僕と彼女と…
「赤ちゃん、できたみたい…。」
遥香の突然の告白に、ただ呆然とする俺。
それって…、俺の子だよな。
見に覚えは…、あります。
でも、いきなりそんな事言われても…!
混乱。
「なんか言ってよ。」
遥香の声。
なんかって言われても、なんて言ったらいいのか。
…。
「そう…。」
「そう、て…。他に何かないの?」
他にって言われても、何て言ったらいいの?
「子供が出来たら一緒に育てようって、言ってくれてたじゃない。」
はい、確かに言いました。
でもあれは、その場の流れで言ったというか…。でもそれは、今言える雰囲気じゃない。
言葉を探す事、数分。
「もういい。」
何も言わない俺に業を煮やしたのか、遥香が立ち上がる。
「あ、遥香…。」
呼び止めてはみたものの、何を言っていいのかわからない。
遥香は、俺を涙目で睨み付け、部屋を出ていった。
会社に入社して一年目。23歳の俺。入りたい会社に入社出来て凄く嬉しくて、仕事が楽しくて仕方ない今日この頃。
一方では、大学時代の友人と飲みに行ったり、たまには合コンなんか行きたいなと思う、まだまだ遊びたい盛り。
それが急に『子供が出来た』なんて言われて。どうしたらいいんだ?!
確かに遥香のことは好きだし、これからもずっと一緒にいたいって思う。
でも、いきなり『子供が出来た』なんて言われても…!父親になるなんて考えたこともなかった。
遥香だって、仕事始めたばかりなのに。子供産みたいって、思ってるのか…?
携帯が鳴る。
誰だよ?こんな時に。
面倒くさく思いつつも、通話ボタンを押す。
「…はい。」
「中村恭吾!!」
いきなりフルネームで怒鳴りつけられる。俺をフルネームで呼ぶ奴はだだ1人。遥香の親友の原田まゆみだ。
「なんだよ」
「遥香に『子供産んでほしくない』って言ったんだって?!」
「そんなこと言ってねーよ!」
なんでそんな話になってるんだ?!俺何も言ってないのに。
ふと冷静になる。
そういえば遥香、俺のアパートから出ていった後、何処に行ったんだ?
「遥香、おまえの家にいるの?」
「いるよ。寝てる。」
ちょっと安心。
「産むなとは言ってないっていうけど、じゃあ、なんて言ったわけ?」
こっちの感情おかまいなしに、さらに責め立てられ、ちょっとイラつきながら答える。
「何も。」
「何も?!」
いちいち大きな声出すなよ。
「遥香の事、好きじゃないの?」
…好きだけど。
「遥香1人で産むって言ってるんだよ?」
「はぁ?!」
今度は俺が大きな声を出す。
なんだよそれ?何でそんな話になってるの?
「ねえ、それでいいの?」
いいわけないだろ!
いいわけ、ないけど…。
「ちょっとは遥香の事も考えてあげてよ。」
………。
「ごめん。ちょっと1人で考えたいから。」
そういって電話を切った。
「遥香の事頼むな」それだけ付け足して。
遥香、子供産みたいって思ってるんだ…。
そういえば昔、『子供が出来たら、いっぱい幸せにしてあげるんだ』なんて、言ってたことあったっけ。
あの時はそんなこと言う遥香がかわいくて、『じゃあ、子供が出来たら一緒に育てよう』って言ったけど、それが現実になると…。
正直言って、責任とかまだわからないし、親になる自覚なんて全然ない。
…いきなり子供とか言われても…。
…。
……。
もう考えるのやめた!今日は寝てしまおう!
あれから何度か遥香に電話したけど、全然電話に出てくれない。
もし出たとしても、なんて言ったらいいのかわからないけど。
数日後。
仕事が終わり、会社の先輩の白井さんに誘われ、白井さんの行き付けのスナックに行った。
少し酔いはじめて、これからどんどん飲むぞ!というところで、白井さんの携帯が鳴った。
どうやら家かららしい。
電話を切った白井さんは、帰り支度を始めた。
「悪い。子供が待ってるから、今日は帰るわ。」
謝りながらも白井さんは少し嬉しそうだ。
「子供、かわいいですか?」
思わず聞くと、
「マジかわいいよ、うちの子。今度写真見せてやるよ。」
見事な親馬鹿ぶりを披露された。
白井さんを見送り、1人で酒を飲む。
…。
俺は白井さんみたいに、子供がかわいいとは思えない。
近所のガキは憎たらしいし、たまに見かける赤ん坊も、泣いてばかりでうるさいだけだ。
「どうしたの?悩み事?」
ため息をつく俺を見て、ママが話し掛けてきた。
「はあ、ちょっと…。」
「当ててあげましょうか。そうねえ…、彼女に子供が出来た、とか。」
びっくりしてママの顔を見る。
何でわかったんだ?!俺まだ誰にも言ってないのに。
「当たった?さっき白井くんに子供かわいいか聞いてたから、そうだと思ったの。」
女のカン(それとも客商売のカンか?)はすごい…。
「それで、結婚するの?」
「まだ決めてないです…。」
「中村くんだっけ?今いくつ?」
「23です。」
「そっかぁ。じゃあまだ遊びたいわよね。」
「遊びたいっつーか…。」
ママの言葉に、口を濁す。
「彼女とは、どれくらいつきあってるの?」
俺は、遥香と3年つきあってることを伝え、大学で初めて会ったときのことから、付き合い出したきっかけ、そして今日までのことを、ママに聞かれるまま話した。
話しているうちに、遥香といて楽しかったこと、喧嘩もするけど、二人でいて幸せだったんだってことを思い出す。
「それで彼女は、1人で子供産むって言ってるんだ。実家にでも帰るつもりなのかしらね。」
「いや、多分それはないです。あいつ母親死んじゃっていないし、父親も、あいつが高校の時再婚したらしいから。」
「じゃあ、本当に1人で育てようと思ってるの?ものすごい大変よ。」
そうだよな。
自分が働かなくちゃ金もないし、その上1人で子供の面倒見て、頼れる人もいなくて…。
「中村くんは、それでいいの?」
「良くないけど…、父親になる自覚とか、責任とか、わからなくて…。」
深いため息をつき、酒を飲む。
「彼女の事好きなんでしょ?一緒にいたいって思うんでしょ?」
「…はい」
「なら、幸せにしてあげなさいよ。」
…。
遥香にとって何が幸せなのか。今まであまり考えたことがなかった。とにかく今が楽しければいいと思ってた。
遥香を幸せにできる方法なんてわからない。でも…。
「幸せに…できるかな。」
「大丈夫よ。責任とかそんなの考えなくても、一緒にいたいって気持ちがあれば。」
ママの優しく、そして力強い言葉。
「親の自覚もね、女は子供を身籠った時から徐々にでてくるけど、男は身籠らないから。最初はなくても当たり前よ。そのうち出てくるわよ。」
「そうですかねぇ…。」
「そうよ。白井くんだって、最初は全然自覚なんてなかったけど、今じゃ子供にデレデレなんだから。」
「そうなんですか?」
意外。白井さんは、最初から子供が好きだったんだと思ってた。
「それより、彼女のこと、何とかしないと。今はまだ悩んでいるところだと思うけど、はやくしないと取り返しのつかないことになるわよ。一度決心してしまったら女は怖いわよ。」
「…はい。」
「正直に自分の気持ちをはなせば、彼女もきっとわかってくれるわよ。」
「そう、ですよね。」
「そうよ!じゃあ、そうと決まったら、今すぐ彼女のところに行きなさい!」
「はい。ありがとうございました。」
ママに背中を押されて、遥香のアパートへと向かう。誰かに言われないと動けないなんて、本当に情けない。
こんな情けない俺でも、遥香は許してくれるだろうか。
遥香のアパートに着き、窓明かりで起きていることを確認する。玄関のチャイムを鳴らし、待つこと数十秒。
「誰?」
ドアが少しだけ開き、中から遥香の声が聞こえた。
「俺。」
「…恭?」
「うん。」
その瞬間、ドアを閉める遥香。
「ちょっ、遥香?なんで閉めるんだよ?!」
ドアを叩く俺。
携帯が鳴る。遥香だ。
「もしもし、遥香?!」
「…何しに来たの。」
「何しにって、遥香とちゃんと話したくて。」
「話すことなんてない。」
低く冷たい声。こんな声を出す遥香は初めてだ。
少したじろぐけど、ここで負けるわけにはいかない。
「遥香に無くても、俺にはあるんだ。聞いてくれるだけでもいいから。」
無言。
「どうしても聞いてほしいことがあるんだ。遥香、お願いだから。」
「…じゃあ、このまま電話で話して。」
「電話じゃ嫌だ。直接顔をみて話したい。」
再び無言。
「遥香、お願いだから、ドア開けてよ!」
電話で話しながらドアを叩く。
どれくらいそうしてたのか、いきなりドアが開く。
「近所迷惑でしょ。」
それだけ言って部屋に戻る遥香。ドアは開けたままだ。
「入っていいの?」
背中を向けたまま、何も言わない。
「入るよ。」
そう告げて、玄関に入りドアを閉める。
「遥香、こっち向いてよ。」
呼び掛けても背中を向けたまま動かない。仕方なく、そのまま話し始める。
「俺、子供が出来たって聞いて、正直頭真っ白になっちゃって。だってまだ23だし、会社入ったばっかりだし。どうすればいいんだって、ずっとそればかり考えてた。」
遥香は何も言わない。聞いてるのか、聞いてないのかわからない。けど、とりあえず続ける。
「でも原田に、遥香が1人で子供産むって聞いて、すげぇ嫌だった。遥香が俺の前からいなくなるなんて考えられなくて。子供とか関係なく、遥香とずっと一緒にいたい。」
「…それって、子供は嫌ってこと?」
遥香がようやく口を開く。
「私は、絶対に子供堕ろしたくない!だって、もうここにいるんだよ?」
お腹を大事そうに触る。
「だから、1人で育てるって…」
「嫌とかじゃない!」
遥香の言葉を遮る。
「嫌とかじゃなくって、自信がないんだ…。はっきり言って、父親になるって言われても、ピンとこないし。」
「自信なんて、私だってないよ!」
声を荒げる遥香。
「小さい頃お母さん死んじゃって、母親の記憶もロクにないのに…。そんな私が母親になれるのか、どうやって育てたらいいのか…不安でしょうがないよ!」
遥香も悩んでたんだ。そうだよな。遥香だって、急に子供出来てどうすればいいのかわからないよな。
「ごめん、遥香。」
遥香に近づく。
「色々悩ませてごめん。」
遥香はまだ、背中を向けたまま振り向かない。
「俺、超頼りないと思うけど、それでも良かったら、一緒に子供育てないか?」
「…ほんと?」
小さな声で、遥香が聞く。
「本当だよ。」
俺は後ろから遥香を抱き締めた。
「…恭、お酒臭い。」
「え?」
「お酒臭くて気持ち悪い…。」
俺をはねのけ、洗面所に飛び込む遥香。
せっかくいい雰囲気になったのに、そりゃないだろ。そして、ふと気付く。これってよく聞く“つわり”?
「大丈夫か?遥香。」
背中をさすってあげようと近づくと、
「寄らないで!」
拒否。
仕方なく、少し離れた場所で遥香が落ち着くのを待つ。
ようやく落ち着いた遥香が、俺から離れたまま言ったことは、
「酔っぱらいが言うことなんて、信じられない。」
…確かに、酔った勢いでここに来たことは否めない。でも、今言ったことは本気なのに!なんか立場ないじゃん、俺。
「わかったよ!じゃあ明日仕事終わった後、しらふでもう一回言ってやるよ!絶対に居留守使うなよ!」
軽くキレ気味で玄関に向かい、ドアを開けたところで振り返り遥香を見る。
「おとなしく寝ろよ!」
遥香が少し笑ったような気がした。
定時で仕事をあがり、遥香のアパートへと向かった。
昨日とは違い、すんなり俺を部屋に入れた遥香は、なぜか正座で俺と向き合う。俺もつられて正座。
なんだ?この雰囲気。なんか落ち着かないんですけど…。
そわそわしている俺を、期待したような目でじっと見つめる遥香。
きっと俺が何か言うまで、このままなんだろうな…。言うことは昨日と変わりませんが、いいでしょうか?ドキドキしながら口を開く。
「あの…、昨日も言ったけど、子供一緒に育てない?」
なんで疑問形?昨日と同じこと言ってるはずなのに、なんか情けないというか…。
遥香は…、反応なし。
あれ?やっぱり言い方が悪かった?
「あの…、遥香?」
「それ、昨日聞いた。」
いや、だって、『しらふでもう一回言う』って、昨日言ったよね?俺。
「恭が、子供一緒に育ててくれるっていうのはわかった。それはすごく嬉しいよ。でもそれだけじゃなくて、他に言うことない?」
他に…って、何?
「だから、一緒に子供育てるってことは、つまり、私と恭がこれからどうするってことなの?」
言い方が回りくどくて、よくわかんないんですけど…。
一緒に子供育てるってことは、一緒に住むってことだろ。あ、その前に親に挨拶とかしなきゃいけないよな。そういえば、挨拶ってなんて言えばいいんだ?『子供出来ました』じゃ、まずいよな。やっぱり『娘さんを僕にください』とか言うのかな?いや、ストレートに『結婚させてください』でいいのか?
あ!
そこまで考えてやっと気付く。そうか!『結婚』だ!俺、『子供育てよう』とは言ったけど、まだ『結婚しよう』って言ってない。
遥香が聞きたがっているのは“プロポーズ”の言葉だ!
遥香は俺がわかったことを察したのか、さっき以上に期待した目で俺を見る。
ヤバイ。そんなの考えてなかった。プロポーズってどうやってするんだ?よくテレビで見るのは、夜景の見える場所で指輪を渡しながらっていうパターンだけど、指輪なんて用意してないよ。つーか、プロポーズなんて、照れ臭くて…。
「言わなくてもわかるだろ。」
俺の言葉に
「嫌!一生に一度のことなんだから、ちゃんと言って」
と、ちょっと膨れながらせがむ遥香。
「ちゃんと言ってくれないと、結婚しない。」
さすがにそれはないだろうけど、そこまで言われたら言わない訳にはいかないよな。
「わかった。じゃあ、30分待って。」
「え、なんで?」
「いいから!」
財布を持って外に走る。指輪とまではいかないけど(というか、そんなに金持ってないし)、手ぶらじゃ気が引ける。
迷いに迷って買ったのは、遥香の好きなガーベラの花束と、遥香がよく買うコンビニのゼリー。これが今の俺の財布から出せる精一杯。
ダッシュで遥香のアパートに戻りドアを開ける。遥香が振り向くのと同時に花束を渡して、そのまま勢いで言った。
「遥香、結婚しよう」
「うん!」
俺に抱きつく遥香。
すごく恥ずかしいけど、遥香が喜んでるから、いいか。
「あのさ、指輪はまた今度でもいい?」
「うん、わかってるよ。だって恭が私の指輪のサイズ、知ってると思ってないもん。」
言葉は少し意地悪だけど、嬉しそうに俺に抱きついている遥香は、物凄くかわいかった。
何が出来るかわからないけど、頑張ろう!心からそう思った。
遥香の笑顔と、そして、これから生まれてくる、新しい笑顔の為に。