第三十一話 握手
誰も、何も声を発せなかった。
シン君に対する恐怖か、魔法具対する驚きか。それとも、シン君の見た目が違うからなのか。
ぼくも含めて、みんな呆然としていた。
ただ一人、アト君を除いては。
アト君は目の前にシン君が現れるなり、彼に抱きついた。
「シンお兄ちゃんっ! 久しぶり!」
「アト……ああ、久しぶりだな」
優しげな目でアト君を見て、黒髪を撫でるシン君。その姿からは、あの時の挑戦的な目や狂ったような笑みは想像できない。本当に同一人物かと疑ってしまうほど。
ぼくは恐る恐る、シン君に話しかけてみる。
「シン、君……?」
「うん?」
青色の瞳がぼくを映す。
え、えっと……声をかけたはいいけど、何て言おう……。
ぼくが言葉を詰まらすと、シン君はまた複雑そうな笑みを作る。
「あー……信じられないかもしれないが、俺はみんなが知っているシンそのものだ。あの時はシンっていう子の身体を借りていたから、今とは姿が違うんだが……」
「え、じゃあ今の姿が元の姿って事?」
「ああ。俺の本当の名前はカイル。みんながずっと産まれる前、弟と一緒に殺された。だが、それを受け入れられずにさまよっていたところで、モエ……水無月萌香に会ってな……」
それで、あの紺色の髪で赤目の子の身体に乗り移り、人を殺していた。
そう、シン君……いや、カイルさんが説明する。
「俺は謝っても一生許されないことをしでかした。だから、信用できないのは分かってる。ずっと憎んだまま、嫌いなままでいい。だが、俺も萌香のことは許せないと思っている」
真っ直ぐな瞳でぼく達一人一人と目を合わせるカイルさん。
ギュッと握られた手。その拳に、アト君が手を重ねる。
「もし、この瞬間だけ許されるなら、協力させて欲しい。俺は絶対にみんなを裏切らない。信用する。もうあんなことはしないし、したくもない……!」
彼の顔が歪む。辛そうに、苦しそうに。
それから、ぽつりと……。
「園長にも、まだ礼を伝えられてないしな……」
沈黙が降りる。
葛藤している、というよりは困惑していた。
あまりにも、あの頃とは違っていて。
こんなに誠実に自分の罪を認めて。自分を憎んでもいい、それでも協力したい。そう言ってくれている彼に、どんな感情を抱けばいいかわからなかった。
不意に、足を踏み出す音が聞こえた。
「あ……ラギ君」
ピンクちゃんの呟き。
カイルさんの前に出たのは、お兄ちゃんだった。
二人の視線が交差する。黄色と青色の眼。
スッと、お兄ちゃんの方が手を差し出した。握手を求めるかのように。
カイルさんが驚いた顔で目の前の……かつていいなりにしていた彼を凝視する。
お兄ちゃんが口を開く。
「今度は友として、お前と協力したい。カイル」
「……! ふっ、お前はお人好しだな。だが、嬉しいぜ。その名前で呼んでくれたこともな」
カイルさんが差し出された手を握ると、お兄ちゃんも強く握り返した。
お兄ちゃんは過去のことは何も言わなかった。きっと、今のカイルさんを見ているんだね。
「ピクもピクも!」
ラギ君に続くようにしてカイルさんの元に行ったのはピクちゃんだった。
手を挙げてぴょんぴょん跳ねながら二人に近づくと、両手をカイルさんに差し出す。
「はいっ! ピクともお友達!」
「……いいのか?」
「いいの! ラギがお友達ならピクもお友達!」
「サンキュー」
二人が握手を交わす。
それからピクちゃんはピンクちゃんを手招きした。
「ほら、お姉ちゃんも!」
「あ、うん」
今度はピンクちゃんが握手をした。
カイルさんはピンクちゃんを見ると一瞬目を瞬いたが、すぐに思い出したかのように言う。
「あぁ、あの時アトを呼んだ……?」
「あれ、気づかれちゃってたんだね。うん、そう。前のあなたのことはちょっと許せなかったけど……今は、園長先生を助けるためにも協力したいと思ってる」
「ああ。俺もだ。あなたにも園長にも、悪いことしたと思ってる」
「その気持ち、信じるよ」
今の会話って……。あの時って、シン君と闘ったときのこと? 孤児園を吹き飛ばされる寸前、アト君が入ってきたけど、呼んだのってピンクちゃんだったの?
疑問の目を向けると、ピンクちゃんは「まあね」と頷いた。
し、知らなかったあ……! ピンクちゃんも、ぼく達の知らないところでなんかしてたりするよね。
「次は……カー君!」
「え、おれ?」
ピクちゃんに呼ばれてカイ君が自分を指さす。
「そーだよ! はい! カイるんと握手! あ、カー君とカイるんって名前似てるね!」
「ぶっ! カイるんてなんだよ、ハハッ」
あ……笑った。
それまで、ちょっとだけ緊張した面持ちだったカイルさんが初めてその表情を崩した。無邪気に笑い声を上げる。
「でも、悪くねえな。ありがとな、ピク」
「えへへ~」
「……シン」
ピクちゃんの笑みを見たからなのか、カイ君がそっと一歩踏み出した。カイルさんと目を合わせる。
自分の肉親を殺した相手……カイ君は今、どんな気持ちで向かい合っているんだろう。
「お前はその名前で呼ぶんだな」
「だって、おれが一緒に過ごしたのはシンだからな。おれの母さんを殺したのもシン、お前だ」
「……ああ」
「それは許せねえ。けど、お前は自分がやったのと同じようなことが起こるのを止めようとしてくれるんだろ?」
「ああ、そうだ」
「だったら、仲間にしてやる。おれも、お前には酷いことした時もあったし……お互い様って事だ!」
ギュッと、カイ君は勢いに任せるようにしてカイルさんの手を握った。するとカイルさんは、少し嬉しそうに笑った。
「サンキュー! じゃあ、カイの役に立たねえとな! ……カイの母さんのためにも」
「……うん」
「じゃあ~、次はエミりん!」
ピクちゃんは、今度はエミちゃんを指名する。
そういえば、エミちゃんは初対面だったよね?
カイルさんも、きょとんとした顔になる。
そんな彼の前に歩み寄ったエミちゃんは、手は出さずに相手を見下ろした。
「君のことは、みんなから聞いてる。話を聞いて、あたしは絶対に許せないって思った。だから、握手はしない」
「ああ」
「けど、協力はする。優しいみんなは、君のこと信じるみたいだし。でも! もしまたみんなに手を出してみなー、アタシがただじゃおかないからね!」
「望むところだな」
にやっと、二人が笑い合う。
うわあ、どうなることかと思ったけど、なんかいい感じ……?
「はーい! 最後はソラたん!」
「あっ、うん!」
ピクちゃんに呼ばれ、カイルさんと向き合う。
……過去に、スターとルークの両親を殺し、この町まで追ってきた人物。ぼく達の身近な人まで殺し、お兄ちゃんを苦しめてきた人物。過去、何回も戦ったからその強さも殺気も、何もかもを覚えている。忘れられるはずがない。だから、怖くないと言ったら嘘になる。
それでもぼくは、この人を信じると決めた。
だって。
アト君に視線を向ける。
今思えば、こんなにもこの子に懐かれていて、すごく優しい、包み込むかのような微笑を浮かべる人が、何の理由もなく人殺しするはずがないんだ。
だから、きっと、さっきみんなに行っていた言葉は本当だ。
「カイルさん、ぼくは今もあなたのことは怖い。あんな行為をやったことは事実だし、忘れられないほど目に焼き付いているから……」
「……ああ」
「でも、きっとあなたにもすごく悲しいこと、苦しいことがあったと思うの。それがねじ曲がって、あんな方向に行っちゃった……でも今、元の状態に戻そうとしている」
「……!」
「ぼくは、あなたが本当に悪い人だとは思えない。でも、完全には信用することは出来ないかもしれない。それでも、ぼくはあなたを信じる。努力しようと思う」
だって、誰にでも間違いはあると思うから。彼は、それが大きな間違いになってしまった。それを認められない人はそこで立ち止まっちゃうけど、カイルさんはしっかりと向き合って認めている。許される事じゃないと分かっていても。
それを否定しちゃったら、ぼくだったら悲しいもの。自分のせいだとしても。
だからぼくは彼を応援する。前に進み出す彼を。
傷つけられたからって、その人をずっと恨んでいてもどうにもならないからね。恨んでいる方も、苦しいもん。
だからぼくはね、もし水無月さんが謝ってきたら、許しはしないかもしれないけど、恨んだり憎んだりはしないようにしようと思うんだ。
お人好し? 甘過ぎ? それでもいいよ。それが、ぼくだからさ。
カイルさんの手を、両手で握る。
「ソラ……」
「カイルさん、ぼくの信頼とか期待、裏切らないでね?」
「……約束する」
真剣な表情で、彼がそう言いきった。
うん。もう気まずい空気はない。みんな、笑顔だ。
そうして全員がカイルさんのことを認めた、その直後だった。
「……シ、シン……!?」
背後からそんな声が聞こえてきた。
びっくりしたようにカイルさんが目を向ける。追うようにしてそちらに首を巡らすと。
「ルーク!」
カイ君が走り出した。
彼が叫んだように、そこには全身びしょ濡れのルークが立っていたのだ。傍らには見たことない青年の姿もある。
ルークが帰ってきた……!
突然のことにみんなが声を出せない中、ルークの視線がカイ君に向く。すると、カイ君は自分から走り出したにもかかわらず、足を止めて気まずそうに目を逸らしてしまった。
「あ、えっと……」
少しの間、言葉を探すかのように視線をさまよわせていたが、彼はぐっと拳が握りしめると正面に顔を戻した。その口が弧の字を描く。と、その前に。ポンッとルークがカイ君の肩に手を置いた。言葉を遮るように、けれど優しく。
「ごめん、カイ。さっきは、オレが悪かった。言い過ぎた」
「……!」
ふるりと、肩が震える。
その、次の瞬間。
「ぁ……ルー、ク……うぁ……ああぁ……」
カイ君の目からぼろぼろと涙が零れだした。
カイ、君……。
みんな、いきなりのことに息を飲んだけど、すぐに顔を見合わせて微笑んだ。
カイ君、安心したのかな。カイルさんと話しているときは平気だったのに。いや、もしかしたらやっぱり怖い気持ちはあったのかも。ルークを見て、彼に声をかけられて肩の力が抜けたのかもしれない。
あんなに強く、みんなを励ましていつも笑っていたカイ君だったけど、彼だってまだ五年生なんだ。泣かないわけがない。
今まで、ずっと我慢してきたんだね。無意識に自分の責めていた部分もあったのかもしれないし……それが、許されて。
「うあぁ……ううぅ……!」
「カイ……泣くなよ。顔がひどいことになるぞ」
そして、ルークの方も何か心の変化があったみたい。
スターの死を見て走り出してしまったルーク。大丈夫か心配してたけど……うん、彼も強くなってる。前を向いて、進もうとしている。
そうだよ。そっちの方が、天国に行ったスターも安心する。スターのためにも、歩き出さなきゃ。
ぼくがそう心の中で頷いたとき、ルークと目が合った。微笑して、頷き返してくれる。
「ああ。もうオレは大丈夫だ。……それで、前に進むために、そいつがいるのか?」
ぼくからカイルさんへと黒眼が動く。それから、他のみんなの姿もその瞳に映し、少しだけ見開いた。
ぼくはルークの質問に首を縦に振る。
「うん。アト君がシン君を呼ぶことが出来る魔法具を持ってたんだ。……水無月さんを止めるには、カイルさん……シン君の力も必要、そう判断したんだよ」
「そうか……みんなが決めたならそれでいい」
ルークは特に肯定も否定もせず、受け入れてくれた。
だけど……握手は出来そうにないかな。
ルーク、服びちょびちょだし、カイ君もまだ落ち着いてないし、説明はテントに戻ってからにしよう。
まあ、必ず握手をしなきゃいけないわけじゃないんだけど……なんだか自然と、握手して欲しいなと思ったんだ。
あの空間が、ぼくは好きだなぁって感じたから。
そんなことを思いながらテントに向かおうとしたぼくは、あっと声を出した。
「ねえ、ルークの後ろにいる人は知り合い?」
「ああ、彼はソート。オレとスターが城にいた頃、世話係をしてくれた人だ」
「初めまして。ソートと申します」
ソートさんが丁寧に礼をする。ふわりと水色の髪が揺れた。
顔を上げたソートさんは、今度は困ったように笑みを浮かべた。
「すみません。少し遠くからこの町に来たので今どうなっているのか分からなくて……よければ、説明を頂いてもよろしいですか?」
「あ、もちろんです!」
ぼくは即座に頷く。
「でもその前に、一回テントに行ってもいいですか? ルークも着替えた方がいいと思うし」
「あぁ、そうですね。では、移動しましょう」
ぼく達はルークとソートさんの分の朝食を貰うと、二人を連れてテントまで戻った。
途中、ふと後ろを振り返る。
違和感。
朝食を食べていた人が少なくなっていた。作っていた人の姿も見あたらない。
みんな、テントの中に入ったのかもしれないけど、それにしては何だか不自然で。
……でも、今のこの状況だったら、何が起きても可笑しくないんだよね。ここはぼくが作り出した世界。そして今は、水無月さんも動かすことが出来る世界。
胸に生まれる不安を消すかのように、ぼくはそれを再確認したのだった。




