第三十五話 弱さ
水無月萌香。
彼女の姿を見ただけで、ぼくの身体が強ばる。
「久しぶりね、蒼空ちゃん」
「水無月さん……!」
凛とした声。けれど、嘲笑うかのような口調で。
ぞわぞわとした感覚。鳥肌が立つ。
恐怖と怒りがぼくの胸に膨れ上がる。
「モエ……やっぱり近くにいたか」
「あら、シンじゃない。久しぶりね。いえ……今はカイルと呼ぶべきかしら? せっかくあげた新しい身体は捨ててしまったの?」
小さく首を傾げてから、彼女は中指を唇に当てて可笑しそうに笑う。
「あ、死んでしまったんだったわね。わたしのおかげで生き返れたのに、残念だわ」
強く彼女を睨め付ける。
バカにした笑い声に、見下しているかのような冷たい目つき。そこに、話し合うという選択肢はないように思えた。
何をどういっても、この人には届かない。そう感じた。
本当は、何か深い理由があってぼくをいじめているんじゃないか。誰かに脅されているんじゃないか。自分を守るために、ぼくを犠牲にしてるんじゃないか……。
ぼくはそんな風に思って、この人のいじめが訳あるものだとしてきた。
その考えが今、否定されて。
理由もなく、ただ単純にぼくをいじめている。自分の快楽のために。楽しみたいから、遊んでいる。それが改めてわかってしまって。
ぼくは、自分の中にある、この人と和解できるんじゃないかという一筋の光……ぼくにとってじゃなくて、水無月さんにとっての光となるはずのものを。
捨てた。
「……」
得物を構え直す。
少し傷跡のついた剣は、鈍い光を放って腹に水無月さんを映す。
隣に来たカイルさんも、大剣を肩に乗せたままじっと相手の様子を伺う。
彼女も構える。両手に握られた長めのナイフが、ぼくを捕らえるのがわかる。
沈黙。
風の音も、遠くから聞こえてた人の声も聞こえなくなる。神経が研ぎ澄まされていく。集中力が高まっていくのを感じる。
誰かが動いたら、戦いが始まる。
そう、相手の隙を探していると。
彼女の口元が、ゆっくりとつり上がっていくのが見えて。
「……!」
「ソラッ!」
ハッとしたときには、もう彼女はぼくの目の前に迫っていた。
速いなんて思っている暇もない。
直感に任せて剣を盾代わりに前に突き出す。
キィンッ!
金属音。同時にぐっと強い力で押され、左手を剣の腹に添えて耐える。
不意に、もう一本のナイフが右から来るのが見えて。
咄嗟に受け止めていたナイフを弾いて後ろに下がる。
シュッと、目の前を通過する切っ先。
身体全体に小さく震えが走る。命の危機に、心臓が速くなり始める。
剣を胸元に引き寄せながら三歩後ろに飛んだ。
俯きそうになる顔を上げると、水無月さんと目が合った。狂気じみた、ぼくだけしか映ってない目と。
けれど、その目がふっと右側に動く。
そちらの方向から彼女に迫るは、重さを無視した速さで振られた大剣。
相手の身体を真っ二つに割らんばかりで薙がれた大剣を、しかし水無月さんは飛んで避ける。しかも、その大剣を足場にさらに高く飛び、カイルさんに飛びかかった。
大剣を振り切っていた彼の身体はがら空きで。そこに、水無月さんのナイフが吸い込まれていく。
「あっ……!」
助けに入ろうとしたぼくだったが、彼の目が鋭く水無月さんを捕らえてることに気づき、足を止めた。
「うらああああ!!」
彼は、前に出された左足を軸に、薙いだ剣の勢いを利用してものすごい速さで身体を回転させた。そして、まるで砲丸投げをするかのように大剣を水無月さんに向かって投げつける。
「っ……」
これには水無月さんも瞠目する。
空中にいる彼女。避ける術はない。
彼女は身体の前でナイフを交差させ両足を前に出すと、得物と両足裏で大剣を受け止めた。
甲高い金属同士のぶつかる音と共にパッと赤い液体が散った。カイルさんの方向に落下していた彼女の身体は、後方へと吹っ飛ばされる。
そのまま大剣と共に地面にたたきつけられるかと思いきや、水無月さんはその一歩前で剣を蹴るとそれの下敷きになることを逃れた。
重い音を立てて大剣が地面を転がる。少し遅れて、水無月さんも着地した。その足の裏から赤い液体が流れ出ている。
これで、降参してくれないかな。
そんな思いを込めて水無月を見る。
彼女は……笑っていた。楽しそうに、嬉しそうに。
愕然とした。
この人は、本当に……狂っている。
「チッ。あれを受け止めるとか。こりゃ、簡単には倒せそうにねえな」
カイルさんが大剣を拾いながら呟く。そして、ぼくに向かって鋭い視線を向けてきた。
「おいソラ。これ、本気で殺す気で戦わねえと死ぬぞ」
「っ……」
殺す気で……。
水無月さんを見据える。
その首に、剣の切っ先を向ける。
彼女を……殺す。
「ふふっ」
水無月さんが動く。
ぼくも動く。
ナイフが縦に振るわれた。ぼくは剣先を下に向け、剣を斜めの状態にしてナイフを受け流す。
次に、脇に向けられた攻撃が来る。
右に飛んで避ける。着地と同時に、彼女に向かって得物を突き出す。
交差されたナイフで受け止められ、弾かれる。両手が持ち上がった状態になる。
まずい、と思うと同時に目の前に現れたのはカイルさん。
ブンッ、と大剣を右から斜め上に振るう。
仰け反る水無月さん。その勢いでバク転。着地する前にカイルさんが距離を詰める。
今度は左上から大剣が振り下ろされる。その時、水無月さんが左手のナイフを上に投げた。そして、右手のナイフを頭の上で平行に構え、大剣を受ける。
着地。ズンという重い音と同時に、地面に亀裂が入る。
その状態で剣の押し合いをしていた二人だったが、ハッとしたようにカイルさんが身を引いた。その頭を掠るようにして、さっき投げられたナイフが振ってくる。
地面に突き刺さったナイフを素早く抜き取ると、今度は水無月さんの方からカイルさんに詰め寄る。
素早い動きでカイルさんの脇に躍り込むと、致命傷を与えようとナイフを突く。
カイルさんは自分よりも大きな剣を器用に使い、その攻撃を防ぐ。
そうして十合、二十合と剣を交じり合わせる二人。
ぼくはその間に水無月産の後ろに回り込んだ。
剣を構える。意識を集中させる。
ぼくも、戦わなくちゃ。勝たなきゃ。倒さないと。
水無月さんを。
――殺す気で戦わねえと死ぬぞ。
殺す……。
突然、二人の動きが何故がスローモーションに見えた。
ぼくは、剣を右手に前に進んだ。走った。足を踏み出した。
相手のナイフが左に振られた。
カイルさんが後ろに飛んで間隔を開ける。
追いかけようとする水無月さん。
その前に、ぼくは彼女の左の剣を上に跳ね上げた。
水無月さんが片手を上げた状態になる。胸ががら空きになる。
青い目がこちらを向く。
もう、遅い。
弾いた勢いで上げた剣を、今度は斜めに振り下ろす。
吸い込まれるように相手の首に向かう、ぼくの剣。
歯が光る。
首との間が狭くなっていく。
もうすぐ、彼女の首を切り裂ける。
そうすれば、彼女はいなくなるんだ。ぼくの目の前から。
あの目も見なくてすむ。みんなも助かる。平和になる。
彼女は消えればいい。死ねばいいんだ。
それが、ぼくの、願い。
ぼくが。
彼女を。
殺す。
バシッ!
そんな鋭い音が、突然鼓膜を震わせた。
勢いに乗っていた手が突然何かに掴まれた気がして、ハッとぼくは我に返った。
今、ぼくはなんて……?
…………殺、す……?
「はっ……はあ……はぁ……!」
……あ、れ? ぼくは一体、何を……。
気づけばぼくは、水無月さんの首筋に剣を当てていて。
少しだけ切ってしまった彼女の首から、ツーッと赤い液体が流れていて……。
赤い。
……血?
ぼくは彼女の首を斬ろうとしてた……?
「はあっ、はあ……!」
呼吸がしづらい。
ぼくは今、何をしようとしてた?
この剣は、彼女を。
……そう、彼女を斬ろうとしていて。
斬ろうと……殺そうと、していて……。
殺す?
首を斬って?
斬っていたら、彼女は死んでた?
そうだよ、斬っていたら、彼女の首は、取れて……。
頭が、地面に落ち、て……。
「あ、ああああ……」
パッと、視界が弾けた。脳が痺れたかのような衝撃がぼくを襲う。
激しい痛みの中、見えたのは、噴き出す血。光をなくしていく目。
聞こえたのは、骨の折れる音。人の、喉が引きちぎれるかのような悲鳴。
そして、肉を引き裂いたときの感触が蘇って。
「うあああああああ!!」
やだ、やめてっ! 違うっ、ぼくはっ!
喉から声が漏れる。止められない。
視界が揺れる。
足の力が抜ける。
頭を押さえる。痛い。
身体は凍ったように冷たいのに、震えてるのに、汗が噴き出す。
心臓がうるさい。苦しい。痛い。
怖い。
「ソラ! しっかりしろっ! おいっ……ソラ逃げろっ!」
ハッと顔上げる。
ぼくを見つめる狂った水色の目。その目が、愉しそうに歪められる。
そして、振られる二つのナイフ。
それは、ぼくの人生の終わりを告げるように、ゆっくりと降りて来た……。
……もう、終わりか。
ぼくは、結局負けるのか……。
でも、人を殺して終わるよりは、殺される方が……。
キィン!!
唐突に鳴り響く金属音。
「え……」
思わず、頭上を仰ぐ。
そこには、細めの剣。
柄を掴んでいる手は、白く細い。だけどしっかりとしていて。
水無月さんのものでも、カイルさんのものでもない。
腕、肩の方へと視線を滑らす。
水色の髪に、整った横顔が目に入る。
「ソート、さん……?」
そう、そこに立っていたのはソートさんだった。
彼は優しい目つきでぼくを見てから、水無月さんに視線を戻す。
「させないですよ」
「あら、貴方が相手をしてくれるの?」
サッと身を引き、水無月さんがソートさんを眺める。
ソートさんも一歩後ろに下がって長剣を胸を前で並行に構えると、恭しく礼をした。
「ええ。僕がお相手しましょう」
「いいわ。でも、あたしは早く蒼空ちゃんと戦いたいの。だから」
地面を蹴る。
「すぐ終わらせるわよ!」
一気にソートさんとの距離を詰める。
ソートさんは腰を低くすると、勢いよく右に飛んだ。
水無月さんのナイフが空を切る。が、すぐに方向転換。ソートさんを追いかける。
ソートさんは水無月さんに背を向けないまま、後ろ後ろへと下がる。
でも、水無月さんの方が早い。
すぐに追いつかれ、ナイフを突き出される。
キン、キンッ!
剣が混じり合う音。
水無月さんが突き、ソートさんはそれを受け止める。
だけど、水無月さんは二刀流。片方を受け止めている間に、もう片方が襲いかかる。
パッと彼がまた後ろに飛んだ。
「逃がさないわ」
水無月さんが突っ込む。
すると、ソートさんは今度は真上に飛んだ。
「……!?」
水無月さんの前に現れるは、瓦礫の壁。
慌てて彼女が急停止した直後、上から襲いかかるソートさん。
咄嗟に掲げられたナイフと、重力とともに振り下ろされた長剣がぶつかり合う。
ぶわっと風が吹いた。重なり合った部分がバチバチと火花を散らす。
半端力任せに水無月さんがナイフを振ると、その勢いを利用してソートさんは前に宙返り。水無月さんの後ろに飛び距離を開けた。
かと思いきや、着地と同時に走り出し相手に攻撃を仕掛ける。
休む暇を与えない……!
すると水無月は、ソートさんに片方の切っ先を向けた。そして、その剣を振り上げる。
瞬間、地響き。
ソートさんが眉をひそめて足を止める。
と、その足元が突然盛り上った。
ハッとしてソートさんが飛び退くと、そこから先の尖った石が飛び出す。人を貫かんばかりの剣の形をした石。それが、突如として現れたんだ。
いや、いきなりじゃない。あれが現れる前、水無月さんは剣を上に向けてた。じゃあ、あれって……。
「魔法か……!」
カイルさんが声を上げる。
そうだ、水無月さんは魔法も使えるんだ……!
ソートさんの表情が、より真剣みを帯びる。
その時、カイルさんが大剣を手に前に出た。
「ソート。俺も魔法を使えるから、後ろから援護する」
「ありがとう。わかりました」
「ソラ、お前は戦えるか」
「あ……えっと」
ソートさんが現れてぼーっとしてた……。
ぼくも、戦わなくちゃ。
立ち上がり、剣を手に持つ。
と、パッとさっき見た光景、手の感触が戻って来て。
身体が震えだす。
足に、力が入らない。
視界が歪む。
なんで……。
目の前に見えてきたのは、赤、あか、アカ……。
また、ぼくの頭が怯え出す。
その時、ぽんっと肩を叩かれた。
パッと振り返ると、そこにはシン君がいて。
「うわああああ!!」
気がつけばぼくは彼の手を振り払っていた。
「あ……」
ハッとシン君……ううん、カイルさん。カイルさんを見ると、大きく目を見開いてぼくを見つめていて。
慌てて声をかけようとするも、口がパクパクするだけで言葉が出でこない。
ぼく、ぼく……!
フッと、彼が淡く微笑んだ。
「……!」
「ソラ、いいんだ」
「え……」
「……んと、さっき、過去の記憶がフラッシュバックしたんだろ? 人を殺した時の」
え……フラッシュバック……?
「あ……」
そうだ。ぼく、あの瞬間思い出しちゃったんだ。この世界で、最初に人を殺した時の記憶を。
シン君と一回戦った時も思い出しちゃったっけ……。
あと……そうだ。今、カイルさんに触れられた時は、シン君のことが蘇って来て……あのみんなが殺されていく出来事を思い出して。
つい、カイルさんを拒絶しちゃった……。
「あ、はは……」
自分の弱さに笑えてくる。
なんで、こんな時に……。
「ソラ、無理はするな。それが普通なんだ。ソラは何もおかしくない。モエと……俺がおかしいんだ」
「そんな……でも……」
「ソラ。お前は無理にあいつを殺そうとする必要はない。その役目は……俺に任せてくれればいい」
「カイル、さん……」
「お前はそこで見てろ。俺が、終わらす」
カイルさんがぼくから離れていく。
前を向くと、再び剣を交えるソートさん、水無月さんの姿。
そして、ソートさんを後ろから援護するカイルさん。
ぼくは……。
俯く。
どうしたら……。
不意に音が消えた。
不思議な思って目線を上げると、構えを解いてソートさんと向かい合う水無月さんの姿があって。
彼女はソートさんをまじまじと見つめてから、あ、と声を漏らした。
「貴方、もしかして」
「なんですか?」
「ふふ、なるほど。だからなのね……」
水無月さんは何かに納得したように頷くと、突然右手のナイフを自分の首筋に当てた。
「な……!」
ソートさんが息を飲む。
水無月さんは笑う。
「どうしたの? これが貴方達の願いなんでしょ?」
「お前、突然何を……!?」
カイルさんも驚きに声を発する。
いきなり、どうして……!?
ぼくの目も、彼女に釘付けになる。
それを可笑しそうに見てから、水無月さんはそっと目を閉じた。
「さようなら」
「待って!」
ソートさんが走る。
手を伸ばす。
その手が水無月さんの腕を掴んだ、直後。
「か……ぁ……はっ……」
水無月さんの左のナイフが、ソートさんのお腹を貫いていた。




