第六話 二人の少年
薬事件があってから約一週間後。七月に入った。梅雨が明け、元気いっぱいの太陽がぼくの頭上で輝いている。
庭の花に水を撒きながら、額の汗を拭った。暑い。夏ってこんなに暑かったっけ?
ぼくは今、園長先生に頼まれて庭の花の水やりをしている。何故ぼくなのかというと、ぼくが早く帰ってきたから。園長先生がやればいいのにって思うけど、園長先生は今日用事があって出かけるんだって。言った通り、ぼくが帰ってきた途端どこかに行ってしまった。
早々と水やりを終わらせたぼくはホースを元の場所に戻し、孤児園の中に入った。そういえば、孤児園に一人っきりになることってあまりなかったな。
ソファに座り、ぼーっと天井を見上げる。いつもは聞こえてくるカイ君やスターの声がないためか、少し違和感があった。でも、こんな静かなリビングで何もしないのもいいかもしれない。もうこんな機会はないと思うし。
ぼくはソファに寄りかかりながらゆっくりと目を瞑った。
肌寒さを感じ、ぼくは目を覚ました。最初に目に入るのは天井。座っているのはソファ……あ、そっか。ぼく、水やり終わった後ここで寝ちゃったんだ。
窓の外を見ると、もう暗くなっていた。入ってくる風が昼間とは比べものにならないほど冷たい。
ぼくは窓を閉め、ソファに座った。
そこで、違和感を覚える。なくちゃいけない物がない。そんな感じ。ぼくは少し考え、はっと辺りを見渡した。
……何も聞こえない。いつもは聞こえる、スターの笑い声、カイ君の怒ったような声、ルミちゃんの走り回る音……。誰も、いない……?
ぼくは鳥肌が立っている腕をさすり、落ち着いて冷静に状況を整理させようと試みた。
今は夜。学校は終わっている。もちろん、中学校も終わっているはず。部活もこんな夜までやってないだろうし、カイ君やルークがこの時間まで外で遊んでいるはずがない。園長先生も、夕ご飯を作らなくちゃいけないから夜までには帰ってくるはずだ。それなのに、どうして誰も帰ってこないの……?
落ち着いて落ち着いて……。きっと二階にいるんだ。それかぼくを驚かそうとしているんだ。
震える足をどうにか動かし、階段を上った。
ぼくの部屋の扉を開ける。……スターの姿はない。隣のカイ君とルークの部屋……いない。その隣のロイ君、ルミちゃんの部屋……隣のハートちゃんとピンクちゃんの部屋……いないはずがないのに……!
最後に、園長先生の部屋。いつもは入っちゃいけないって言われているけど、今はそんなことどうでもよかった。ドアノブに手をかけ、ゆっくりと開ける。鍵がかかってない……?
「みんな、そこにいるの……?」
こんなに声が震えていたらスターに笑われるかな。ハートちゃんやピンクちゃんに心配されるかな。もう何言われてもいいから、でてきてよ……。
園長先生の部屋は真っ暗だった。電気をつけるスイッチがどこにあるかわからないから、ドアノブに手をかけたまま目を凝らす。すると、赤い光が目に入った。
あれは何?
ぼくはその光を確かめるため、一歩足を踏み出した。恐怖よりも好奇心が勝ってしまったのだ。
じっと赤い光を見つめ、もう一歩近寄る。直後、背中に悪寒が走った。だって、ぼくの目の前にある赤い光は……人間の目だったから。この世界でよく見るような赤い目とは違う、殺気と光をを放っている目。
ぼくと目が合った瞬間、その目は……いや、その人は立ち上がった。ぼくに手を伸ばし、ゆっくり近づいてくる。口元は裂けるぐらい大きな笑みを浮かべていて……その笑みを見た刹那、ぼくは走り出していた。振り向かずに階段を下り、孤児園を飛び出す。そこで、ガッと肩を捕まれた。後ろからではなく、前から。ぼくの前には園長先生の部屋にいたはずの人物が、赤い目でぼくを見つめていて……。
その目を見た瞬間、ずっと喉元で詰まっていた声が溢れ出した。
「うわああああ――――――!!」
ばっと勢いよく身体を動かし、ゴチンっと額を何かにぶつけた。その勢いで起こしかけた身体が後ろに倒れる。同時に、前から聞きたいと思っていた声が。
「痛ってーな! いきなり悲鳴あげて起きあがんなよ! びっくりするだろ!」
……カイ、君……?
ぼくの目の前には、涙目で額を抑えているカイ君の姿があった。これは、本物だよね? 幻じゃないよね?
目をごしごしと擦って幻じゃないのを確認した後、ぼくはカイ君に抱きついていた。
「うわあああん! よかった、消えてなかった……!」
「ど、どうしたんだソラ!? ってちょ、まっ……! た、倒れるっ」
「え? うわあっ、ごめんね!」
ぼくは慌ててカイ君から離れ、周りを見た。
カイ君の後ろにはルークがいて、左側にはスターがいる。机の前ではルミちゃんとロイ君がぼくを見ていて、二階からはぼくの悲鳴に驚いたハートちゃんとピンクちゃんが下りてきた。よかった、みんないる。みんな、帰ってきてるよ……!
安心してぼくはソファに座った。そして、あれは夢だということがわかった。怖い夢を見て叫び声を上げて起き上がったら、カイ君とぶつかっちゃったんだ。だけど、何であんな怖い夢を見たんだろう? ぼく、孤児園に一人でいることを怖いって思ってなかったのに。あ、でも今は一人にはなりたくない。さすがにあの夢を見た後は怖いよ……。
「はぁ、びっくりした……。で、ソラ、叫んでたけど夢でも見たのか?」
「うん……ちょっと怖い夢をね」
「どんな夢だったんだ?」
「えっとね……」
ぼくは夢のことをカイ君に話そうとして、一つの視線に気づいた。そっちに顔を向けると、ルークの真っ黒な瞳が目に入った。……なんか、すごく怪しげな目で見られているんだけど。
カイ君もルークの目線に気づいたらしく、不思議そうに首を傾げた。
「ん? どうしたんだ、ルーク。そんな怖い顔して」
「別に」
「それで、どんな夢見たの?」
今度はスターに聞かれた。カイ君もルークからこちらに首を巡らせ、興味津々といった表情で見てくる。そんなに気になるのかな、ぼくの怖い夢。カイ君怖がりだから、聞かない方がいいと思うけど。
そう思ったとき、玄関の扉が開いた。
「ただいまっと」
よかった~、園長先生も帰ってきた。
先生は入ってくるなり大きな荷物を玄関前に置いた。何かを買ってきたのかな。
訊いてみよう、と園長先生を見上げると、眼鏡の奥の目がぼくを直視して見開くのが見えた。え、なに……?
そう思ったのもつかの間、先生はすぐに元の笑顔に戻った。
……? 驚いたように見えたけど、気のせいかな?
「みんな、こっちに注目! 新しく孤児園に入ってきた二人を紹介するよ」
園長先生は明るい声で玄関を手で示した。先生の後ろから赤髪の少年と紺色の髪の少年が姿を現す。ぼくは息を飲んだ。紺色の髪の少年が、夢の中に出てきた赤い眼の人物に似ていたからだ。でも、その目は殺気も光も放ってはいなかった。ただ似ているだけだよね……?
二人の少年は先生に促されてぼく達の前に立った。最初に、赤髪の少年が口を開く。
「おれはラギ。中学二年生だ。えっと、これからよろしく」
「……俺はシン」
ラギ君に続いてシン君が素っ気なく名前だけを口にした。その口元がスターに向けて笑ったように見え、ぼくは思わず振り返った。スターは、いつも見せない鋭い目つきでシン君を見つめている。けれど、ぼくに気づくなり元の表情になり、視線を戻すとシン君が浮かべていた笑みも消えていた。他の人の表情を窺うも、みんな気づいていないようだった。でも……あれは気のせいじゃない気がする。
「……本当は、つれて来たくなかったんだけどね……」
不意に、園長先生の声が聞こえてきた。とても小さな、呟くような囁くような声。けれど、やっぱりみんなには聞こえていないようだった。先生もキッチンに行っちゃったし……。
その後、元々孤児園にいたメンバーの自己紹介を終え、夕飯となった。先生が持ってきた大きな荷物は、ラギ君とシン君の私物と二脚の椅子だった。椅子は、多分ラギ君とシン君の分。
夕飯を食べ終えると、スターに誘われて遊ぶことになった。
「ラギ君、遊ぼっ遊ぼっ!」
スターが目をキラキラさせ、ラギ君に声をかけた。ラギ君は不思議そうに首を傾げる。
「いいけど……なにするんだ?」
「何したい?」
「おれは何でもいいけど」
「じゃあ……積み木!」
部屋の端においてあった積み木の箱を持ってくるスター。え、何で積み木? 最近は全然使ってなかったのに。
ぼくが不思議に思っていると、頭の上に何かが置かれた。
「次、ラギ君の番だよ」
……え? 何をしてるの?
ぼくがぎこちなく上を向こうとすると、スターに動かないように言われてしまった。……もしかしてスター……。
「お! 面白そうだな。よっと」
頭の上が重くなる……ってやっぱりぼくの頭の上で積み木してるー!?
「ソラ、動いちゃだめだよ。よいしょっ」
「次はおれだな。よっ」
次々と積み木を置いていくスターとラギ君。うわあ、二人からのプレッシャーで身体が震えてきたよ~。カイ君やルーク、ハートちゃん達もぼくに注目してるし。ちょっとラギ君! 中学二年生なんだよね? スターと一緒にぼくで遊ばないでっ。
目だけ動かしてラギ君の様子をちらり窺うと、黄色い瞳が悪戯っぽく輝いているのが目に入った。えー、ラギ君ってこういう人?
ラギ君にやめるよう言うのを諦めて、早く終わらないかなーっと思いながら震える身体を止めるように目をぎゅっと瞑る。その時、ラギ君の小さな声が聞こえてきた。
「あ……」
瞬間、ぼくの頭に積み木の雨が降り注いだ……って痛い痛いっ! 痛いよラギ君っ!
涙目になってラギ君を睨むと、ラギ君は申し訳なさそうに笑いながら「ごめんごめん」と謝ってきた。周りのみんなは哀れむような目線を送ってくるし、スターは悪びれた様子もなく大笑いしてるし……。でもまあ、楽しいからいいや。
そんなふうに楽しく遊んでいると、あっという間に九時を過ぎてしまった。この孤児園は十時には寝ないといけないという決まりがあるため(といっても園長先生が勝手に決めたんだけど)、ぼく達は急いでパジャマに着替えて歯を磨いた。
磨き終え、顔を上げると鏡にぼくの姿が映る。もうみんな二階に上がってしまったようで、周りには誰もいない。……夢のこと思い出しちゃった。一人でいるとやっぱり怖くなってくる。早く部屋に行こう。あ、そういえばカイ君に夢のこと話してなかったな。
歯ブラシを片付け、階段に足を進めた。その途中、話し声が耳に入った。
……これは、シン君の声?
ぼくは洗面所の入り口前で身を潜め、シン君の声に耳を傾けた。
「久しぶりだな、スター」
「……シン」
相手はスターか……ん? 久しぶり? 二人は前どこかであったことがあるの?
壁に背をつけたまま、ぼくは二人を凝視する。
「ボクは、あのときのこと忘れてないから」
スターがそう言うと、シン君は鼻で笑ってスターの横を通り過ぎて行った。スターはぼくに気づかずに、硬い表情で二階に上がって行く。
いったい何の話をしていたんだろう? なんか、深刻って感じの雰囲気だったけど。
スターに訊いてみよう、と階段に足をかけたとき、またしてもシン君の声が。
「聞いてたのか」
「……」
盗み聞きはいけないんだろうけど……気になる!
ぼくは足を止め、そっとシン君に近づいた。えっと、今度の話し相手は……ルーク? ルークもぼくと同じようにスターとシン君の話を聞いてたんだ。だけど、ぼくみたいに何の話をしていたんだろう? っていう表情はしていない。スターみたいに、鋭い目つきをしている。
「……俺の作った薬は、不完全だったみたいだな」
「……」
沈黙したままのルーク。シン君はそれ以上何も言わずに、さっきのようにルークの横を通り過ぎていった。
……ほんと、シン君は何を言ってるの? ルークはシン君が言っていることがわかっているのかな?
その時、急にシン君が振り返った。赤い眼がぼくを見つめてくる。
どくん、と心臓が高鳴った。怖い。夢に出てきた眼と、似ている。
ぼくは慌てて目を逸らし、階段を駆け上がった。自分の部屋に飛び込み、スターの驚いたような目線を感じながらベッドに潜り込む。
今度は怖い夢を見ませんように。そう願いながら、早々と眠りに入った。
スターとシン君が話していた内容をスターから聞くのは、もっと先のことになるのだった。




