【1-2】決意と儀式 あるいは 中二病と神様の暗黒日記帳
1−2話です。
「アンルルナァル、来なさい」
そこは、魔渇の獣が蔓延る魔森の奥地。荘厳な石造りの古びた外壁を伝い、ガンルルナゥルは一際大きな門扉の前で、アンルルナァルを呼び寄せた。門の上部には四角い紋章が埋め込まれている。四つ葉のクローバーを象った縁の中心に、眼孔が黒く塗りつぶされた少女らしき彫刻が施された紋章だ。
ガンルルナゥルはその紋章に目を向けると、祈るように頭を下げた。
「こちらへ。早く」
ガンルルナゥルが指を鳴らすと、門が大きく軋んだ。王たる者の帰還を祝うように、サビにまみれた大口から悲鳴を漏らしながら、ゆっくりとその内部を露わにする。
「行こう。ぐずぐずしてはいられない」
「はい、お父さま」
大口を開けた門は、大小二つの影をその漆黒へと飲み込むと、満足したかのようにゆっくりと閉じていく。門が完全に閉じきる頃には、辺りはすっかり静まり返っていた。
門を潜ると、すぐそこは地下へと続く階段になっていた。埃っぽく、薄ら寒い冷気がアンルルナァルの冷えた腕をさらう。
「暗いな」
ガンルルナゥルはそう呟くと、右手の指を鳴らした。するとそれまでは影すら見えなかった燭台に一斉に火が灯り、暗く湿った隧道を明るく照らし出した。
ガンルルナゥルは階段の汚れや段差が十分確認できることを確かめると、確かな足取りを持って、奥へと歩を進めた。父は何の目的があってこのような場所へと赴いたのか。アンルルナァルは薄ら寒い悪寒を感じながら、しかし父の歩みをただ追うのみと、心を鎮め、その苔むした階段を踏みしめた。
「アンルルナァル」
不意に、ガンルルナゥルが声を発した。
「はい、お父さま。どうかなさいましたか?」
「お前とこうして二人きりになることなど、今まであったかな?」
アンルルナァルが被りを振ると、ガンルルナゥルはふっと息を吐く。
「……そうか。いや、いいのだ。お前が私にどのような感情を持っているかなど、今更聞くまい。それを聞くには、少し遅すぎるのだから」
後悔はしているがね。そう呟いた父の後ろ姿に、アンルルナァルは隠しきれない悲しみを感じていた。
「お前は私の大切な娘だ。お前は私にとって自らの一部のようなものだ。だがお前にとっての私は、必ずしもそうではないのだろう。……息子たちも同じだ」
「そんなこと!」
「私は形式上の父に過ぎん、例え血が繋がっていようと。お前たちに何一つとて与えてやることなど出来なかった。贖罪の機もなく、このような事態に陥るまで、そんなことを考えたことすらなかった。私は王として生きてきたが、父親であったことは一度もなかった」
老いか、それとも死期を悟ったための感傷か。そこにかつての賢王の姿はなかった。アンルルナァルは、一回り縮んでしまったかのような父の背中を、ただ黙って見ていることしか出来なかった。
「だが、それもこれで終わりだ」
ガンルルナゥルはそう言って立ち止まった。気がつくと、目の前には大きな空間が広がっていた。暗く、湿った色合いの石壁に囲われた、長方形の形に広がる大きな部屋。殺風景な光景のその中心には、ハルルバルダル王家の家紋に表される、眼孔の暗く窪んだ少女像が置かれている。
像はその暗い眼差しを侵入者へ向け、薄く怪しい光をその身に纏っていた。光を浴びるでもなく、反射するでもなく、光は像そのものから発せられているように感じられ、アンルルナァルはその女神像の神秘的な輝きに目を奪われた。
「アンルルナァル、女神様のお側へ」
そう言うとガンルルナゥルは少女の像の隣へと進んでいった。アンルルナァルはただ頷くと、その暗い眼孔へ引き寄せられるように足を動かしていく。不思議と、像に近づくにつれて光が強くなっているような気がした。それと同時に、階段で感じた悪寒が、より強く背中を駆け上がっていくようにも思えた。
「よいか、アンルルナァル。今から私が三つ数える。その間に、お前は何か楽しいことを思い浮かべるのだ。さぁ、準備をなさい」
ガンルルナゥルは像の側に立つと、アンルルナァルの手を取った。その手は、ひどく冷たい。アンルルナァルはふと感じた悪寒の正体に思いを馳せ、それが今まさに自らを包み込まんとしていることを自覚した。
「お父さま……」
アンルルナァルのか細い声に、ガンルルナゥルは声を詰まらせた。アンルルナァルの手は震えていた。
本当に、これでいいのだろうか。一瞬、そんな考えが頭をよぎる。
こんなか弱い少女に、私はどれほどの重責を担わせようとしているのだろうか。それほどの価値はあるのだろうか。他に方法はなかったのだろうか……。
「いいのです、お父さま」
穏やかな、しかし力強い口調でアンルルナァルは言った。ガンルルナゥルは顔を上げ、アンルルナァルの顔を見つめる。
「お父さまは間違ってなんかいません。お父さまは王なのですから。私よりも、もっと大切な、守るべきものをお持ちですもの。それを違えることは許されませんわ。……私なら平気です。だって、最後はお父さまがお側にいてくださるのですもの」
「アンルルナァル……」
「そんなお顔なさらないで。私はお父さまの、この国のためになるのなら、辛くなどありません。お父さまが何をなさろうが、私は信じています。私の信じたお父さまが信じた道ですもの」
アンルルナァルは女神像へ向かい合うように跪き、祈りを捧げるように両手を合わせた。そんな娘の姿を、ガンルルナゥルはじっと見つめていた。決してその瞳からその影を失わぬように。決してその記憶からその姿を消してしまわぬように。
「アンルルナァル。今から三つ数える。お前はその後、長い、長い夢を見ることになる。いつ覚めるかもわからぬ長い夢だ。だから、楽しいことを考えなさい。夢の中では、幸せでいられるよう」
「はい、お父さま」
ガンルルナゥルは娘の頭に手を当て、祈った。
神よ、我が娘に祝福を。
「お父さま、さようなら」
アンルルナァルが呟いた次の瞬間、二人は眩しいばかりの光に包まれた。光は段々と大きく膨らみ、部屋を丸ごと埋めるかと思われたその瞬間に、ふっと消えて無くなった。そして光とともに、アンルルナァルは消え失せていた。
ガンルルナゥルは女神像に向けて最大限の祈りを捧げ、踵を返して足早に姿を消した。誰もいなくなったその空間で、ただ静寂と暗き眼孔の女神像だけが、互いの存在を認めるのみであった。
@@@
「異形召喚?」
麻央はそう言って首をかしげた。その口元は小馬鹿にしたように口角が上がり、目元は「こいつら馬鹿なんじゃないか」と言わんばかりに緩んでいる。
「ヨッシーさんとにぃに、中二病の適齢期はもう超えているはずだけど。やっぱり学校行ってないと暗黒面からの脱出は困難なのかな。にぃにのヒストリーに闇深い過去が刻まれること自体は、妹的に交渉材料を得ることに直結するからして、歓迎御礼万々歳なわけだけど。でも異形召喚ってのはどうかな。中二病ランク的に特別賞受賞って感じかな。もう半分くらいオカルトだよね。こじらせて熟成された中二病の臭気に、もう私クラクラだよ」
「ははん。麻央ちゃん。相変わらずだねぇ」
吉田くんはまるで意に介さない様子でニタニタと笑っている。
「せいぜい笑っているといいさ。今に驚いて腰をぬかすことになるんだからね」
僕は縛られたままの両手を動かして手を上げた。
「それで、僕が縛られているのは何故なのさ」
「ああ、それは生贄ですよ。イ・ケ・ニ・エ」
僕は唖然とした。吉田くんは口を開けたままの僕を見て、すまなそうに片目をパチンと閉じ、おちゃめに舌を出してみせた。男にウインクされても少しも嬉しかない。それが友人を生贄にしようという男の態度か。
「いいですか、相楽田くん。僕が手に入れたこの秘蔵書によると、召喚の儀を行うために必要な材料は全部で4つ。処女の涙、処女の唾液、処女の爪、破瓜の血……」
「処女厨かよ! 一体どんな変態を呼び出すつもりなんだ吉田くんは!」
「そしてそれらを、この麻の布袋に詰めて、藁で縛る」
そう言って吉田くんはどこに入れていたのか、小さな巾着を取り出すと、得意げに僕の前で一振りする。
「そうしてイケニエと共に女神様に呼びかけるんです。『混沌と変化を司りし古代の女神。高潔なる願いをここに。純潔なる証はここに。ニンズ・ヒュムニル。イロ・ヒュムニル!』、と」
「え? なに? なんだって?」
「そうすると数瞬闇が訪れた後、空間が割れ、女神様が現れる!」
「何の女神だよ」
「知りませんよ! そんなことどうでもいいじゃないですか!」
モノスゴク真剣に言い切る吉田くん。途中から明らかに別次元へ意識をトリップさせている我が友人に、僕はめまいと頭痛を抑えるのに必死だ。
「イケニエは何のために用意されてるんだよ?」
「ああ、女神様をこの世に召喚するために、ちょっと生命力を借りるんですよ」
「生命力?」
「まぁ、つまるところ寿命ですかね」
「は!? いや、いやいや、僕はやだよ。ごめんだよ。助けて! 助けて麻央!」
世に悪魔召喚は数あれど、寿命を持って行かれるなんて、要求としてはかなりヘヴィな部類と言えるんじゃなかろうか。
僕は芋虫みたいに地べたを這い回り、麻央に助けを乞うた。
「安心してください。本によれば取られる寿命はこっちの世界の数分程度らしいですから」
「なら君がやればいいだろう!」
「ところがどっこい、僕には祭事長としての役目があるから、違う人間に任せるしかないんですよねぇ。まして、僕のこんな与太話に付き合ってくれる友人と言ったら、相楽田くんぐらいのもんでね」
誰が与太話に付き合うと言ったのか。
「なら、僕がその祭事長をやるよ」
「さてと、儀式の支度をしないと……」
明らかに僕から目をそらし、吉田くんはさっさと準備を進めていく。最低だ。
「はい。ヨッシーさん、質問」
麻央が手を挙げる。
「にぃに、大丈夫なんだよね。儀式の影響で死んじゃったりしないよね」
「もちろん。危なそうならすぐ中止しますよ。相楽田くんは大切な友人ですから」
「ならいいけど」
麻央の目に、一瞬だけ暗い感情が浮かんだ。
「もしにぃにに何かあったりしたら、ヨッシーさん、ただじゃ済まさないから」
「もちろんですよ! 任せてくださいって」
吉田くんは麻央の表情の変化に気がついていないのか、お気楽におどけて見せた。
「さて、さっさと準備を済ませましょうか!」
そう言うと、パンと乾いた音を響かせ、吉田くんが両手を叩いた。なんとも楽しそうにロウソクを並べ始める吉田くんに、僕はため息が止まらなかった。
「ニンズ・ヒュムニル! イロ・ヒュムニル!」
「にんずひゅむにる。いろ……」
「相楽田くん! もっと念を込めてください! 相楽田くんの生命エネルギーに反応して女神様が現れるんですから!」
「いや、もう諦めようぜ。何回目だよコレで」
「ぬぅ」
吉田くんは険しい表情をして、僕の部屋に広げられた怪しげな魔法陣が描かれているマットを睨みつけた。もうかれこれ三十分は呪文の詠唱を続けているが、女神はおろか、悪魔も天使も妖精の一匹だって姿を見せることはなかった。
「いいよ、もう。楽しかったよ。たまにはこういうのもさ」
僕は相変わらず縛られている手足を吉田くんに突き出し、さっさと拘束を解くよう、二、三度左右に手を振る。吉田くんは残念そうに目を伏せると、ハサミを結束バンドに差し込んだ。
「ハァ。まぁそううまくはいきませんよねぇ」
カチン、カチン。と小気味良い音を立てて、僕の手足を拘束していたバンドが二つに分かれた。ようやく自由になった両手を頭の上へ持ち上げて背伸びをすると、ポキポキとどこかの骨が嬉しげに軋む音が聞こえる。
「いかにも! って感じな古びた書だったので、つい試したくなってしまって。相楽田くんには無駄な時間を取らせました」
吉田くんはさほどショックを受けた風でもなく、軽く笑って見せた。
「へぇ、そんな雰囲気ある本なのか?」
「ええ。ほら、これですよ」
吉田くんは勿体つけるでもなく、あっさりとカバンから一冊の本を取り出した。
ーー真っ黒だ。僕は一目見てそう思った。
厚さはさほどでもない。一般的な新書程度の大きさで、表紙は固く、艶のある光沢を放っている。色彩は黒一色で、長い間放置されていたのか、所々埃汚れで茶色く煤けていた。
「どうです? なかなか真に迫っていると思いません?」
「うん。なんか雰囲気はあるね」
僕は吉田くんから本を受け取ると、表紙に手をかけた。艶のある表面はつるつると滑らかで、何か動物の皮で出来ているようだった。
「開けてもいい?」
吉田くんが頷くのを待ち、僕は本を開いた。
本を開いてすぐに目に飛び込んできたのは、円の中心に四葉のクローバーを象った模様と、その中央でこちらを見つめる眼孔を黒く塗りつぶされた少女の絵だ。それが見開きでページいっぱいに描かれ、黄ばんだ紙を黒く塗りつぶしていた。
ページをめくると、吉田くんが実行した儀式の方法が、続いて必要な材料、使用する魔法陣を記す順序が載せられていた。僕が次のページを見てみようと紙の端をこすると、吉田くんが少し遠慮がちに言った。
「あー。そこから先は、あまり有用な情報は載っていませんよ」
「そうなのか?」
「うぅん。と言いますか……」
吉田くんはバツが悪そうに目を伏せた。
「なんだよ。気になるな」
「気味が悪い文章しか載っていないんで、あまり見てもしょうがないかと。内容的にも儀式とは関係なさそうですしね」
「気味が悪い……」
そんな本に載っている魔術なんて試すなよ。そう思わなくもなかったが、確かにこの本には何か魅かれるものがある気がした。見つけたのが僕でも、多分試しただろうな。そう思った。
「見てもいい?」
「お好きなように」
吉田くんはすっかり飽きて漫画を読みふけっている麻央のそばに腰掛けると、棚から数冊本を取り出し、目を落とした。
僕は再びページの端を掴むと、ゆっくりとめくっていった。
『くらい。さむい。いたい。私の身体を齧るのはやめて。私の心を貪るのはやめて。私は世界を救ったのに。私はみんなを守ったのに。身体が痛い。心が痛い。どうしてみんな私を見るの? どうして私を傷つけるの? みんな答えず消えていく。私の中に消えていく。その目は、その耳は、その牙で、その爪で。私を貫いて痛めつける。私を捉えて離さない。私を捉えて喰いちぎる。私を引き裂き圧し潰す。それでも私は世界を守る。それでも私は誰かを守る。私を殺した世界のために。私を見捨てた人々のために。暗い。暗い。闇の底に。誰もが闇の底に。世界は闇の底に。私は闇の底に。ただ、せいじゃくが、さみしいよ。だして。だして。だして。私は一人じゃない。だして。だして。だして。私のために傷つくのはやめて。おねがい。ここからだして。もうころして。お兄ちゃん、ありがとう。だれか。だれか。わたしをしなせて。お兄ちゃん、わたし、もう。だして。だして。もう、なんにもわからないよ。だれか。くらいよ。さみしいよ。だれか、わたしを……』
ーー
1−3話から異世界です。