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幕間 夢を紡いで


 不思議と、心は穏やかだった。

 頭のどこかでは、こうなることを知っていたのかもしれない。そんな風に考えてしまうくらい、マルセルの思考は通常通りに働いていた。

 前後を守る神聖騎士は、一言も喋らない。

 本来、護衛は必要以上に口を利かないものだ。彼女の前でにぎやかだったのは、彼女自身がそう望んでいたからなのだろう。姉と似た風貌を持ちながら、姉のように人を惹きつける魅力を備えている。

 黒髪を晒したのは、わざとだった。

(君を好きなのは、ぼくだけでいい)

 名前を偽っていたことくらい、どうということはない。姉の身代わりをしていたのも、本来の色と違う髪で誤魔化していたことも、マルセルはとっくに知っていた。

 だから悲しむことなんてない。

(あの場面では、子供らしく怒るのが自然だからね)

 辛そうに顔を歪ませる彼女を見て、傷つけた罪悪感よりも昏い喜びが勝った。ああ、これでより深く刻むことができた。これからずっと、彼女はマルセルを騙した罪を悔やみ続ける。

 マルセルのことを忘れたりはしない。

 王子ですらないのだと、国王になれない身分なのだと言われても、哀しくなかった。母の願いは打ち砕かれ、大臣たちの野望も潰える。王子派に味方した人間は皆、粛清の嵐に飲み込まれるだろう。

 姉・ミリエランダはそれほど甘い人間ではない。

「姉さまが女王になるのなら、別にいい」

「マルセル様……」

 ぽつりと洩らした台詞に、同情が寄せられた。

 確かエンゲルハイトといったか。彼女の言葉に要らぬ感銘を受けて、そのまま信奉者になる勢いだったが。夜の帳がまだ辺りを覆っている時間帯に、あの色を見た。頼りない蝋燭の明かりに照らされて、濡れた瞳がゆらゆら揺れていた。

 マルセルは、あんなに美しいものを見たことがない。

 とても幻想的な光景だった。

 黒い髪に白い肌がより映えて、薄い夜着はまるで女神の纏う衣のようだ。あんなむさくるしい男が担いでいなかったら、誰もがひれ伏すに違いない。しかしシクリアの民は黒に対する嫌悪が強すぎて、彼女の魅力には全く気付かない。

 それでいい。それがいい。

「だから、いいんだ」

 マルセルの独り言に、後方を歩いていた騎士が止まる。

「…………ユリウス、悪い。おれ、行くトコできた」

「エンゲルハイト、まさか」

「おれ、やっぱりあの人についてく。神聖騎士を降ろされてもいい!」

「待て! そんなことが許されると思っているのか」

「騙したとか、騙されたとか、そんな難しいコト分かんねえよ。お前も知ってんだろ、一緒に護衛やってたじゃねえか。無視してもいいのに、お前のために怒ったんだぞ。あの騎士野郎が来た時も、あの人が警告してくれなかったら無事で済まなかった!」

「それ、は……っ」

「シクリアの民を守るのが神聖騎士だ。それ以前に、受けた恩はきっちり返すのが男ってもんだろ。違うか?!」

「エンゲルハイト、越権行為だぞ」

「だから神聖騎士なんざ辞めてやるって言ってんだ。いいか、ユリウス。おれの代わりに、ちゃんとマルセル様を送ってけよ? あっちがどうなってるかは分からねえけどな」

 想定外のことが起きている。

 これだから、単純馬鹿は嫌いだ。古い観念や固定された思想を無視して、己の本能を優先してしまう。一度発露した衝動は、そう簡単に止められない。今、その証明が目の前で繰り広げられている。この馬鹿たちは、真夜中だというのが分かっていないのか。

(ああ、うるさいな)

 叶うものなら、マルセルが彼女の下へ行きたい。

 子供の力で大人に太刀打ちできなくても、子供にしかできない方法がある。傍にくっついて離れなければ、騎士たちにも手出しはできないだろう。

(でも、駄目だ)

 それでは計画が台無しになる。

 彼女はマルセルを「子供」としか認識しなくなる。それでは足りない。それだけでは満足できない。もっと、もっと深いところまで入り込まなくてはならない。どんな時でも、何があっても、最終的にはマルセルの言葉を否定することすらできない程度が望ましい。

 国王になれないマルセルは、彼女を王妃にできない。

 だが彼女は実際のところ、それなりの身分を持っているらしい。だったら話は簡単だ。絶対唯一の権力を使わなくても、彼女を手に入れられる。妻にできる。傍に置いて、一生離さない。他の誰にも近づけさせない。

(待っててね、ユーコ)

 それが彼女の本当の名前だというのなら。

 何度でも呼んであげよう。魂をも絡め取って、逃げられないように。


****


「マルセル」

 その声は天上の歌にも等しいと言われた。

「わたくしの、可愛い子」

 はらりと落ちた銀糸は月の雫の如く、二つの瞳は宝石を埋め込んだかのよう。花弁のような唇はそれだけで、見る者を魅了した。しかしイザベラが愛したのは、ただ一人だった。

「ああ、陛下」

 反乱は失敗に終わった。

 よく分からない。誰かが、そう言っていた。いつも華やかな彩りに満ちていた空間は、苦り切った男たちでひしめいている。何人かが扉に近づこうとするが、見たこともない衣装の騎士が阻んでいた。

 夢は、終わったのだ。

「いいえ、終わっていないわ」

「姉上? どうなさったのですか」

「だってマルセルがいるのだもの。あの子は、王になるのよ。そう定められているの」

「…………姉上……」

「どうしたの、レティシア。あら、ジャンがいないわね。婚約者が寂しそうにしているのに、一人にしておくなんて」

 あの方なら、そんなことはしない。

 イザベラが寂しい時、辛い時、哀しくて泣いている時、いつも傍にいてくれた。笑顔を浮かべると、それに応えてくれた。甘い声と優しい愛撫に、いつも酔わされた。

「でも」

 あれは、いつからだったろう。

 イザベラにとっての唯一は彼しかいないのに、彼には他の所へ目移りしているようだった。物珍しさから、そうなったのは分かっている。困ったことに、どんな女へも優しくするべきだと考えているのだ。イザベラが嫉妬することも知った上での行動だから口惜しい。

 いや、違う。

「ミリィ…………、あの女!」

 国王の子を孕んだと嘘を吐くから、殺した。

 マルセルを国王にできないと言うから、殺した。

「みんな…………みんな、皆あの女のぉっ」

「姉上、しっかりなさって! 姉上…………きゃあっ」

「ああああああぁっ」

 体が燃え上がりそうだ。

 まとわりつくものが煩わしく、無我夢中で引き剥がした。イザベラは夢を見続けているはずだった。今までもこれからも、幸せな時間に生きるはずだった。

 思い出も何もかもが、燃えていく。

「陛下、陛下あぁっ」

 助けを呼んでも、来てくれない。

 こんなに辛くて苦しいのに、慰めてくれない。あの力強い腕で、守ってはくれない。もう彼はいない。死んだのだ。イザベラに酷いことをするから。愛していると言ったくせに。

「愛していると、言ったくせに!!」

 嘘吐き。

 焦げ付く臭いがした。熱くて、熱くて仕方ない。これは嫉妬の炎だろうか。彼に愛されたくて、愛したくて、燃え上がる心が行き場をなくしてしまった。

 だってもう、彼はいない。

「いやあっ、姉上えぇ―……!」


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