第三十八話 決戦
……うん。カイルさん、ぼく絶対勝つよ。君がしてくれたこと、無駄にしない。君が生まれ変われるように、絶対に未来を切り開く。ぼくの仲間を殺させはしない。ぼくが、終わらせる……!
消えていったカイルさんにそう心の中で声をかけ、ぼくは涙を拭った。みんなと目を合わせ、頷きあう。
このメンバーで生き残るんだ!
バァン!!
その時、物凄い音がぼく達の鼓膜を震わせた。びっくりして音の方向を見やると、水無月さんがぶつかったところの瓦礫が吹き飛んでいて。
砂埃の中、瓦礫の山から彼女が出てくる。
「あいつ、あの瓦礫を吹き飛ばしたのか……!?」
カイ君が声を上げる。
そうとしか考えられない状況だった。彼女を中心に、周りに瓦礫が散らばっている。
彼女は歩いてくる。俯き加減で、足音を響かせながら。そして、ぼく達から三十メートルほど離れた場所で立ち止まると顔を上げた。
憎悪だった。その顔は、物凄い怒りで染まっていた。水色だった眼が、今は黒く光っているようで。
彼女は何も言わずにぼく達を睨むと、その拳に力を入れた。
刹那、大地が震えた。同時に、ぼくは信じられないものを見る。
「石が……!」
地面を転がっていた石や瓦礫が、宙に浮き始めたのだ。重力に逆らって持ち上げられたそれらは、水無月さんの頭上に集まる。
これも水無月さんの力!? でももう魔法は使えないんじゃ……!?
「なんだよあいつ……普通じゃねえ……」
「そんなこと、もうとっくにわかってただろ……っ」
カイ君とルークもそんな声を漏らす。
お兄ちゃんが先生を振り返った。
「先生! カイルは……失敗したのか……?」
「……いや、カイル君の魔法は成功しているよ。あれは魔法じゃない。あれは、この世界を動かしてるんだ」
この世界を……そうか、彼女はここの構造を知ってるから。
だけどここは、元はぼくが作り出した世界。ってことは……。
先生を見上げる。目が合う。
「ソラちゃん、今の萌香の行動を止められるのは君だけだ」
やっぱり……。
ここは本来ぼくが作り出し、ぼくだけが操れる世界。だけどそこに水無月さんが入り込み、ぼくより先に世界を動かす方法を知ってしまった。主導権を握られてしまった。それを今、取り返さないと……。
だけど、どうやって……。
「ソラちゃん、君は念じるだけでいいんだ。この世界は君の味方のはず。水無月さんに操られてる君の子の目を覚まさせてあげるんだ」
この世界はぼくの子供……念じて、言うことを聞かせる……。
でも、イメージが全然わかないよ……。
「ルーク! 危ない!」
唐突に、お兄ちゃんの声。ハッとして目を向けると、浮き上がった石がルークに迫っていて。
「やめてっ!」
思わず声を上げる。
瞬間、石が鈍い音を立てて砕けた。破片が散らばり、地面に落ちる。
え……い、今のってぼくが……?
「君のルーク君を守りたいっていう心が、あの石を壊したみたいだね。今の感覚、覚えてるかい?」
「……はい」
覚えてる。僅かだけど、あの石を砕いた感覚がある。これが、この世界を操るってこと……。
まだ実感は沸かない。けれど、これしかみんなを守れる方法がないのなら……この感じを忘れないようにしてやるしかない。
ぼくは水無月さんの頭上の石を見つめた。それを握りつぶすようなイメージで……拳に力を入れる。
するとまた、その石はバラバラに砕け散った。
よし、この調子で全部壊せれば……!
「鬱陶しいわねぇ!」
「っ……!」
完全に怒っているものと思われる水無月さんの声。視線を下げると、目を見開いてぼくを見つめる彼女がいて。途端、宙を浮く石の量が増えた。石どころか、瓦礫の中から鉄柱やコンクリートなども持ってきている。
「あんた達全員、死ねばいいのよ!」
「ルーク!」
「ああ!」
一斉にこちらに向かってくる瓦礫の一部。同時に、ルークとロイ君が前に出た。
素早く詠唱する二人。その言葉に反応して、ぼく達の周りに透明な壁が出来る。
シールド!? 二人も使えたの!?
「ソラ! 今のうちにあの瓦礫をどうにかしろ!」
「このシールドはいつまで持つかわからない!」
「あ……う、うん!」
二人の呼びかけに慌てて返事をし、ぼくは攻撃して来る瓦礫の群れに目を戻した。頭を働かせる。
あれを一つ一つ消してたらキリがないし間に合わない。シールドが破られる前に、何か一気に破壊する方法を考えないと!
ふと、一つの剣が目に入った。ぼくが右手に持っている剣。この世界のお母さんの形見。
これ、使える……!
ぼくはすぅっと息を吸い込んだ。
慌てそうになる心を落ち着かせ、静かに剣を握る手を動かす。身体の左側に持ってくると、低い位置で地面と平行にした。腰も低くし、宙に浮く瓦礫に意識を集中させる。
ねえみんな……ぼくの仲間を、ぼくの大切なものを、傷つけないで!
思いっきり薙ぐ。
すると、剣から風のような淡い光が飛び出した。光は刀のような形を作りながら宙に向かって飛んでいき、集まっていた瓦礫を一斉に砕く。
出来た……!
「よっしゃあ!」
カイ君が歓喜を上げてくれる。しかし、すぐに別の瓦礫が浮き上がってしまった。
くっ、もう一回!
ぼくは再び腰を落とす。が……そこでずきりと胸が痛むのに気づいた。え……と自分の身体に視線を落とすと、手が震えていることもわかって。
これはなに……? なんでぼくは怖がってるの? ぼくはなにを恐れてる? 躊躇してる場合じゃないのに。今はみんなを守らなくちゃいけないのに!
震える手に力を入れ、身体を奮い立たせるように瓦礫を見上げた。そこで、またしても異変に気付く。瓦礫が、小さくだけどぶるっと震えたんだ。
ふと水無月さんを見てみる。彼女の様子に変化はない。しきりにこちらに攻撃を仕掛けてくるだけで、特に力んだり怯えたりしてる様子はなかった。
じゃあ、今あの瓦礫はひとりでに震えたの……? まるで、ぼくを怖がってるみたいに……。
「怖がって……あ……!」
不意にさっきの先生の言葉が蘇った。
――君の子の目を覚まさせてあげるんだ。
ぼくの子……そうだ、ここにあるものは全部ぼくの子なんだ。じゃあ、ぼくは今自分の子を傷つけてる……? だからあの瓦礫は怯えてるの……?
普通だったら信じられない話だ。でも、この空間は普通じゃない。ぼくが無意識に石やコンクリートにも命を吹き込んでたとしたら、有り得る話なんだ!
「じゃあ、さっきの胸の痛みは……」
自分の子供を責めた痛み……。
駄目だ……この方法で止めるのは駄目だ。別の方法を考えなくちゃ!
先生は他になんて言ってた? 確か……君は念じるだけでいい、この世界は君の味方のはず……。
ぼくはそっとその場にしゃがみ込んだ。
今動かされてるのは地面と石。じゃあ、地面に呼びかけて見れば……目を覚まさせてあげられるかもしれない。傷つけなくても、味方に戻せるかもしれない。
やり方は全くわからない。教えてくれる人もいない。だったら、自分で探すしかない。やれることは全部やってみなきゃ。
ぼくは地面に手を当てた。目を瞑り、話しかけてみる。
ねえ、君は今あの子の言うことを聞いてるんでしょ? ぼくの声が聞こえる? 聞こえてるなら、やめてほしいの。
小さな振動がぼくの指に伝わる。
今まで、君たちに気づかなくてごめん。傷つけちゃってごめん。でも、もう大丈夫だから。遅くなっちゃったけど、ぼくは君たちに気づけたよ。
今まで、守ってくれてありがとう。もういいよ、ゆっくり休んで、眠って……おやすみ。
自然と、そんな気持ちがぼくの胸から溢れ出した。
瞬間、風がやんだような気がした。音もなくなる。
目を開けて前を見ると、襲って来ていたぼくの子達がみんな停止していて。それらはゆっくりと地面に戻り、動かなくなる。
よかった、成功した……!
「……ざけんな」
「ソラ!」
ルークの叫び声。パリンという、シールドの割れる音。
ハッとしたぼくの目に映ったのは、迫り来る水無月さん。
息をついてる暇はなかった。
咄嗟に剣を顔の前に持ってくると、甲高い音が鳴り響く。なにが起こったのかわからないまま、身体ごと後ろに吹っ飛ばされた。
尻餅をつく。痛みに剣を落としそうになるのをぐっとこらえた時、その腕が重くなった。
「う、くっ……」
後ろに倒れそうになる身体をなんとか支え、手に力を込めてその先に目を移すと、やはりそこには怒りに染まった水無月さんがいた。
彼女はいつの間に手に取ったのか、自分のナイフをギリギリと押しつけていた。声を荒げる。
「ふざけんじゃないわよ! あんた、何あたしに逆らおうとしてんの!」
「っ……!」
背中が地面につく。乗りかかってくる水無月さん。罵声が降ってくる。
「あんたはねぇ、一生あたしのおもちゃになっていればいいのよ!」
バッと彼女の腕が上げられた。その剣の先端がぼくの胸に向けられて……。
ぞわりと悪寒が走る。まずい、と頭が警告を鳴らした。
刹那。
びゅっという音と共に鼻先を風の塊が通り過ぎた。
水無月さんが左に吹き飛ぶ。
反対側に首を巡らすと、団扇を持つルミちゃんがいて。
「ソラちゃん! 大丈夫!?」
「う、うん」
ルミちゃんが手を貸そうとしてくれる。しかし、相手はそんな時間を与えてはくれなかった。ルミちゃんがこちらに来る前に、ぼくの目の前を水色が通過する。
「ルミッ!」
「ッ……!?」
ロイ君の声に応えたルミちゃんは後ろに下がりながらまた団扇を仰いだ。
しかし、その風は水無月さんの髪を巻き上げただけだった。ルミちゃんにナイフが迫る。
その一瞬を止めるかのように。
パンッ!
乾いた音が鳴り響いた。
ぐらりと水無月さんの重心が右に傾く。僅かに逸れたナイフはルミちゃんの頰を掠る。
「やった! 当たった!」
喜ぶ声はピクちゃんのもの。その手には睡眠銃が。
ルミちゃんがロイ君に引かれて水無月さんと距離を置く。
水無月さんはというと、膝をついて頭を抑えていた。
かと思うと、ばっと立ち上がって。
「邪魔を……するなあああ!!」
絶叫。物凄い形相で今度はピクちゃんに突っ込む。
「ピクッ!」
カイ君が走り出す。
しかしそれより早く振り上げられるナイフ。同時にピクちゃんも、さっき奪った水無月さんのナイフを頭上へと持ってきて。
キィィィン!
耳を貫くような高音。ナイフを交じらせた二人の動きが止まる。
そこにカイ君が突撃した。
「モエカァ!」
「チッ……!」
体当たりと共に水無月さんに乗りかかるカイ君。けれど勢いが抑えきれず二人は掴みあったまま地面を転がる。
その末に上に来たのは水無月さんで。
ナイフがカイ君の首へと吸い込まれる。
「だめえええ!!」
制止の声も虚しく……パッと赤が舞った。それは水無月さんまで飛び、カイ君の上に降り注ぐ。
けれど、ぼくの目に飛び込んできたのは強く前を見据える青い瞳で。
「まだだ……おれは、お前には負けねー!」
彼は、自分の首に突き立てられそうになったナイフを素手で掴んでいた。さっきのお兄ちゃんのように。
瞠目する水無月さん。カイ君はナイフを奪おうと手を引く。
しかし、すぐに水無月さんも反応してしまう。カイ君のお腹に足を落とし、彼の手からナイフを抜き取った。
「うぐぅ……!」
「カイ君!」
顔を顰めるカイ君にピンクちゃんが駆け寄る。同時に、ピンクちゃんが狙われないようになのだろう、エミちゃんが水無月さんに斬りかかった。
振り向きざまにナイフを振る水無月さん。ナイフについた血が飛ぶ。短剣が受け止められる。
エミちゃんが後ろに飛んだ。追うようにして水無月さんが距離を詰める。
再び鳴る金属音。エミちゃんが上へとナイフを弾こうと動く。
が、水無月さんはそれを利用した。上にあげられるナイフに体重を預け、足を地面から離す。エミちゃんの上、宙を飛び回転する。
気付いた時には彼女はエミちゃんの後ろに回り込んでいて。すぐさまエミちゃんが振り向く。が、その前にナイフは放たれていた。
「く……!」
また、赤い液体が目に映る。今度はエミちゃんのモノ……。
エミちゃんの顔が歪む。反対に、水無月さんの顔に笑みが戻ってくる。
その余裕が出来た瞬間を狙っていたかのように、炎の球が飛んできた。間を縫うようにして紫色の光線も発射される。
ナイフで炎を弾き、身体を逸らして光線を避ける水無月さん。その体制が整う前に、今度はお兄ちゃんが突っ込んで。
足下には魔法陣が発生。怪我したエミちゃん、カイ君、ルミちゃんを回復する。
それでも水無月さんの攻撃は止まない。けれど、みんなの動きも止まらなかった。傷つきながらも、必死になって向かって行ってくれている。ぼくのために、命がけで……。
昔からそうだった。文句ひとつ言わず、当たり前のようにぼくを助けてくれていた。今もそれは変わらなくて。
眩しかった。胸が締め付けられた。みんな人を傷つけたくはないはずなのに。傷つけられる痛みを知っているはずなのに。この戦いが終わると信じている。信じて、戦ってくれているんだ。
だったら、ぼくはやらなくちゃならない。こんな戦い、もうしたくないし見たくもない! みんなの悲しみを、ぼくが断ち切らなくちゃ!
剣を両手に、足に力を入れる。大地を踏みしめる。
足の裏から、空から、風や空気から、何か温かいものが流れ込んでくるのを感じた。
顔を上げる。
みんなが……この世界の全てが、ぼくを応援してくれているんだ……ぼくに力を貸してくれている。
ありがとう。今までぼくを見守ってくれてありがとう。
ぼくはもう、迷わない。
「覚悟を決めたみたいだね」
優しい声。ぼくを一番支えてくれた、彼の声。
背後に立っていた先生を見上げ、頷く。
先生は柔らかく微笑むと、ぼくの背に手を添えた。
「その選択は間違っていないよ。自分を信じて……行っておいで」
「……はい」
背中をそっと押され、ぼくは前に踏み出す。
深呼吸を一つして、目の前を見据えた。
剣を持つ手に力を入れる。
びっくりするくらい力が溢れ出ていた。前のぼくからは考えられないほど自信に満ちている。
前のぼくは弱かった。いや、今も弱いままかもしれない。でも……。
そう思って。それから今まであったことや過去の自分を省みて、ぼくの口からは苦笑が漏れた。
ぼくは何回転んで何回立ち直ってるんだろう。
いつもいつも、こんなこと繰り返してばかりだ。
けどさ、これがぼくなんだよね。
立ち上がるよ、ぼくは。何回転ばされたって。
……弱いままでも構わない。みんなに頼って感謝して、ぼくは弱いまま生きていくよ。
君に勝ってね!
走り出す。
目の前には水無月さんと戦うみんな。その視線が、一瞬だけぼくに向けられたのがわかる。
ぼくは笑って走りを速めた。
その時。ぼくの周りの時間がゆっくりになった。まるで、スローモーションのように。
覚えのある感覚に胸が震える。身体が冷えるのがわかった。
けど。
前を見る。今ぼくの視界にはみんながいる。それが何よりも、心強い。
息を大きく吸って、ぼくは大きく叫んだ。
「みんなを、信じるっ……!」
ロイ君とルークが後ろに飛んだ。二人は一斉に光線を放つ。
ギリギリのところで避ける水無月さん。その姿勢が崩れたところにエミちゃんが攻撃を仕掛ける。
ナイフと短剣がぶつかる。火花が散る。
水無月さんが一歩引いた。エミちゃんがつんのめったところで、ナイフを振り上げる。
弾かれる短剣。勢いでエミちゃんが仰け反る。
その隙を逃すまいと、水無月さんがナイフを引いて地面を蹴った。
瞬間。
キィン……!
澄んだ空気に鳴り響く高音。
高く舞い上がったナイフは水無月さんの手から離れていて。
彼女が振り返る。そこには剣を手にした赤い髪……お兄ちゃん姿が。
パッとお兄ちゃんが背後へ飛ぶ。
丸腰になった水無月さんの眼がぼくを捉えた。水色の瞳が揺れる。
だけどもう、ぼくが手にした剣は風を斬って、水無月さんの首へと吸い込まれていた。
……少しの間、時間が止まった。音もなく風も感じられない中、ぼく達は停止していた。
ぼくの目の前には目を大きく見開く水無月さん。その首には、ぼくの剣。
ぼくが振るった剣は彼女の首の、皮一枚を斬ったところでピタリと固まっていた。
いや、ぼくが止めた。剣に念じて。
ちょっとだけ間に合わなくて、彼女の首からは一筋の血が流れていたけど。
でも、これでやっと話せる。
ぼくは口を開く。
「ねえ、水無月さん。もう終わりにしよう。この世界から出ていって。ぼくは、君のおもちゃなんかじゃない」
ずっと逆らうのが怖かった。冷たくされるのが怖かった。だから従ってきた。
でもそんなの、友達でもなんでもない。
ぼくは伝えるよ、自分の想いを。もう我慢しない。
「ぼくはもう、君と一緒にはいられない」
君にはもう、従わない。
ぼくはぼくの人生を生きる。ぼくのために。自分を信じて。
今のぼくは君にそう言い切れるよ。だってぼくは。
「君の負けだよ」
君に勝った。
こんな関係、終わりにしよう。
「……うあああああああ!!」
突然、大地を震わすような絶叫が発せられた。
もちろん、声の主は水無月さん。
いきなりのことに動けないでいると、突如左のほうから何かが迫ってきた。それはぼくの剣にぶつかり、甲高い音を鳴らす。
「っ……!」
体勢が崩れる。
ぼくの目に映ったのは、水無月さんのナイフ。
パッと左に首を巡らすと、呆然と手元を見つめるピクちゃんがいて。その手には水無月さんから奪ったナイフがない。
まさか……。
再び視線を戻すと、彼女は右手にもう一つのナイフ……さっきお兄ちゃんが弾き飛ばしたものを手にしていて。
「しまった! 魔剣だったのか……!」
先生の声。
魔法が使える剣……その魔法を使って手元に戻したんだ。
そんなことを冷静に考える。
彼女は狂ったかのような笑みを浮かべてぼくを見つめると、そのナイフを放った。
周りの制止は追いつかない。ナイフは一直線にぼくへと向かう。
またしてもスローモーションに見える中、ぼくはふっと笑った。
やっぱりダメだったか……本当はあのまま素直に帰って欲しかったんだけど……そうしたら現実の世界で一回だけならあの子に会えるかと思ったのに。
そううまくはいかないみたいだ。はは……ぼくも甘いな。あそこで斬っていたら、全てが終わっていたのにね。まあ、もともとやろうと考えてたことだけど。
でも、もう止めないよ。今度こそ、終わらせる。強引にでもね。
……だけど、このままじゃぼくはやられちゃうみたいだ。だってあのナイフ、避けられないもん。刺されたら痛いし、もしかしたら気絶しちゃうかも。
だから、さ。力を貸してよ。やっぱり、ぼくは君がいないとダメみたいなんだ。弱い人間だからさ、頼らないと勝てないんだ。
これで最後だから。ぼくに力をくれないかな。
スター。
――……しょうがないなぁ。特別だよ?
ふっと耳に息がかかる。懐かしい声が鼓膜を震わせた。暖かく柔らかい光がぼくを包み込む。
うん。ありがとう。
右腕を上げる。剣を握るぼくの手に、彼の手が添えられたのが伝わって。
前に進む。
ズシャっと、嫌な音が耳に入った。相手のナイフが左肩を貫く。
飛び散るものは目に入れない。周りの悲鳴にぼくは笑いかける。
大丈夫だよ。だって今のぼくには、みんなと、彼がいるもん。
そのまま歩み続ける。
彼女が目を見張った。その顔が、初めて恐怖に歪む。
怖がらせちゃった。でも、君が悪いんだからね。
さあ、お家に帰ろう。
そうしてぼくは彼女に向かって、スターと共に剣を振り下ろした。
その剣が水無月さんの胸のあたりを斬りつけた、瞬間。
ブワッと風が吹く。
後ろに吹き飛ぶ彼女。そこに駆け寄るは、水色の髪。
ソート、さん……?
彼は水無月さんを抱き上げると、ぼくに頭を下げた。そのまま消えていく。
そっか、彼は……。
ぼくの身体も後ろに傾いだ。
ドサっと受け止められる。
薄く目を開くと、先生がいて。
彼は優しく微笑んだ。
「よくやったね、ソラちゃん」
「……はい」
返事をすると、ぼくの視界に入ってるものが白く染まっていった。
世界が消えていく。
空も街も地面も何もかもが白く染まり、何もない空間がそこにできた。
ぼくの周りに孤児園のメンバーが集まってくる。
先生はぼくを地面に座らせると、静かに言った。
「少しだけ時間を引き延ばす。その間に、みんなと別れを」
頷く。
もうお別れの時間だ。
でも……ええっと、何を言ったらいいのかな……?
なんて思っていると、ガシッと手を掴まれた。
「カイ君」
「ソラ……やったな! 勝ったじゃねーか! あのモエカに!」
「うん。やったよ」
ぼくはそう笑いかけた。けど、彼の瞳にはどんどん涙が溜まっていく。
「……なあ、オレ、生まれてこれてよかったからな。お前がいたから、ルークとかピクとかに出会えたんだ。いろんなことあったけど、生きててよかったからな……!」
「カイ君……」
必死に言葉を紡ごうとしてくれるカイ君。涙をこぼしながら。声を詰まらせながら。彼なりに、ぼくのことを気にかけてくれてたんだね……。
「カイ、何泣いてんだよ」
ルークがカイ君の頭に手を置く。
ぼくと目が合うと、その黒目をふっと細めた。
「けど、カイのいう通りだからな。オレも、後悔なんてしてねーから」
「俺もだ。な、ルミ」
「うんっ! 辛いことも苦しいこともあったけど、楽しいことも嬉しいこともあった。これが人生なんだよね。ソラちゃん、あたしたちを生んでくれてありがとう」
ふんわりと微笑むロイ君、ルミちゃん。
暖かい、とても。
「こちらこそ、ありがとう」
ふと、ぼくはルークを見た。
「ねえ、ルーク。彼が……」
「いたんだろ。オレにも、感じ取れたよ」
少し切なげに空を見上げるルーク。
うん、いたよ。ぼくを助けてくれたんだ。すごくかっこいい、お兄ちゃんだよ……。
「ソラたん、帰っちゃうんだよね?」
「また会える?」
寂しそうな表情でぼくの手を握ってくれたのはピクちゃんとミニちゃん。
二人に、ぼくは頷いてみせる。
「うん、会えるよ。ピクちゃんもミニちゃんも、ぼくの心の中にいるから」
胸に手を当てて微笑する。それから、傍にいたエミちゃんを見上げた。
「エミちゃん……」
「あ! 今謝ろうとしたでしょ?」
「え……」
「大丈夫だよ。アタシはアタシの意思で行動して、ここに立ってる。だから、前を向いて。ソラちゃんの役に立てて、みんなと戦えてよかったから」
エミちゃん……ありがとう。
ポン、と肩に手を置かれた。しゃがんで目を合わせてくれたのは、ピンクちゃん。
ぼくの肩の傷を見て目を伏せる。
「ソラちゃん、ごめんね。痛い、でしょ……もっと役に立てればよかったんだけど」
「ううん、そんなことない。ピンクちゃんはいつもぼくを支えてくれてたよ。ピンクちゃんがいたから、安心できた」
お母さんみたいな存在だったもん。ぼくだけじゃなくて、他のみんなにとっても大きな存在だったと思う。
「蒼空」
右から手を伸ばされた。その大きな兄の手を握り、立ち上がる。
改めてみんなを見渡した。
ずっとぼくを励まし、支え、背中を押してくれたみんな。暖かい、ぼくの大切な仲間たち。
ずっと甘え続けてしまった。だけど、それももうおしまい。
理由はみんなを苦しめてしまうから、っていうのが大きいんだけど、でもみんな否定するからもうそんなことは言わない。
ぼくはこの空間が好きだ。作ってよかった。みんなに出会えてよかった。そのおかげで、ぼくは今ここにいられてるんだ。生きる希望を、持ててるんだよ。
みんなの顔、絶対忘れない。辛い時、みんなを思い出すから。勇気をもらって、生き続けるから。
振り返る。先生を見る。
彼はゆっくり頷いた。
ふわりと身体が浮く。淡い光を放つ空へと舞い上がる。
じゃあ、ぼくは行くよ。
さよならは言わない。ただ、一言。
「ありがとう」
みんなはぼくの大切な――
――家族だ。
スッと視界が白くなった。
意識が遠ざかって行くのが感じられる。
その時、懐かしい匂いが鼻を付いた。
ハッとして目を開く。と、そこには久し振りに見る人物。
茶色の髪に、黒いの瞳。悪戯げなその目は前と変わらない。
「スター……!」
――ソラ。
彼はぼくの名前を呼び、グッと近づくと、コツンとぼくの額に自分の額をくっつけた。間近でぼくを見つめ、ニッと笑う。
――好きだよ。
「……!」
パッと光が弾けた。
彼の言葉はぼくの頭を痺れさせ……そのまま、ぼくは光に飲み込まれていった――
ぼくも好きだよ、スターのこと。
大好き。
✳︎ ✳︎ ✳︎
ピッ、ピッ、ピッ……。
そんな機械音が耳に入る。
続いて感じられたのは、ひんやりとした空気。
息を吸うと、薬品の匂いが鼻孔を通り抜ける。
身体が重い。瞼も。
けれど、なんだか心は軽かった。胸につっかえてたものが全部取れたかのようで。
そうしてぼくは思い出す。ここに、会いたい人がいると。声を聞かせてあげたい人たちがいると。
ゆっくりと目を開く。視界に入るは、真っ白な天井。
少し顔を動かすと、うつらうつらとしてるぼくの家族……お母さん、お父さん、それからお兄ちゃんの姿があった。
手を伸ばす。お兄ちゃんの手を握った。
口を開く。
「お、母、さん……お父、さん……」
「え……蒼空……?」
「蒼空っ!」
お父さんが立ち上がる。ぼくを見て目を輝かすと、すぐに部屋から出ていった。先生、と叫びながら。
お母さんは、信じられないといったようにそっとぼくに触れ、頬撫でて……それから顔を手で覆って泣き出してしまう。
そしてお兄ちゃんはというと、恐る恐るといった感じでぼくの手を握った。
その目から涙がこぼれ落ちる。
あ……初めて見た、お兄ちゃん泣いた姿。こっちでも向こうでも、見たことなかったかも。
胸が震える。嬉しさで。
ぼく、戻ってきたんだな。戻って、来られたんだ。
そっと、お兄ちゃんの手を握り返した。ぼろぼろ涙を流しながらぼくを見つめるお兄ちゃんに、ぼくは微笑みかける。
「ただいま、お兄ちゃん」
少し目を見開いてから、お兄ちゃんは泣きながら笑った。
「ああ……おかえり、蒼空」
第三章『消滅する世界』終
エピローグ『この世界で生きていく』へ続く




