内紛勃発・3
「ミリィ様!」
「うわあっ」
背後からの大声に、思わず飛び上がりそうになった。
そうできなかったのは王子が抱きついたままだからなのだが、それよりも何だか涙声ではなかったろうか。するすると考えが至り、神聖騎士の二人を完全放置で喋り倒していたことを思い出した。自覚すれば、途端に恥ずかしさで顔が熱くなる。
(なんか偉そうだったよね、偉い人にすっごく偉そうなことを……っ)
しかも泣き落としだ。
涙は駄目だと分かっていたのに、アークドラゴンのことを考えていたら急に溢れてしまった。どうして見たこともない竜のことが気になるのか、涙まで出てくるのかは分からない。我ながら理解不能だ。そして今の、この状況も。
「え、えっと……」
「エンゲルヘイトっす!」
「あ、ああ。はい、エンゲルヘイトさん」
ものすごい勢いで名乗られて、柚子はちょっと引き気味だ。
どうしてこうなった。というか、彼に何が起きた。どう見ても、少年にくっつかれた女を見る目ではない。やけにキラキラしていて、ちょっと怖い。
「ごめんね、ミリィ。こいつ、感動屋なんだ」
「ミリィ様とお呼びしろ! 今の話を聞いていただろう。こんな素晴らしい御心の持ち主を尊敬せずに、誰を尊敬しろというんだっ」
「…………今朝まで『団長はおれの憧れです』とか言ってたじゃないか……」
「今も団長のことは憧れであり、目標だ! しかし、最も尊敬する御方は、このミリィ様だっ」
「はあ」
どうもありがとうございます、と語尾がやや上がる。
ほとんど、全く感情のこもらない返事だったにもかかわらず、エンゲルヘイトは感極まってしまったらしい。顔をくしゃっと歪めて、そのまま腕に押し付けた。くぐもった声が聞こえてきて、もうどうしたらいいのか分からない。やはり放置が最良か。
ユリウスと目が合い、彼は「ごめんね」と口パクで謝ってくれた。
殴られたばかりの頬が赤くなっていて、痛々しい。なんとかできるものならなんとかしてやりたいが、医療室が何処にあるのかも分からない。バッグの中にハンカチがあったから、あれで冷やすことはできそうだが。
「あっ、わたしのバッグ!」
「え?」
「ええと、紐のついた小物入れなんですけど。できるだけ近くに置いておこうと思って、今日は寝室に置いていたはずなんです。……どうしよう」
あの中にはメダルも入っている。
シクリアの古文書に書かれていた文字が、祖父の手紙にも綴られていた。なんとなく読み上げたフレーズが推測と合っているなら、あのメダルはこの国で作られたものだ。
アレクセルが「誰にも見せるな」と言った訳が、今頃分かってしまった。
「どうしよう」
「ねえ、ぼくが取ってくるよ」
頭を優しく撫でられ、すぐ近くにマルセル王子の笑顔があった。
背伸びしようとする子供の大人びた表情でなく、年相応の幼い表情でもない。一人の男として意識させてしまうような、意志の強さが感じられる。子供相手にどきどきしそうになって、柚子は慌てて首を振った。
「駄目です、そんなことさせられませんっ」
「そうですよ、王子。王子派が行動を起こしたばかりで、城内は酷く混乱しています。王女派に見つかると王子が危険ですし、王子派に見つかっても我々が不利になります」
「あ。じゃあ、おれが」
ひょいと挙手したエンゲルハイトを、王子が睨んだ。
「だめ」
「何でッスか!?」
「さっき、こっちの騎士が言ったよね。王子派に見つかっても、王女派に見つかっても不利になるって。それはお前たちにも言えることだ」
「…………あの、神聖騎士団ってどっち派になるんですか?」
自分が投げておいて話の腰を折るのは申し訳なかったが、気になることは気になった時に解決しようが信条である。エンゲルハイトの真似をして挙手をすれば、王子がくるっと振り向いた。
にこにこと眩いばかりの笑顔が、今は恐い。
「君の味方は、ぼくだけで十分だよ」
答えになっていません。
笑うに笑えなくて顔を引きつらせると、ユリウスも困ったような顔をしている。彼らの団長はプライムだ。彼はミリエランダと親しいので、王女派のような気がする。そして王立騎士団とは仲が悪そうだし、彼らは王子派だろうか。
(なんかヤだな。こういうの)
二つの派閥があるのは知っていた。
それこそ柚子が、この世界に来る前から存在しているのだ。元より部外者である柚子が、口を出せる権利などあるはずもない。少なくとも、王子と王女は仲が良い。二人ともが、周囲の甘言に惑わされそうな弱い人間でもない。
そういうところは、アレクセルの血だろうと思う。
「もしかしたら」
「ユリウスさん?」
「なんで、こいつの名前は一発で覚えてるんスかっ」
という抗議は聞き流して。
「はっきりと覚えているわけじゃないから、自信ないけどね。王女殿下が持っていたような気がする」
回廊ですれ違った時に、目に入ったそうだ。変わった物だなと思ったので、記憶に残っていた。王女は型破りな性格と、いつからか『暴走王女』の二つ名が広まっている。彼女なら、多少とんでもないことをしでかしても不思議ではない。
人々の中には、そういう認識があるのだとか。
「本当に、似た者親子なんだから」
アレクセルと一緒にいた時間はほんのわずかだったから、こんな風に思わせる彼の方がミリエランダよりも凄いのだろう。もし生きていたら、楽しい思い出がたくさん作れたかもしれない。
発作の前触れを、胸の上で抑えた。
「ミアを、信じよう」
声に出してみると、思ったよりもしっくり馴染んだ。
彼女のことを思い出すと、不思議なくらいに不安が消えていくのだ。それにストラルドやクラインだっている。ミリエランダは一人ではない。
だから、大丈夫。
気持ちを落ち着かせていけば、何をするべきかという問題が浮上する。剣が使えるわけでなく、もちろん魔法だって使ったことはない。いつだって、周囲に振り回されてばかりだ。
「あの、あのですね」
「うん」
微笑むユリウスに微笑み返し、マルセル王子が割り込んだ。
「ぼくと一緒においでよ。君のことはぼくが絶対守るから」
「え、あ…………はい。それは、後で」
「後で!?」
「ミリィ様、御用がありましたら何なりとっ」
「その言葉に二言、ありませんよね」
「もちろんッス!」
勢い込んで頷くエンゲルハイト。
元の世界ではこんな風に、誰かから好意を向けられたことがなかった。地味で、目立たなくて、くだらないことで大騒ぎする同級生たちを眺めるだけだった。それが日常なのだと、当たり前のことだと思ってきた。
マルセル王子の気持ちも、エンゲルハイトの気持ちも、嬉しい。
でも困る。与えられるだけの気持ちを、返せる自信はないのだから。
「確認、したいんですけど」
「うん」
「今、王子派によるクーデターが起きているんですか?」
「くーでたあ? なんスか、それ」
「内紛、内部紛争っていうか…………えっと、テレビどかで見ただけだからよく分かってないんですけど。軍部が暴走して、主導権を握ろうと国内戦争を起こしたりすることです。外が慌ただしいし、二つの騎士団が団長ごと動いているし、それから王女派と王子派って仲が良くないって」
突如、激しい音が空気を震わせた。
二度三度と続いて、扉を乱暴に開閉させているのだと気付く。
着実に近づいてくる荒々しい足音と、苛立った男たちの声。ここか、いないぞ。くそっ、どこに隠れてやがる。一つずつ虱潰しにしていくしかないだろう。はっ、化け物一匹に面倒なこった。最初はおぼろげだったな単語も、だんだん鮮明になっていく。
(わたしを、探してる……?)
考え事は吹き飛んで、柚子はくっついたままのマルセル王子を抱きしめた。そうでもしていなければ、叫び出しそうなほどに怖かったのだ。
「ユリウス」
「ああ、分かってる」
和やかな雰囲気はなくなり、二人の騎士に緊張感が走る。
「縄はかけなくても、いいんですか?」
「ミリィ、何言って」
「大丈夫、安心して。僕たちは神聖騎士だ。この国に生きる全ての命を守ることが、騎士としての誇りであり、使命だと思っている」
「どうせ王立騎士の奴らだろ。おれたちの敵じゃねえな」
「……一応は『仲間』なんだから、手加減するんだぞ」
「へいへい」
彼らが腰に手をやる。
ユリウスは右で、エンゲルハイトは左だ。剣についての知識がない柚子には、その違いがどこから来るのか分からない。
まだ剣を抜かない二人を見つめ、直後にぞわっと悪寒が走った。
「だめ!! 扉から離れてっ」
驚いた顔がこちらを向くのと、扉が真っ赤に染まるのはほぼ同時だった。




