見知らぬ土地で・1
「っく~、まだ目がチカチカする」
気が付けば、光は収まっていた。
メダルは何事もなかったかのように、柚子の手の中だ。熱かったような感覚も既になく、くすんだ金色にも変化はない。
「一体、何だったの」
目をこすりつつ言いかけた文句は、途中で消えた。
漫画的表現をするなら、ぱかんと開いた口がそのまま塞がらない。目と口をアルファベットの「オー」にして、柚子は完全に固まった。
そこは路地だ。
高さも奥行きも相当ありそうなレンガ造りの壁が、両脇に延々続いている。薄暗がりなのは日暮れだからか、日陰にいるからなのかも分からない。向こうに見えるのは路地に面した大通りらしく、ちらほらと人が見えた。
しかし服装がおかしい。
少なくとも現代人っぽくない。例えるなら、映画で見た中世ヨーロッパの衣装が最も近いだろうと思われた。きっと知らないうちに、撮影現場のセットに紛れ込んだのだ。
何故か。そんなもの分かるわけがない。
「う、嘘、でしょ……」
柚子はショルダーバックの紐を握った。
ちょっと出かける所だったのだ。家にいても退屈なだけだし、祖父母の思い出が次々とわいてくるので泣きたくなる。外へ行けば気分転換もできるだろうと、玄関を通り抜けて郵便受けに気付いた。
そして封筒を取り、メダルを見つけた。
いきなりメダルが光って、景色が一変した。
「夢よ。これは夢」
ふらりと足が勝手に動き出す。
「夢、ゆめゆめゆめゆめ夢なんだったら! それ以外考えられない。他に何があるってのよ。撮影のセットだか何だか知らないけど、突然瞬間移動するわけないじゃない」
さっきまで、家の前にいた。
それすらも疑いたくなりそうで、急な吐き気に襲われる。足場がしっかりしない。景色がぐんにゃりと歪んだ。ああ倒れる。
ヒヒイイイィンッ
馬の嘶きが耳をつんざいた。
「どう、どう! 落ち着けっ」
どうやら馬車の前に飛び出してしまったらしいことを、他人事のように理解する。だが、平衡感覚を失った体はそのまま倒れていくだけ。
(死んじゃうんだ。こんな、どこかも分からない場所で)
哀しいはずなのに、よく分からなかった。何もかもがスローモーションで、高く蹴り上げた馬の足まで、じっくりと観察できてしまう。柚子は己の死を、ただぼんやりと見つめていた。
そして、時は動き出す。
一陣の風が柚子を攫っていったのだ。
すとんと尻を下ろした途端、世界の時間は素知らぬ顔で回り始める。反射的に掴んだ手の向こう、かろうじて見えたのは祖父が大好きだった色。
「おじい、ちゃん……?」
「無礼者!」
年若い声に叱咤され、びくんと肩が揺れる。
「レノ、可愛いお嬢さんに何てことを言うんだ。怯えてしまったじゃないか」
「しかし、アレックス様」
「もう怖いことはないよ。さあ、息を吸って」
「すぅー」
「そう、いいこだ。今度はゆっくり息を吐く。吸った以上の倍くらいは時間をかけて。……上手だな、お嬢さん。飲み込みが早い」
さっきの叱咤に比べ、こっちの声はとても心地良かった。
どんな顔をしているのかと見上げても、逆光でよく分からない。微笑んだらしい彼が、大きな手で優しく撫でてくれた。その仕草も、祖父によく似ているのだ。
祖父が若かった時代に、タイムスリップしたのかもしれない。
(……な、なんてね! そんな不思議なこと、あるわけない)
死にかけたせいで、頭が混乱しているようだ。
改めて周囲を見回せば、ますます異国めいた景色に違和感が増していく。少なくとも日本じゃない。教科書やテレビで見たことのある風景とは、似ても似つかない。レンガ造りの建物や、白い壁の洒落た店、もっと向こう側では露店もあるようだ。
かなり広い道幅があるというのに、車どころか自転車も通らない。
誰もが当たり前のように、徒歩で大通りを行き来する。彼らが着ているものは洋服だろうと思うのに、現代人である柚子にはあまりにも馴染がなさすぎた。
2014.12.04 改稿