託されたもの・5
さっきのは、とストラルドが呟いた。
「ちょっとした強盗のようでしたね」
「なあにそれ、人聞きの悪い」
「その次は、暴走王女の人気ぶりがよく分かる反応だったよな」
「ええ。まさしく『泣く子も黙る』とは、このことです」
軽く説明すると「強盗」が牢番とのやり取りで、「泣く子も黙る」静けさだったのが入ってすぐの牢屋に入れられた囚人たちのことだ。同じ牢獄でも地下牢と違う点は、複数の囚人たちが一緒に収容されている部分だ。広い部屋は比較的罪が軽い者たちが集められ、重くなるにつれて牢屋が狭くなる。脱出防止のため、どの牢にも窓はない。
鍵は牢番が管理するが、鍵束でくくられているものはほぼ同じ形だ。知らない者は、鍵穴に合うものを探すだけでも一苦労する。
更に牢獄の入り口、牢番のいる部屋から外に出ても難関はある。神聖騎士団の控室がすぐ近くにあるのだ。そう遠くない距離には鍛錬場もあり、武器を得られる代償として騎士とやり合わなければならない寸法だ。ここに至るまでの道は一本しかなく、誰にも見つからずに脱出するのは不可能だ。もし突破できるとしたら騎士を凌ぐ実力の持ち主か、透明人間くらいなものだろう。
「地下牢には、あまり囚人がいないのね」
「はい、一ヶ月ともちません。大抵の場合、発狂して獄中死します。ここが使われるようになってから、刑の執行まで生きていた者はわずかです」
「そう」
「アレクセル王が即位して以来、牢獄に関しての規制も厳しくなりました。牢番の定期的な見廻り、牢獄の出口周辺に関わる警備体制も」
「父様が改めて定めたこと。知ってるわよ、それくらい」
「…………」
「静かですね、クライン」
「ん? ああ、まあな」
「君らしくもない」
ストラルドの毒舌はいつも通りだったが、少しだけ心配の色が混ざっている。地下牢に来てから、クラインは極端に口数が減っているのだ。
心がどこか、あらぬ所へ飛んでいる。
「そういえば、王女」
「なあに?」
「先程言いかけたことですが」
牢獄へ入る前のことか、とミリエランダは軽く頷いてみせた。
「別に大したことじゃないわよ。王家の秘宝目当てに、あたしと結婚したがってる奴が何人かいたなーって」
「ああ、そのことでしたか」
「あながち、秘宝の話も絵空事じゃあないんだけど」
ちらりとクラインを見やる。
本当にさっきから様子がおかしい。それも、地下牢に入ってからだ。年頃になった王女の縁談は珍しくないにしろ、少しくらいは反応してくれたっていいのに。
「静かね」
ミリエランダの呟きも、そのまま闇に溶けてしまう。
なんだか少し寒く感じられて、自身の腕を抱いた。この一帯に横たわる空気は、窓がないだけではないだろう。死んでいった魂も、ここに留まっている気がする。
しかしミリエランダは、進まねばならない。
息を吸い込んだ。
「クライン、カンテラを」
「…………」
「クライン!」
「あ、ああ」
らしくないわね。
ストラルドと同じ文句を言いそうになって、今は我慢した。そんな無駄口を叩いている時間もなければ、余裕もない。そろそろ王城では、ミリエランダたちが牢獄へ侵入したことが広まっているはずだ。
地下牢の最奥に収容されているのは、国王を殺した犯人。
王女が接触すると困る者がいたとしたら、真っ先に飛び込んでくるに違いない。これには確信があった。父に殺されるだけの理由があることも、ミリエランダは知っていたからだ。
「動かない。寝ているのかしら」
「ミア、カンテラを動かせ。ゆっくりと」
「こう?」
かろうじて見えた手振りに合わせ、ミリエランダはカンテラを回してみた。
「……ミア? ミリエランダ、来たの?」
「ああ、連れてきた」
「そう」
まだ若い女の声に、ミリエランダは思わず隣を睨んだ。
クラインに怒っても仕方ないと、分かっている。だが、そうせずにはいられなかった。彼は犯人とされている人間の外見について、何一つ報告していなかったからだ。ずるりと何かが這う音がして、それから落ちた。
「ち、ちょっと!」
「王女、危険です」
「うるさいっ」
行く手を阻もうとするストラルドにカンテラを押し付け、鉄格子に飛びつく。
ああ、何故ここはこんなにも暗いのか。顔が見えない。長い髪と、白っぽい肌くらいしか分からない。床に倒れた彼女は、体が上手く動かせないらしい。じれったくなる時間をかけて、こちらへやってくる。
時折、じゃらじゃらと耳障りな音がした。
囚人なのだ、鎖で縛られて当然。分かっているのに、痛ましさで心が潰れそうだった。ミリエランダの頭の中から、父を殺した犯人だという情報は消し飛んでいる。
「ミア……」
「ええ、あたしよ。あたしが、ミリエランダ」
「ミリエ、ランダ」
「…………ひ」
すぐ近くにまで来た時、ようやく闇に慣れた目が相手の顔を捉えた。
とっさに悲鳴を堪えた己を、褒めてやりたい。それくらいに彼女は酷い顔をしていた。それでも最初の衝撃が過ぎてしまうと、まともに見られる。
普通の、どこにでもいそうな女だ。
「ごめんなさい」
「え?」
「わたしに会ったせいで、お父さんを……死なせた」
「死なせた? どういうことなの、それ」
「ごめ、ん」
「謝ってほしいわけじゃない! ねえ、ちゃんと教えて。何があったのっ」
「でも謝り…………かった。アレックス、に」
地下牢に驚きが走る。
(アレックスって、父様が街で遊んでいる時に使う名前じゃない!)
震える手が鉄格子を掴んだ。
ほぼ反射的に、その手を握る。痩せた指がびくりと震えたから、ミリエランダは宥めるように冷えた肌を撫でる。
「似て、る。親子……」
「王女殿下!!」
「ちっ、もう来たか」
「どうやら、レノ執政官ですね。ここは私が対応します」
「頼む」
クラインが肩に手を置いてくる。振り払えば、今度は乱暴に掴まれた。
時間切れだ。
分かっている。言われなくても、言葉に出さなくても理解している。それでも、この手を放して駄目だと心が叫ぶのだ。国王が殺されたと聞いた日から、違和感がずっと消えてなくならなかった。それどころか、日ごとに強くなる一方だった。
そして今、確信した。アレックスを知る彼女が、犯人であるはずがない。
「ミア」
「分かっているわ、クライン」
「ミア……」
「ごめんね、また来る。あなたは、あたしが助けてあげるわ。ミリエランダ・エイメ・シクリアの名にかけて」
その時には名前を聞こう。
「きっと友達になれる。あたしの勘は当たるのよ」
彼女がどんな顔をしたのかは分からない。
判別がつかない距離まで、引き離されてしまったから。無理矢理に立ち上がらせたクラインは、それから牢獄を出るまでミリエランダを放さなかった。ストラルドが何を言ったのかは分からないが、レノ執政官は王女に直接疑問を投げかけることはなかった。
そして扉には再び、鍵がかけられる。