強く叩きながら立ち上がった。


「……信じらんない。予定キャンセルして損した!」


足音を立ててリビングを出ていく。


母と目が合う。


「あなたは受け入れてくれるよね?アカシは今までずっとお母さんの味方だったから信じてるよ。お姉ちゃんには私がしっかり説得するから……。」


「いきなりのことでビックリしたから、すぐには答えは出ないよ。考えておくね。」


母はホッとしたようだ。


無理矢理にでも笑顔を作って良かった。


「今度4人でご飯にでも行こうね。」


話が終わったようで母は書斎に行き、持ち帰った仕事の続きを始めた。



自室に戻る。



勉強も、本も、パソコンの動画も、小学生以来遊んでいなかったゲームも全く頭に入らない。


電気を消して寝そべってみる。


目を閉じる。






……



タバコ、コーヒー、酒の匂い。



ヒステリックな叫び。



殴られ、蹴られる痛み。



血の味。



姉の涙。



父の静かに見下す目。





そして





母の勝ち誇ったような顔。






……




あの日に受けた五感の刺激がフラッシュバックする。


気持ち悪い。


急に吐き気が襲ってくる。


トイレに駆け込み、指をのどに押し当てて吐く。


あの時と苦しさが段違いだ。


涙が滲み出る。


甘いものがほとんどないせいか。


全て吐き終え、洗面台で口をすすぎ、汗まみれの顔を洗う。


鏡に映る自分と目が合った。


フッと自嘲気味に笑う。



こんなのが男前なわけあるかよ…。



額を鏡に打ち付ける。


鈍い痛みが伝わる。


こんな刺激じゃ収まらない。


やはり全てを吐き出さなければ。


胃の中身ではなく心の不純物を。


そういうときに思い浮かぶのはやっぱりあいつだ。


人を見かけで判断しない、本当の意味で向き合ってくれたあいつ。





ゆりと話したい……。



スマホのホームボタンを押してみる。


仕事中だろうか。


履歴のほとんどを埋め尽くす、あいつに発信する。



1コール……2コール……



何気ないことだが、この沈黙がもどかしい。



3コール……4コール…….





『はい。もしもし。』





「あ……。」


『もしもし?アカシ君?』


「うん。」


『どうしたの?いつもはメールしてからかけるよね?』


「えっと……。今何してる?」


『今?自分の家でテレビ見てるけど……。』


「そう……なんだ。あのさ……本当に急で悪いんだけど、今からそっちに行ってもいいか?」


『え?今から?』


「いや、無理ならいいんだ。近くのファミレスとか、あの公園のベンチでも。」


『……この時間にメールをすっ飛ばして電話かけてくるってことは、それほど切羽詰まってるんでしょ。いいよ、来ても。待ってるから。』


「悪いな。30分くらいで着くと思う。」


『気をつけてね。』


「ああ。」


電話を切り、軽く着替え、最低限の準備をした。



スマホ、財布。


それらをジーンズのポケットにねじ込み自室を出た。


「どこか行くの?」


靴を履いていると姉に声をかけられた。


目が腫れている。泣いていたようだ。


「友だちの家。たぶん泊まらないと思うけど、そんときには連絡する。」


「うん。いってらっしゃい。」


ドアを開ける直前、思いとどまり振り向いた。


「今日言った友だち、そのうち会わせてやるよ。きっとビックリするだろうけどな。」


「それってあんたよりイケメンってこと?」


「さぁな。」


姉が笑うので俺もつられてしまう。


女だ、なんて言えるはずがない。


「気をつけてね。」


「姉さん、ありがとう。」


照れを隠しながら玄関を出た。


姉さん、なんていつ振りに呼んだだろう。


心からの感謝の言葉も、子ども以来言っていない気がする。


先ほどまで雨が降っていたようで、湿気と生臭さを含んだ匂いがした。


「かたつむりの匂い」と表現していたころが懐かしい。


時刻は夜9時半。まだ電車は動いている。



俺は駅に向かい、走り出した。

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