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書記官と騎士・1

 目が覚めると、そこは白い世界だった。

「病院……?」

 違う。

 とても似ているが、ここは元の世界ではない。どうやっても帰れないのだという現実が、柚子の心を重くした。漫画や小説で見たことのある「夢オチ」が、どうしようもなく羨ましい。

「ふふっ」

 気持ちが塞いでいるのに、口から洩れたのは笑い声。

(天国みたい)

 白いシーツに包まれたベッドは柔らかく、柚子の体を受け止めている。

 当たり前になりつつあった痛みも、ほとんどない。手足が動きづらいと思うのは、何かを巻きつけてあるためらしい。医学知識のある者による手当、もしくは適切な治療を施されたのだ。

 窓は少しだけ開けてあり、心地よい風が吹き込んでくる。

 眩しい日差しは木々のおかげで軽減され、目を開けているのが辛いということはない。見ることに集中しなくても、耳を澄ませなくても、肌で感じる全てを敏感にさせなくても、柚子を取り巻く全てが鮮明だった。牢獄が地獄だとするなら、この部屋は天国だ。自分しかいない静かな空間は、とても心落ち着けるものだった。

「姫!」

 そう、ちょっと前までは。

「クライン、静かに。傷が悪化したらどうするのです」

「そんなこと言ったって、これが落ち着いていられるか!」

 聞き覚えのある声が、戸口で言い合いをしている。

 どう考えてもクラインの方に非がありそうだが、それを指摘する気分にはなれなかった。起き上がるにはまだ、体が回復していないのだ。その代わりに、できるだけ痛みが出ないように気を付けながら、そちらへ顔を向けた。

「姉さまっ」

「え?」

「姉さま、大丈夫? 痛い? 何かしてほしいことはない? ぼく、何でもするよ」

「あ、あの」

 ベッドへ飛びつくなり、矢継ぎ早に質問してくる子供。

 見事なプラチナブロンドに、新緑を思わせる明るい色の瞳がくりくりと動く。肩よりもやや上で切りそろえた髪に、将来有望株になりそうな可愛らしい顔立ちは間違いなく美少女だ。

(で、でも今『ぼく』って言ったよね)

 混乱して何も言えない柚子を見つめ、心配そうに眉を寄せている。

「姉さま?」

「えっと、わたし……」

「マルセル殿下、ミリエランダ様が困っておられますよ」

「だって! ぼく、姉さまのことをすっごく心配してたんだよ。何日も行方が分からなくて、やっと見つかったと思ったら酷い怪我をしてたって」

 ミアが、怪我を。

 頭の中が真っ白になった。柚子は一体、どれくらい眠っていたのだろうか。牢獄から出してくれたのはミリエランダとクラインだったと記憶している。そこはちゃんと覚えているが、その後すぐに眠ってしまったのだ。

「お、おいっ」

「一体……何が、あったんですか?」

「あっ。起きちゃだめだよ、姉さま!」

 半身を持ち上げようとする柚子を、少年が小さな体で押し留めようとする。気遣ってくれるのは嬉しいが、今はそれどころではない。

 すると細面の青年が口を開いた。

「クライン。ミリエランダ様を」

「分かってる」

「ち、ちょっと、あの」

「大人しくしてろ。後で説明してやるから」

 人懐っこそうな顔の青年がそう告げて、ぽんぽんと肩を叩いていく。

 その手に、覚えがある。彼は牢獄で、何度か見た。全体的に色素の薄い二人に比べ、クラインは健康そうに焼けた肌といい、赤っぽい茶色の髪といい、見た目にもはっきりとした色合いだ。鍛えているのか、肉付きが良くてスポーツマンといった感じだ。

 もう一人の青年は対照的に線が細く、いかにも頭脳派人間。少年ほど見事ではないが、短めの銀髪が目を引いた。目が細いので分かりづらいが、緑っぽい色をしている。会話を聞く前だったら、少年の兄かもしれないと思っただろう。

 一通りの観察を終えると、もう一度少年を見た。

「姉さま?」

 わたしは君のお姉さんじゃないよ。

 そう言おうとした矢先、肩に痛みが走った。さっと視線を走らせれば、クラインが口を曲げて笑っている。表情をはっきりと視認するのは初めてだが、柚子にはこっちの方が馴染み深い。

(何も言うな、ってことね)

 どうやら、これが「裏」だ。

 少年の後ろ、そして柚子の左に一人ずつ、おかしなことを言いださないように両側から監視している。どんな思惑があろうと、従ってやる義理はない。ミリエランダに何か起きたのなら、この状況は無関係ではないような気もする。

 しばらく考えて、柚子は息を吐いた。

「心配させて、ごめんね」

「姉さま」

 子供特有の大きな目が潤んでいる。

 それだけで十分に、ミリエランダのことを大好きなのだと分かった。こんなにも優しい心を、これ以上傷つけてはいけない。

「もう少し、近くへ」

「う、うん」

 戸惑いながら、少年がベッドに体をくっつけた。

 背を屈めて、柚子の顔に近づいてくる。別におかしなことを強要しているつもりはないのだが、彼は何をされるかと不安がっているようにも見える。

 これは何だ。そう、子犬だ。

「大丈夫よ、マルセル」

「あっ」

「大丈夫」

 手を頭にのせた時、少年はびくりと体を震わせた。構わずに撫でてやると、だんだん落ち着いてきたのだろうか。表情がとろんと甘く崩れる。

(う、わー……)

 将来有望どころか、女誑しの卵だ。

 こんな嬉しそうにしてくれるなら、何度だって撫でたくなる。完全に心を預けきった感じもすごくいい。プラチナブロンドはとてもサラサラで、手触りも最高だ。これはくせになってしまう。

「姉さま」

 うっとりと目を細めた少年の声に、はっとする。

 手が止まったと同時に、ベッドの中へ引っ込めた。甘い夢を見ていたような余韻は残っていたが、後悔の方が強い。この子供はミリエランダの弟であって、柚子の弟ではないのだ。

 夢から醒めた衝撃に、心が揺れる。

「姉さま?」

「な、なんでもない」

「ミリエランダ様は先程目覚められたばかり。きっと、お疲れなのです。そろそろ休ませてさしあげましょう」

「うん、わかった」

 少年は素直に頷いて、ベッドから離れた。

 戸口で待っていた侍従の所まで行くと、最後にもう一度とばかりに振り向いていく。小さな唇が何か呟いて、その幼い仕草にまた心が揺れる。

(か、わ、い、いっ)

 こんな状態でなければ、枕を叩いて悶絶しているところだ。

「おいこら」

「いった!」

「クライン、もう少し待てないのですか」

「待った、十分待った。褒めてもらいたいくらいだぜ」

「そうですね。ご本人がいらっしゃいましたら、存分に」

 ねえ、と柚子は言った。

 両方からの視線が集まり、思わず体を固くしてしまう。タイプは違っても、二人ともかなりの美形なのだ。いわゆる、イケメンである。そして柚子は、イケメンに対する耐性があんまりない。

「やっぱり、そういうことなの?」

「そういうこと、とは?」

「誤魔化すつもりなら、こっちにも考えがあります」

「騒いだりするつもりだってんなら、無駄だ。あいつならやりかねん」

 しれっとクラインが言えば、もう一人も平然と先を継いだ。

「理由は、こうですね。怪我をした衝撃で、記憶の混乱が起きている」

「ああ。いいな、それ」

「そんなガセネタ、誰も信じませんよ」

「がせねた?」

「その色に違わず、君は我が国の人間ではなさそうですね。名もなき大陸の外にある島国、その辺のどこかから流れ着いたのでしょう」

「名もなき、大陸……?」

 聞いたことのない名前だ。

 そういえば、この世界に来てから一度もそういったことに関しての話がなかった。アレックスが色々喋っていたのは覚えているが、単なる世間話として聞き流していたのだ。今思えば、それなりに必要な情報だったかもしれない。

 少なくとも、元の世界に戻れないのならば。

(この世界のことを知っておいた方が、いいよね。死にたくないし)

 また牢獄行きになるのは絶対回避したい。


登場人物が増えてきたので、後程まとめを用意する予定

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