スピンオフ・坂上真子の物語 7/7
アルバイト事務員募集。備品整理や清掃、パソコン入力など簡単な仕事です。
初夏の頃、会社案内のページの小さな募集を見てメールを送ってきた人がいた。浮世離れした明るいワンピースで面接に来た、流山かおりさんはその場で採用が決まった。なんという既視感。
かおりちゃんは掃除や電話番に一生懸命よく働いた。でも私のちょっとした出来心が彼女の人生を変えてしまった。
「ちょっと広告書いてみない」
それからすぐ彼女は比野文具楽々市場店店長の肩書きを与えられた。こんなことになるなんてびっくりした。
店長が決まった日の夜、私は新事務所のダイニングキッチンに呼ばれた。
「かおりちゃんに労働契約変更の署名をしてもらいました。これで名実ともに彼女が店長です」
「それって本人は何もわかってないと思います」
「わかってもらわないと困ります。なので指導者を付けます。かおりちゃんと真子ちゃんを制作部という新部署に入れて、真子ちゃんをそこの代表にします。役職は主任です。今までひとりだけでクリエイティブ担当という名前でやってきたわけだけど、そろそろちゃんとしたいと考えてたんですよ」
あいかわらず話が急だ。この社長は沈黙を肯定と受け止める人だ。何か言わないといけない。
「私はかおりちゃんのことを何も知りません」
「これから知ればいいじゃない。部下を持つことは自分のためにもなるんだよ。上司と部下は互いを映す鏡だ。かおりちゃんを指導することで自分の能力を確認できる。やがては支え合う関係にもなれるよ」
上司と部下。私と社長、私とかおりちゃん。ピンと来ない。
「支え合うのがいいんですか。ずいぶん私とは違う感じの人ですし、補完し合う関係になる気がします」
「多人数のチームならそれでもいいけど。補完し合う関係はいざというときに支える力にならない。ふたりなら助け合うのがいいよ」
「ご助言、感謝いたします。喜んで拝命いたします」
やっぱりそうなんだ。問題がはっきりした。これで方針を立てられる。
「本来であればこのような申し出は対面して行うべきと思います。しかしながら今回ばかりはお電話ですませてしまうことをどうかご容赦ください」
「どうしちゃったの急に」
舌を噛んじゃいそうだ。普通に話そう。
「あのね、拓也君は私をどうしたいわけ」
「今のままじゃダメって言いたいの」
「新入社員の給料くらい聞かなくても知ってるよ。将来のコーヒーショップのためのお金はどうやって工面するの」
「そんなの時代が良くなって給料が上がれば貯められる。ある程度用意すれば、足りない分を借りる制度もいろいろある」
「じゃあいつまでにいくら貯めたら実現するの。新幹線や東京での飲食費に2万円は使ってるでしょう。それを貯めようと思わないの」
「それは来るなって意味か」
「来ないほうが目的に近付けるでしょう」
息を呑む音が電話口から聞こえた。
「私も待つつもりはあったんだよ。でもいつまで待てばいいのかわからない」
「あわてて答えを出さなくても先のことはだんだん見えてくるもんだろう。将来が白紙なわけじゃない」
「その計画書は疑問符だらけよ。そのままでは私は投資することができないの。最初はお互いに足りないものを補えると思った。製造と物流、管理と販売、デザインと趣味。だけど噛み合ってても前には進めない」
「俺は真子のこと好きだけど。それじゃあ足りないのか」
「私も好きだけど、でもそういう問題じゃないの。喫茶店だけじゃない。結婚も帰郷も何もかもがスケジュールになってない。それならもう終了させましょう。取り返しがつくうちに再設計しましょう」
「わかった。元気でな」
「さようなら」
こうしてひとつのプロジェクトが終わった。真子ちゃんは珍しくビールを飲んだ。




