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時代小説

夜に鈴は鳴る

 赤い星を背負った屋台があるという。

 それは満月の月に出るという。

 満月の光が届かぬ街の角に出るという。


 男には名がない。

 破れかぶれの人生であった、とだけ記憶している。

 今日もまた、橋のたもとの屋台で一杯掛け蕎麦をすする。そして屋台に流れる人の話などをぼんやりと聞いていた。


「親父。噂の屋台ってえのは、まだ通らねえのかい」


 男の隣。腰に大小を差してもいない若造が、軽口を利く。

 顔は赤い。口吻からは酒の香りがした。

「さあねえ。ここ最近はとんと聞かねえですけんども」

「噂だけでも、ねえかい」

「さあ……」

 屋台の親父は最近耄碌してきた。江戸暮らしも長い癖に、時折お国の言葉が口から漏れる。

 歯の欠けた口を動かし、彼はにちゃにちゃと笑った。

「しけた屋台にそんな噂あろうはずも」

「ふん」

 若造は蕎麦の汁を下品に啜り、げっぷを漏らす。

 一番安い掛け蕎麦だ。金に不自由している男なのだろう。ただし威勢はいい。

「なんでい。この辺りを通ると噂に聞いたのによ」

「なんだい噂ってのはさ」

 男は思わず身を乗り出し、口を出していた。

 若造と店主が初めて男に気が付いたように、顔を上げる。

 男の姿は汚れた着流し、そして腰に古い大小。それを見て、若造は鼻で笑う。

「なんだい人の話を盗み聞きかい、帯刀なさってるお侍様がさ」

「すまねえな」

 嫌味には慣れていた。

 男はにやにや笑って若造の言葉を流す。

「いやね。俺も屋台引きって奴を探してるんだ。赤い実だか星だか……そんなもんを売る屋台だよ。それかもしんねえから聞いただけのことよ。しらねえなら別に構いやしねえ。邪魔したな」

「待てよ」

 若造が眉を寄せ何か思案している。

 ようやく腹が決まったのか、よし。と一声上げて立ち上がった。勢いを付けすぎて、蕎麦椀に掛けていた箸が転がり落ちる。その箸は闇の中にコロコロと転がって消えた。

「目的は同じなようだな。一緒に噂の屋台を探すかい。良く見りゃ腕も立ちそうだ。行って俺の手伝いをする気は、無いか」

 良く見れば若造と言っても、彼も随分な年である。

 腰の物が無いため、若く見えたのかもしれない。

「名は」

「真と呼べばいい。あんたは」

「名前は無い」

 一瞬、鼻筋に皺を寄せた真だが、気にせずこう言った。

「面倒くせえ、俺はお前を権兵衛と呼ぶ」

 蕎麦の金は真が払った。奮発したのだろう。懐の早道から金を出す際、真の手が震えていたのを男は見逃さない。

 蕎麦の屋台は橋の下にある。

 横は川だ。けして太くは無いが流れが速い。

 腐った香りが強いのは、川上にある遊郭のせいだ。と、真は一人ごちた。

「腐れ遊郭よ。本物の遊郭ってのはあんな場所に作るもんじゃあねえ」

 今にも割れそうな橋を二人は渡る。

 渡った先は木々が続き、天には美しい月が浮かんでいた。

「満月だあ」

「ああ」

 男は真を見つめた。

「ひとつ確認しておきてえことがある。権兵衛よ。お前さんが捜してる屋台ってのは赤い実を売っている屋台なんだな」

「そうだ」

 遊郭が近いと言うのに、辺りはやけに静寂だ。二人の声だけが妙に響く。

「噂を聞いた。坊主が引く、やけにでけえ屋台だ。売り物は果実。壺ん中に植物を植えて、それに実がなってる。人目に触れない屋台だ。それがこの辺りに出るとな」

「……目的は一緒だな」

 真は鋭い目を男に向ける。瞳の奥に狂気が浮かんでいる。屋台の詳細を聞くだけで、真の頬がぴくりぴくりと上下した。

「屋台はこんな夜に出ると聞く。満月の、その光がとどかねえ街の角だという。なあ真さんよ、それはどこだと思う」

「こんな場所がおあつらえ向きだ。遊郭の、その影だぜ」

 真は一瞬の間をおいて、不意に真剣な顔をする。

「なあ権兵衛さんよ。何でお前はその屋台を探してるんだい」

「それを言うならまず、真よ。あんたから言うべきじゃねえのか」

 真は思案するように目を細め、やがて男に座るよう勧めた。

 座ると言っても川の横に転がった石の上である。男は苦笑混じりに腰を下ろした。

 満月は天に掛かっていまにも零れ落ちそうだ。真は静かに天を見上げる。あげた首もと、襟の辺りが垢で輝いている。苦労を重ねている膚である。

 その首をがりりと掻いて、真は話始めた。

「長くなる話だからな」

 話というのはこうである。

 真は昔、腰のものを携えた侍であった。そして、川上にある遊郭の女に惚れた。

 禿から花魁になったばかりの女で、年季が明けるまではまだ遠い。

 夢中になった真は借金してまで通い詰め、馴染みとはなったが身請けするほど金はない。

 思い詰めた結果、真は彼女の手を取り逃げてしまった。

「俺も若かったからな」

 そう言って真は苦く笑う。

 その逃亡の最中に、不思議な物に出会ったのだという。

「赤い実を付けた良く分からない固まりよ。チリンチリン鈴を鳴らして気味の悪ぃ。良くみりゃあそれは屋台だったんだ。あちこちに赤い実を吊った屋台さ。何を売っているのか聞いてみると、"自分の幸福を再認識できる薬を売っている"といいやがる。遣り手婆や若いもんに追いつめられた俺たちは、いっそここで死んだっていいやと思ってな」

 二人でなけなしの金を払い、薬を買ったのだという。

「が。あんまりにも不味くて苦くて……俺は思わず吐き出しちまった。でも女は飲んだ後だったんだ」

 真は悔やんでも悔やみ切れぬと一粒涙を流した。

 女はぱたりと倒れた。その体が徐々に縮む。

「……いや、あれは熱湯でもかけられたかのようだった」

 女はやがて、くしゅくしゅ丸まっていったのだいう。

「何が起きたのか俺にはわからねえ。気がつきゃ女の体から手足は消えてた。でっかい芋虫みたいになってじたばたしてやがるのさ」

 そうして、分かった! と女は叫んだのだという。

 手足が無くなり生きていることの大切さ、死んだら詰まらないということが。ねえ真さん、早く廓に戻ろう!

 感涙の涙を浮かべ、着物を引きずり女は叫ぶ。そうする間にも手足は溶けて着物が余る。

 かつて愛した白い乳房や腹の肉、下腹部がぶくぶくに膨らんで、やがて白い塊となる。

 美しい女の顔だけが膨らみもしなければ縮みもしない。白い塊に顔がちょこんと乗って、赤い唇が真の名を叫ぶのが何とも不気味であり哀れであったのだと真は泣く。

「その姿はまるでダルマだ。虫だ。俺は恐ろしくて恐ろしくって、腰を抜かしちまった……」

 屋台を引いていた男は、袈裟掛けの坊主であったと真は言う。

 彼は女を抱き上げた。女の耳元に何か囁いた模様である。

 女は美しく微笑み、坊主はほうほうと笑った。

 そして坊主は女を屋台の中にある壺に収めたのである。

 そこには土があり、埋まった女はまるで新種の植物のよう。

 首だけ出ているので声は出せる。女が叫ぶのは男への呪詛か、何か。

 叫んだ声はいつか悲鳴に変わった。

「情けねえ事だが、そんときの夢をいまだに見る。何か割れるような音がしやがった。と思ったら、壺の中から女の手が生えてきてやがる。いや、普通の物じゃねえ。枝だ。植物の枝だ。足は根になったかもしれん。根の先か同じように這い出していた。手の枝は女の頭を越えて、天まで真っ直ぐ伸びた。そこに……赤い実だ」

 気が付くと満月はいつか光彩を落とし、赤い実だけが闇にただ煌々輝いていたのだという。

 坊主は、枝を愛おしげに撫でた。

 そして真の落とした刀を拾いあげ、再び屋台を押した。

 チリンチリンという鈴の音が闇に飲まれて消える。はたと真が気がつけば、辺りは一面闇だ。もう何も誰もいなかったのだという。

「いまだに追ってきやがる廓連中をまきながら俺はあの屋台を探している。そいで、最近になって聞いたんだよ。この橋の付近に不気味な屋台が出るってな。鈴を鳴らす屋台が出るってよ。俺の探してる屋台かどうかは分からねえし、蕎麦屋の爺が言うとおりただの噂だ。でもその噂にでもすがらなきゃ、やりきれねえのよ。女をむざむざ殺した、俺の情けなさがよ」

 言い切ると真は深い溜息を吐いた。

「腰の大小を落とした。その挙げ句奪われた。俺が侍に戻れるはずもねえ。こうして身をやつして俺は、あれを追っている。あれの正体を見て、俺は女に謝りてえ。情けの無い話だが、俺はまだあいつを好いている」

 空の満月はまだ明るい。真は顔を覆って、おうおうと泣く。

「まあ到底信じては貰えまい。皆そうだった。不気味屋台の噂は信じる癖にな。おい権兵衛、お前さんも屋台を探しているといったが。お前が探している理由はなんだ」

 俺がここまで語ったのだから、無視することは許さねえと。真は目で語った。

 その肩や腕には筋肉盛り上がっている。

 大小を奪われ他の刀を帯びることもせず、ただひたすらに肉体を鍛え上げたのだと見受けられる。

 男は小さく笑った。

「俺もだ」

「は」

「俺もお前と同じだ。ただ俺が見捨てたのは、女じゃないが」

 男は低い声を更に低く響かせ、道を行く風を見つめた。

 すぐ側に、小さな社がある。遊郭の女を弔うものだろう。誰も手入れをしていないのか、社は木々に覆い隠されていた。その枝葉は深く、虫がどこかで鳴いたようだ。

 風は常に高い場所から低い場所へと吹いている。

「弟子だ」

 男の生まれは遙かな北の地であった。 

 男は生まれながらの風来坊で、気が付けば剣を取り戦いの最中に生きて来た。

 金を奪い女を犯し、そんな自分に弟子が付いたのは奇跡である。と男は語った。

 弟子は時に師を叱り、立て、本来持っている力を最大限に引き出した。

 だからこそ、自分は堂々と太陽へと顔向けが出来るようになった。

「恥ずかしながらな、弟子に支えられたようなもんだ。あいつのおかげで今の俺がある。それが屋台に出会った。俺のしらねえ間に、あいつは実を買ったんだ。屋台引きの坊主が語った口上は、お前さんの時とは違ってたよ。確かどうだったかな」

 男は一度目を閉じた。その目の奥に、黒々とした闇が浮かぶ。

「……ああそうだ。力を蓄えられる実だと屋台の男はそう言った。弟子の奴は力がねえのを気にしててな。そんな怪しいもんを飲むんじゃねえと叱ったが、遅かった。あとはお前の良い人と同じように……」

 社の奥は闇。これほど闇が深かっただろうか、と男は不意に首を傾げた。

「おい、満月はどこへ……」

「待て」

 真がしゅうと息を吸い込み、手をあげる。

「誰か……来る」

 チリンチリン。

 潔癖な音である。風が音に反応して木の葉を揺らす。

 男も息を呑みその瞬間を待った。

「……屋台だ」

 二人の間に、風が吹く。

 その風に乗るように、薄闇色の屋台が浮かぶ。その屋台の上には赤い星……いや。

「赤い、実」


「お客さあん」


 闇をかき分けるように屋台が現れた。天を見上げれば、月は消えている。いや、梢が月を隠しているのだ。この場所だけ、満月の光が届かない。

 真の喉か、男の喉か、どちらかの喉が激しく鳴った。あるいは両方か。

「お客さあん」

 闇からずるりと這いだしたように、大きな屋台が二人の前に止まった。先頭に立つのは袈裟姿の坊主である。

 屋台には大きな壺がいくつも並んでいた。いずれも立派な枝が伸び、葉が茂り、そして赤い実がなる。

「どのような実をご入り用かねえ」

 闇を震わす声である。闇を溶かす声である。

 ちりん、と鈴の音が二人の耳へ不気味に響いた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 久々に読み返すと、ひどくどろどろとした恐怖を味わえました
[一言] 不気味で、ひどく怖いけども、引き込まれました。 このラストがなんだかいろいろと掻きたてられて想像してしまいます。
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