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【1-1】 異世界と僕ら あるいは オタクと妹とBlack History

初。(伝われ@願い)

 そこは、ただ真っ暗な獣道だった。ガサガサと肌に草木が絡み、ズルズルと濡れた落ち葉が足の自由を奪う。遠くで揺れる赤い光がいかにも所存無さげに揺らめいて、凶悪な悪意を滾らせながら、蠢き、嗤い、悪夢の残光を薄暗い森の暗闇に焼き付けた。

「……!」

「……っ……!」

 遠くから男たちの怒声が聞こえた。狂ったような甲高い奇声を帯びた声色に、赤い光が連動する。

「お、お父さま……!」

 木の根に足を取られながら、二つの影が手を引き合い斜面を下っていく。フードのようなものを被った影のその小さい方、表情こそ見えないが、明らかに引きつった声が、闇にその恐怖を伝える。

 その声は酷く美しく、幻想的で、しかし同時に儚くもあった。

「お父さま!」

 不安を隠しきれずに、美しい声が再度闇を切り裂いた。

「アンルルナァル! わかっておる! 静かに、私の手の熱にだけ集中しておれ! 決して振り向くな。私だけを見ていればよい!」

「で、でも、お父さま……!」

「アンルルナァル!!」

 しわがれた、しかし威厳に溢れた声が闇を打った。その怒声とも取れる剣呑な声音に、アンルルナァルと呼ばれた少女はひゅっと息を飲み込むと、それきり俯いて黙り込んでしまった。

「よいか、アンルルナァル、よく聞け。我らの同志は勇敢であった。敵が如何に強大であろうと、皆怯まずに戦い抜いた。例えそれが我が身の破滅を招くことになろうとも、ただ一つの信念のためにあの場に留まったのだ。我らがこの歩みを止めてしまったら、我が同志達の信念はそこで潰えることになろう。よいか、アンルルナァル! 我らは進まねばならぬ。我らが同胞たちの忠義に報いるためにも、我らの守るべき民のためにも、そして何より、我ら自身の信念のためにもだ!」

 アンルルナァルは小さく頷いた。かつて賢王と呼ばれたガンルルバゥルの、そして今は逃亡者となった父の、その願いを、その小さな胸に刻みつけた。それが正しいことなのか、それが自分を救ってくれるのか、そんなことはアンルルナァルには知る由もないことであったが、ただの無力な少女に、何ができるわけでもなし。ただ信ずる人の信ずる道を、信ずるのみだ。

「行くぞ、アンルルナァル。ここはまだ危険だ。歩みを止めるな。前を向け。案ずるな。私が必ず、お前を守る」

 フードを被った二人組はそれきり黙ると、より闇の深い森の中へ、その姿を埋めていった。魔の匂いに誘われた、真っ赤な死胡蝶のみが、その容易ならざる運命を赤々と映し出すのだった。


 @@@


「で、吉田くん。これは一体なんのつもりなんだい?」

 僕は足に巻きつけられた結束バンドを指差し、言った。両指は自由に動かせるものの、手首も足に付けられたものと同じもので固定されている。緩めに締められているためかさほど痛みは感じなかったが、立ち上がることが困難である程度には、その自由を侵害されていた。

「やや、お目覚めですか、相楽田くん。いくら自室とはいえ、そんな無防備に眠っていたら怪しい人にイタズラされてしまいますよ? ……クッククク」

 吉田くんは何やら不穏なことを呟くと、喉を鳴らして不敵な笑みを浮かべた。テレビの悪役がよくやる、アレだ。

 僕は、メガネを光らせ虚ろな瞳で僕を見つめる吉田くんの姿に心の底から恐怖し、全身から嫌な汗が吹き出るのを実感していた。

「あれか? 君、実はそっちのケがあって僕を手篭めにしようとか、そんな魂胆か?」

 自然と大殿筋に力が入る。

「僕はごめんだぞ。僕を犯したいのなら美少女になってからやってくれ。頼むから。お前のようなオタクメガネに処女を奪われたくなんてない」

「いやいや、流石に君を犯そうなんて気は微塵もありませんよ。……ていうか、美少女になら掘られてもいいんですか相楽田くんは。あと大腸に処女膜はありませんから」

 吉田くんは半ば呆れたように肩を竦めると、また元の嫌らしい表情を浮かべて、言った。

「なに、相楽田くんに危害を加える意図はありません。その拘束はこれから行う事に必要な工程でして」

「なんだって?」

 僕は頭の中でいくつか拘束が必要な作業を思い浮かべた。鞭。縄。ロウソク。針……。そのテの道具が次々と浮かんでは消えていく。ニヤニヤしながら近づいてくる吉田くんの姿が、いつかどこかで見たそういう趣味をお持ちの方々と重なった。

 僕は半分パニックになりながら叫んだ。

「ま、待て待て、吉田くん、待って! 君にどんな趣味があろうと別に詮索も口出しもしないよ!? でも無理やりするのはどうかと思うな!? 説明を求めるよ! まず何をするか説明してから事に及んでくれ!」

 本気で恐怖する僕の顔を見て、吉田くんはまたも呆れたように目を見開いた。

「はい? 何って、まさか何も覚えてないんですか?」

「え? 僕が何か約束したのか? 君の変態性欲に付き合うことをか!?」

「いい加減にそこから離れてください……。そういう願望でもあるんですか相楽田くんは……」

 そう言って吉田くんはため息を吐いた。

「全く、もうお忘れですか? 僕らの決意を」

 吉田くんはカバンから一冊のノートを取り出した。それは極々普通の大学ノートで、僕も学校の授業で使っている、なんの変哲もないものだ。相当使い込んでいるらしく、ところどころ消しカスや手垢で黒く汚れていた。表紙の中ほどに書かれたタイトルに目をやると、『異世界探訪計画』……。

「あっ」

 その大きさが不揃いで不恰好な文字には見覚えがあった。そう、これは僕のノートだ。僕が数年前、中学生活の中頃にしたため、そして吉田くんに貸していた、いわゆる、そう……、

「なんでそんなものまだ持っているんだよ!?」

「そう、君の黒歴史ノートですよ」

 吉田くんはそう言うと、ノートをパラパラとめくり、無作為に朗読を始めた。

「魔王エルランドゥルに対抗するために必要な秘宝は全部で四つあり、それぞれを七賢人と呼ばれる守護者が守っている。主人公のライナス・アドクリフは七賢人の末裔で、幼馴染で国一番の美人と名高いクリスタ・エメロンと共に破魔の旅へと……」

「うわあああああああああああああああ!!」

 僕は魂の奥の奥の、何かとても大切な部分を無遠慮に掴みあげられ、大衆の目に晒されているかのような錯覚を覚えた。

「読むな! やめろ! やめてくださいお願いします!」

 僕は恥も外聞もかなぐり捨て、吉田くんに縋り付いた。

「お願いします吉田さま! 後生ですからそれは返してくださいぃ……」

 吉田くんは僕が思ったよりも反応したことに驚いたのか、ノートと僕の顔を何度か見比べ、なんだか愉快そうに、僕から見れば心底意地の悪い微笑みを浮かべた。

「いや、いやなに、僕にそんなつもりはないですよ。別に君の恥ずかしい記録を暴露したいわけじゃなくてですね……」

 吉田くんは何故だか迷っている様子だったが、僕の顔を見て何度かクックッと喉を震わせると、名残惜しそうにノートを閉じた。

「おいおい! 返してくれよ」

「もちろん、返しますよ。別にこのノートで相楽田くんを笑い者にしに来たわけじゃないですからね」

 吉田くんはそう言うと、急に真剣な表情になってメガネを持ち上げた。

「実は、試したいことがあるんです」

「なんだよ。試したいことって」

「それはですね……」

 吉田くんが緊張した面持ちで口を開きかけたその時、僕の部屋のドアがドンドン、と鳴った。

「ちょっと、にぃに! さっきから何騒いでるの? 妹的にはまたにぃにがおかしなことしてるんじゃないかって気が気じゃないんだけど。好奇心と恐怖心的に今すぐドアを開けて中を確認させて欲しいけど、私こと妹にも慈悲はあるから、十数える間に見られるとマズいものを隠すことをお勧めするよ」

「マズい、妹だ!」

「へぇ、相楽田くんの家には何度もお邪魔してますけど、そういえば最近は妹さんに会っていないですね」

 吉田くんは懐かしむように目を細めると、一人うんうんと頷いていた。

「何呑気なこと言ってるの!? 早くそれ隠して!」

「今から十数えるけど、妹こと私、相楽田麻央は悠長に時間を数えることが嫌いなわけで。ゆえにお風呂でも三の倍数を飛ばして数える方式を取っているわけだけど。今回も当然のことながら麻央式カウンターでお届けするよ」

 麻央はそう宣言すると大きく「い~~ち!」とカウントを始めた。

「ほら早く吉田くん! それ隠して! マズいって!」

 ノートの存在を麻央に気付かれるわけにはいかない。兄としての威厳はおろか、今後恒久的に彼女に交渉の材料を与えてしまうことにもなりかねない。……というか、僕の自尊心が耐えられない。

「に~~い。……ごぉ~~……」

「あいつ! 三の倍数だけじゃなく四の倍数まで飛ばす気だ!」

 こうなると、僕に残された時間は残り……三秒! 自体は刻一刻と最悪の事態に向けて進行している。可及的速やかに危険を排除しなければ。

「吉田ぁぁぁぁ!」

 僕は手足が縛られていることも忘れ、ノートに飛びついた。脳のリミッターは、今こそ解放の時と判断を下したのだろう。我ながら驚きの正確さを持って、僕の体はノートに向けて射出されたのだ。

「うわっ! 相楽田くん、危な……!」

 いきなり飛びかかられ、バランスを崩した吉田くんは、重力のままに落下しつつある僕の体重を支えることができず、膝を折る形でその場に尻餅をついた。僕は自分で体勢を立て直すことができずに、結果として吉田くんに覆いかぶさるような形でその勢いは収束した。

「ノートは!!?」

 目的のブツは衝突の衝撃で吉田くんの手を離れ、どこかへ行ってしまっていた。目につきそうな場所をざっと見渡すも、それらしきモノはない。

 僕はホッと息を吐いた。これで一応は一安心……。

「きゅ~~う、は三の倍数なので飛ばして、じゅう! ほいどん。お邪魔します、にぃに」

 麻央のカウントが終わり、どうやら入ろうとしているらしき声が聞こえた。ドアノブがくるりと回る。

「かくして、麻央こと相楽田湊の妹である私オンリーだけど探検隊は、怪しげな騒音を響かせる兄の部屋へと潜入を試み、……た……」

 麻央の表情が固まる。長いまつげを携えた大きな瞳は一際大きく見開かれ、ぷっくりと膨らんだ唇は閉じられることなく、驚嘆を示す引きつった吐息を吐き出した。

「こんにちは、麻央ちゃん。久しぶりですね。なんだか随分可愛くなりましたねぇ」

 吉田くんがひらひらと手を振る。

 麻央は半分固まったままの表情筋を無理に動かし、ぎこちない笑顔を作ると、吉田くんに合わせ、手を挙げた。

「残念ながら私にはそういう趣味はないけども。いずれ腐女子の友人が出来るかもしれないことを鑑みて、ちょっと写メらせてもらうよ、にぃに」

 そう言われて初めて気がついた。今僕が緊縛された状態で、吉田くんに抱かれるような格好でいることに。

「ちょ、ちょっと待って、麻央。話を聞いて」

「変態両刀ドMにぃにの妹こと私にも、人に言えない心の闇やら秘密やらは一つや百個程度モチロンあるけども。実の兄がそういうことを妹のいる家で敢行しちゃうような精神状態にあるなんて、知りたくなかったよ。この感情を言語化するには少し語彙パワーの不足を感じるけど。あえて妹的慈悲を込めて、警告がてら言わせてもらうなら」

 そこで麻央は僕から目をそらして、呟いた。

「ドン引き、だよ……。にぃに」

「だから違うってぇ!」

 僕はあらん限りの声を持って、そう叫んだ。

 この空間で吉田くんだけが、楽しそうに喉を震わせて笑っていた。

(1話じゃ)異世界には飛べなかったよ……。

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