託されたもの・2
クラインは機嫌が悪かった。
すこぶるつきに機嫌が悪かった。理由を問われれば、一つしか出てこない。他の団員たちも分かっていたから、特につっこむこともなかった。
その日の鍛錬を終え、汗を流す。
(あーっ、くそ。すっきりしねえ!)
剣を振るのは好きだ。
誰かを守って戦うという姿に憧れて騎士になったから、クラインの剣はそのためにある。神聖騎士はシクリア王国でも栄誉ある職だ。
そもそも王国の成り立ちは、大陸の各地から流れてきた職人たちの村に起源がある。宝石や貴金属の細工師、鍛冶や彫金を生業とする職人が彼らだけの村を作った。元は宮廷お抱えの人気技師だったり、街の片隅でひっそりと営んでいた貧乏工房の主だったりするのだが、共通するのは自らの作品に妥協を許さないことだった。
シクリア産の工芸品は、好事家がこぞって買い求めるほど有名になり、大陸のあちこちから注文が寄せられる。流通をまとめる商人たちが移り住み、商業が発展した。職人たちが流れ者だったので、国を追われた人々も集まってくるようになった。
人が増えれば、治安も悪化する。
神聖騎士団の原型は、そんな時代に生まれた自衛団だったと云われる。騎士に相応しく、紋章は剣がメインだ。しかもモデルとなったのは、シクリア王家の紋章だというのが一般的な認識だ。竜が絡みついている剣は、確かに神聖騎士団の紋章と似ている。
ゆえに、神聖騎士団と王家は密接な関係にあった。
「ま、また来た…………じゃなくて、いらっしゃったん、のですか」
「あん?」
「すすみませんすみませんっ」
牢番がこのように恐縮するのも、神聖騎士団の肩書のおかげ。
といっても、牢番を務める兵士だって王立騎士団に所属している。いわば、ライバル的存在になるわけだ。これも王立騎士団設立の謂れに端を発し、長い確執らしきものがある。
まあ、クラインにはどうでもいいことだったが。
「何度も来ちゃ悪いのか」
「そっしょのようなことは! ありませんっ、です」
噛んだ。
「生きてんだろうな? あいつ」
「それは、もちろん! 食事もちゃ、ちゃんと食べられ、てますです」
「そうか」
最初に見た時、ぴくりとも動かなかったことを思えば回復したと言えるだろう。しかし、いずれは処刑される身だ。あまり素直には喜べない。クライン自身、こんな風に気にかけている感情そのものが理解できないでいるくらいだ。
(アレクセル様の仇、なんだよなあ)
どうにもそう思えない。
あれはただの弱った人間の、娘だ。ボロボロだからそう思うのか、本当に何の力も持っていないのか。直感を信じるなら後者で、公表されている話を鵜呑みにするなら前者になる。どちらにせよ、今日やってきたのは訊きたいことがあるからだった。
「案内はいい。そこで待ってろ」
「へっ?」
「鍵を寄越せ。俺が開ける」
「そ、そそそんなっ」
「何もしやしねえよ。権限もないしな」
牢番は鍵束を手に、何やら逡巡しているようだった。
ガチャガチャと金属同士の立てる音が耳障りだ。待っているのはこちらなのに、無性に急かされている心地になる。苛立って、鍵束ごと奪い取った。
「ああっ」
「剣は置いてく! それ抱いて待ってろ!!」
「鍵はっ、鍵は大事に扱ってくださいね。絶対ですよ。そっと差し込んで、優しく回すだけで開きますから。こ、これとこれを使えば開きます。他のは触らないでください。穴が合わないと傷つきます。そんなのはいけません」
「…………は?」
「で、ですから、これとこれ……」
「お前、普通に喋れんじゃねえか」
「ひっ」
しゃっくりの半分だけを起こして止まった牢番に、剣を押し付ける。今度は落とさないように、と言わなかった。あのまま彫像のように固まっていれば、落とすこともあるまい。
万が一に落としても、それでどうにかなる造りになっていない。
「あれから、5日……か」
早いようで、時間が経つのは遅い。
ミリエランダが泣いたのは後にも先にも、あの晩の一回きりだった。翌日は真っ赤な目をしたまま、務めを果たしていたそうだ。王妃はすっかり意気消沈し、王子を片時も離さない状況だという。議会は通常通りに機能しているが、今までが国王に頼り切っていた分もあって中々進まない。
というのは、ストラルドがこぼしていた愚痴だ。
悲しみに耐えながら、健気に振る舞う王女の姿は心打たれるものがある。というのは貴族たちの噂で、王女に好意を抱いている団員らが切なそうにしていた。幼馴染扱いのクラインと違って、彼らは容易に王女へ近づくことはできない。
たとえ神聖騎士であっても、身分の差は歴然としていた。
(ミアが自分から会いに行くとか、呼びつけるんだったら別だがな)
クラインの場合は、呼びつけられる方。
もう一人の幼馴染は書記官とはいえ、筆頭なので問題はない。貴族としての身分もまあまあだ。これも生まれた環境の差かと思わずにはいられないが、現実はどうしようもない。