王女ミリエランダ・5
ひょっとすると、自分は存外に冷たい人間なのではないか。
ミリエランダは頭の片隅で、そんなことを考えていた。父は偉大で、憧れの英雄そのものだ。母の顔は知らないし、ミリエランダを生んですぐに亡くなったと聞いている。乳母を務めた侍女はいたが、あくまでも「そういう人間」にすぎなかった。
マルセルが母親、イザベラについて話す時にも心は騒がない。
嫉妬や羨望といった感情は、身内に対して抱かないものだと思っていた。ミリエランダは大人しい性格ではないし、どちらかといえば感情豊かな方だと思う。喜怒哀楽の表現は王族としてできるだけ抑えるべきだと教わったが、無理に押し込める必要はないとも考えている。
父・アレクセルがそうであったから。
王妃が懐妊するまで、弟が生まれるまで、ミリエランダは王位に最も近い人間だった。生みの親は身分の低い貴族で、侍女といっても小間使いのようなものだったと聞く。そんな女がどうやって、国王と親しくなったのか。
(誰彼かまわず手を出すような、色狂いでなかったのは確かだわ)
国王を殺したのは、女だ。
化け物と呼ばれていたのは、その外見ゆえだったらしい。捕縛した者によれば、恐ろしい能力を秘めているとか。それが本当だとするなら、クラインは運が良かったのだろう。
「王女? そろそろ終いにしますか」
ストラルドの問いに、ミリエランダは首を振った。
全ての式典が終わったのが夜半だったから、もう宵も更けようという頃合いか。不思議と眠気はやってこない。父が死んだと聞かされた晩から、ほとんど寝ていない。
三日目かな、と冷静に数える自分が可笑しかった。
「父様が無理矢理手籠めにしようとして、返り討ちに遭ったっていうのはないかしら」
「ミア…………いくらなんでも、突拍子すぎだろ。あのアレクセル様だぜ」
「陛下以外の人間であれば、違和感のない話ですね」
「でしょう?」
「だから、ありえねーって言ってんだろ。ちっとは信じてやれ。お前の父親じゃねえか」
「信じるも何も、もういない人だし」
「ミア!」
勢いよく立ち上がるクラインを、ミリエランダはぼんやりと見た。
いつになく本気で怒っている。そういえば、彼もアレクセルのことを英雄扱いしていた。実際、その評価は間違っていない。国民のほとんどが、剣聖王アレクセルを英雄だと褒め称えている。
善政を布き、戦においては負け知らず。
民を重んじるだけでなく、家族にも大きな愛を注いだ。文武に長けた素晴らしい王だったが、奔放すぎる性格が欠点といえば欠点だったろう。彼は王城で籠っているより、街で騒ぐのが大好きだった。
「自業自得なのよ。護衛も連れずに、街を歩くから」
「お前がそれを言うのか?!」
「あたしは、もう王位継承者じゃない。そんな権利、ないわ」
「…………っ」
「それくらいでいいでしょう、ミリエランダ。クラインも、ひとまず座りなさい」
「俺はなあ!!」
大きな手振りで怒鳴ろうとして、止めた。
両手で頭をかきむしりながらソファに体をうずめる。背を丸めた姿が、苦悶する男のように思えた。目の錯覚ではなく、ミリエランダがそうさせた。
「ごめん」
「謝るな。お前が悪いわけじゃない」
「うん、ごめんなさい。あたし、変になってるのね」
「愛する人を亡くして、平然としていられる人間はいませんよ」
「うん」
ありがとう、二人ともとミリエランダは微笑んだ。その頬を何かが伝う。
「あ、れ?」
瞬きをしたら、もっと溢れてきた。
視界が歪んで、声が詰まる。しゃくり上げて、大粒の涙がこぼれていった。掠れた涙声は、本当にミリエランダのものだったのだろうか。二人の幼馴染が慌てているのは分かったが、もう止められない。どうしようもない。
「あ、ああっ、ああああああ!!」
父様、この世で一番愛していたわ。
もっといっぱい話したかった。一緒に笑いたかった。学びたいこともたくさんあった。それなのに、どうして逝ってしまったの。何が、あったの。
何も分からない。
「父様あぁっ」
体にある水の全部が、涙となって流れてしまう。
それくらいに泣いた。今まで出したこともない大声を上げて、わんわんと子供のように泣いた。ミリエランダに縋る相手はいなかったから、一人で泣いていた。
幼馴染たちに許されるのは、思う存分泣き尽くすまで見守る、それだけだった。