RainsGateCity殺人課レニー・クラウン―熱波―
じりじりと、日差しがコンクリートに焼け付く音まで聞こえそうな午後。灼熱の真夏の太陽が、ビルのその一角を奇妙なほど明るく見せている。コンクリートの白い壁がハレーションを起こし、陽炎で視界が揺れていた。軽く目眩を感じて、レニーはこめかみに左手を当てた。
整った顔に金色の長めの髪。今、その綺麗な顔は、上司のつけた「極悪天使」というあだ名にふさわしく眉間に皺を寄せ、厳しい表情を浮かべている。
「レニー」
耳にはめ込んだヘッドセットのイヤホンが、雑音と共に元フットボールプレーヤーの相棒、ボリス・ブリントン、通称BBの声を吐き出す。
「見えるか、奴が」レニーは目を細めた。
「いいや、そっちはどうだい?」
シューという息の漏れる音がして、「いや」という短い答えが返ってくる。
「鼻息が荒いぜ、BB」
かすかに笑いを含んだ声でレニーが応じると、再びシューという音が聞こえた。
「悪かったな、鼻息が荒くてよ。暑いんだよ」
いらだったようなBBの声が、イヤホンの中でひび割れる。
「ああ、確かに暑い」
レニーは軽くため息をついて、ちらりと空を見上げた。よく晴れている。雲ひとつない。今夏一番の暑さになりそうだと昼のニュースが伝えていた。昨日までは華氏九十五度(三十五℃)あたりをいったりきたりで、暑いがまだ我慢できた。しかし、今日は日が昇りきらないうちから空気が熱く、日が昇ると気温がいきなり華氏一〇四度(四十℃)近くまであがった。昨日より九度も高い。
今は午後三時。乾いた日差しがレーザービームのように肌を突き刺していく。風はほとんどない。空気が乾燥している分だけ、日陰に入ればまだましだったが、アスファルトとコンクリートの照り返しが、暑さをさらに凶暴なものに変えていた。
シティの南のはずれにあるこの地域に男が逃げ込んで、すでに二十分以上経っていた。
このあたりはひと昔前はごみごみとしたオフィス街だったが、最近はもっと北よりのほうに移るオフィスが多くなり、廃ビルが増えている。
オフィス街が移動するにつれてブロックの荒れ方もひどくなり、またそれによってさらに無人のビルが多くなっていくという悪循環になっていた。男は、そんな建築途中で放棄されたビルの一つに逃げ込んでいた。
上空のドローンも追跡はできたが、ビル内には入れてない状態だ。何度か侵入を試みたようだが、ビル自体が建設途中で放棄されたためか、たいていの窓は大雑把に板が打ち付けられていたり、シャッターが閉まっていたりで入り込むすきがないのだ。男がいるはずの部屋も、男が外に向けて何度か銃を撃った後に、内側からロッカーかドアのようなもので塞がれてしまっている。建築途中ということもあって、無人で無防備なビルに踏み込むのは簡単だが、それができない理由はただひとつ。男は、自分の幼い娘を連れているのだった。
......................
レニーたちが追っている男は、シティで雑貨屋をやっていた。それなりの地位を持ち、それなりの財産をもっている。それでも男は妻とはうまくやっていけなかった。ここまではよくある話だ。まったく珍しくない。
だが、ここからが普通とは違っていた。妻とは離婚話をしていたが、娘の養育権の問題がこじれたのだ、と妻の妹は言う。男は自分の妻を撃ち殺し、その場にたまたま居合わせた妻の妹に重症を負わせ、自分の五歳になったばかりの娘を連れて逃げていた。
「なぜだ!」
ビルのガラスの割れた窓から男は表に向かって銃を撃ち、何度もそう吼えた。
「なんでこんなことになったんだ!」
その問いには、もちろん誰も答えられない。男同様、誰にも理由はわからない。答えるすべもなかった。やがて男は静かになった。
これはいいといえる事態ではない。頭に血が昇っている状態もよくはないが、我に返ってあまりに冷静になっても、そこで投降するのでないのなら、あまり歓迎できない。絶望のあまり、娘を道連れにして死を選ぶという最悪のことも考えられる。
確かめたいが、SWATが来るまで近づくなという命令が下っていた。説得するのは、CNU(CrisisNegotiationUnit説得部隊)の仕事だ。
「んでその肝心のSWAT部隊はどうしたんだよ」
一緒に取り囲んでいる市警本部刑事課のブレリーの苛立ったような声がイヤホンの中に響く。
「CNUも来ねぇな。どうすんだよ」と、これはBB。
「まだ来ない。なにかトラブルがあったらしい」
少しくぐもったチプトンの声がそれに答えている。誰かの舌打ちがかすかに聞こえた。
太陽は少しずつ西に傾いているはずだが、いまのところ日差しが衰える気配はまったくない。むしろどんどん暑く、いや、熱くなっている気がする。じっとしていても紫外線が肌をびりびりと刺激する。空気が完全に乾いているために汗はあまり出ないが、やけどをしているような熱さで肌が痛い。
まるでオーブンの中で焼かれるチキンだな、とレニーはシニカルに唇をゆがめた。いや、チキンなら、決められた時間にオーブンの外に出されるだけ俺たちよりはマシかもしれない。
頭から冷たい水をかぶりたかった。あるいは、プール、あるいは海。飛び込んで泳ぐ。水の中はさぞかし気持ちいいことだろう。
レニーは右手の銃を握りなおした。レニーは、こんなふうに何もできず、じっと何かを待つだけの時間が苦手だ。苛立ちがますます募る。何か始めるならとっとと始めたい。
ビルの周りにいる刑事は四人、制服警官が六人ほども待機している。踏み込んでもいいなら数は充分だ。だが、それは規則違反だ。そしてそれによって誰かが傷つくことになるのは、ごめんだ。自分ならまだましだが、連れている子供、もしくは同僚の誰か。そう自分に言い聞かせる。
「なぁ、レニー」
再びBBの声がして、レニーは我に返った。
「あいつはいったい何丁銃を持ってるんだ? 弾も持ってでたんかな? どう思う? 俺が見たとこ、最初にかみさんを撃ったのはS&Wのシグマだろ?」
たぶんレニーと同じく暑さにも待つことにもうんざりしたBBが、鼻息も荒くうなるような声をあげた。
男が、妻を撃った銃が一丁。これは登録があったようで、すでに市警本部から連絡が入っている。さらに、男は自宅から自分の車で逃走したのだが、ダッシュボードにもう一丁、別の銃が入っていたかもしれないと、妻の妹が病院に運ばれる途中で証言している。確かに最初の時点で追跡に加わったハイウェイパトロール警官が、その銃で撃たれたとの報告が無線で入っていた。パトロール警官はその銃で二発撃たれたが、狙いは幸いはずれていた。
「俺が見たのも、たぶんBBと同じ奴だ。古いシグマ。もう一丁のほうは俺は見てないな」
レニーが答えると、ブレリーが口を挟んだ。
「うちのボスによると、持ってたのはグロックみたいだった、って撃たれた白バイ警官が言ってたようだぜ」
「へぇ。17、いや、19かな?それとも26?」レニーが問い返す。
「小型だったようだぜ。少なくとも17じゃねぇな」とブレリーが答える。
「19か26ってことか。弾数が違うな」
と、BBがため息も鼻息ともつかない音とともにつぶやいた。
確かにグロック17は装弾数が十七発、19だと十五発、26だと十発で、装弾数に違いがある。レニーもグロック17Lを使っている。刑事たちは一発、先に初弾を装填してからマガジンを入れる。つまり十七発プラス一発となる。だとすれば微妙に弾数も変わってくるのだが、一般人の場合は、たいていそこまではしない。護身用なら普通の装弾で充分だ。
「型番がはっきりしなきゃ、弾数なんてまるでわからんさ。あと何発残っているのかもな。グロックにどんだけ種類があると思ってるんだ?」
それまで黙って聞いていたチプトンが、あっさり結論付けた。
「だがな、、シグマが十発、グロック26だとすりゃそこの合計二十発。奴は今まで少なくとも十五、六発は撃ってるはずだぞ。残りは少ないぜ? じきに奴は丸腰同然になるわけだろ」
あきらめきれないBBが食い下がるが、冷静なチプトンが鼻で笑った。
「ふん、そのうちの一発で死ぬのは俺はごめんだぜ」
レニーは今までの状況を思い返してみた。妻には二発撃っている。一発目が顔に当たり致命傷になった。妹には一発。これは肩に当たっている。ハイウェイで白バイ警官に二発。追ってきた2台のパトロールカーに向けて三発。その後、ここへ逃げ込む寸前までは誰も撃った気配はなく、この地区へ入るときに3発の威嚇発砲で住民を脅している。中へこもった後は窓から身を乗り出して叫びながら、四発。レニーたちに撃ち返され、それにこりて腕だけを出して二発。叫びながら空へ向かってさらに一発。
「・・・・・・正確に言うと、撃ったのは十八発だよな。とすれば、グロック26かもしれない」
レニーがひとりごとのようにつぶやくと、
「二発残して撃つのをやめたってか?」
「奴は弾を二発残している、と?」
チプトンとBBが、ほとんど同時に問い返した。
一瞬の沈黙。イヤホンだけが耳の奥でうなるような音を発している。
「そりゃ、まずい」
やがて、ブレリーが苦い口調でつぶやいた。
「弾切れとともに正気に返ったか。嫌な予感がするぜ」
チプトンが軽く咳払いをした。
「残りが少ないから撃つのをやめた、ってのは確かにあるだろうな。自分の身は守りたいだろうし、逃げなきゃならんし」
で? それからどうする?一緒にいる娘はどうなる? これから自分はどこへ行く?
レニーは息苦しくなった。
「弾がなくなったら、どこにも行けない」
たぶん、刑務所、あるいは天国――いや地獄か?――以外には・・・・・・。彼は、どちらを選ぶつもりなのか。
現場のまとめ役は、最初に連絡を受けた刑事課のブレリーが握っている。あとから現れた殺人課のBBとレニーはおまけのようなものだが、殺人と分かった時点で、本来は二人に指揮権が移るはずだった。だが、そのまま四人とも逃走した男を追跡したせいで、指揮権はまだ刑事課にある。SWATを要請したのも、刑事課だった。
組織に入る、ということはそういうものも全て受け入れなければならないのだ、ということを、警察に入った最初の一年でレニーは嫌というほど学んでいた。だが時々、それらをすべて振り捨てたくなる。今日のようなときは特に。
「もう一度、SWATに連絡しろよ、ブレリー。五分以内に来ないなら俺は踏み込むぜ。これ以上、待ってられるか。子供がいるんだぜ?」
押し殺した声ではあったが、ついに、レニーがぶちきれた。
「俺ものるぜ、レニー」いつもは慎重なBBが珍しくレニーに同調してきた。
「おいおい、クラウン、BB。それはねーぜ。俺たちまで、罰則喰らっちまう」
ブレリーが情けない声をだしてみせたが、レニーはふん、と鼻を鳴らした。
「俺が勝手にやったって言えばいいだろ。どうせそういう奴だと思われてるんだ。減給でも、謹慎でも、なんでも好きにすりゃいい。俺には痛くも痒くもないね」
不遜に言い放って、レニーは身を潜めていたところから身体を起こした。こちらのビルにも誰も住んでいない。レニーがいる玄関の上にある張り出し部分から、男の潜む三階のベランダがよく見えた。ちょうど目の下には黒々とした入り口も見える。そこから入って男がいる三階までは、玄関の奥にある崩れかけた階段を昇ればすぐだ。
もちろん、そこから入らなくてもいい。隣のビルまでは四、五フィートほどしかない。今、レニーがいるビルの屋上から隣の屋上に飛び移れることも、中へもぐりこむことも可能なのは、すでに確かめてある。
「落ちつけよ、クラウン。SWATが手間取ってる理由がわかった。途中の通りを、でかいトラック三台が事故ってふさいじまってる。ついでにその中のタンクローリーが燃えて、大騒ぎになってるんだそうだ。遠回りして向かっているが、ここへ来るにはまだ二十分はかかるようだ」
突然、チプトンが厳かといってもいいような落ちついた声でまるでニュースを読み上げるように告げた。
「もし、やばそうなら踏み込んでいい、だが人命第一でいけ、と部長のお許しがでたぜ」
常に冷静なチプトンが、すばやく無線で本部に連絡をいれたのだろう。
「みんな、ちゃんとボディカメラはONにしろよ。今は色々とうるせーからな」
チプトンが冷静な声で促す。レニーがひゅっと息を吸い込んだ。
「OKだ、チプトン」
「よっしゃ、行くぜ」BBが鼻息荒く気合を入れた。
「俺とBBは上」
レニーがマイクに向かってささやくと、右の角からひょっこり現れたBBの坊主頭が、同意の印に軽くうなずいた。
「了解。俺とチプトンは下だ。制服組は二手に分かれて下からと裏に半分まわれ」
レニーの視界の端でブレリーとチプトンが入り口に近づいていくのが見えた。後ろに三名の制服警官が続いている。残りの三名は裏手に回っていく。レニーとBBは階段へ向かった。
「向こうの屋上の入り口は開いてるんだろな」BBのつぶやきにレニーが確信もないまま、いい加減にうなずく。
「あかなきゃ開けるさ」
ちょうどレニーが一番下の段に足をかけたその時、銃声が二発、熱い空気を振るわせた。
「しまった。遅かったか?」
BBががなり、レニーは無言で階段を二段とびで五階まで駆け上がった。BBがあとに続く。屋上の鉄の扉が熱したフライパンのように熱いが、それを気にしている余裕はない。BBがレニーを押しのけ、その熱い扉を力任せに引きあける。そのまま荒れすさんだ屋上を二人は一気に走りぬけ、隣のビルへ向かって飛んだ。
レニーたちが三階へたどりついたとき、ブレリーたちもちょうど上にあがってきたところだった。
無言のまま、男がひそんでいた部屋の入り口を囲む。ドアはついていない。子供の泣き声がかすかに部屋から聞こえ、BBの肩がほっとしたように少しだけ緩んだ。レニーが慎重に部屋を覗き込む。崩れかけた壁以外、何もない灰色の部屋の真ん中に、赤毛の男ががっくりと肩を落とし膝を折って座り込んでいた。グレイの半そでシャツの背中には大きな汗染みが広がっていて、周りには何本かの水のペットボトルが転がっている。
足の先に銃が落ちていて、だらりと力の抜けた手には何も持っていなかった。
そばで父親と同じ色の髪をして綿のワンピースを着た小さな女の子が、抱いているくまのぬいぐるみに顔をうずめて泣きじゃくっている。
レニーはそれでも銃を構えたまま男のそばに近づき、足先の銃を部屋の入り口まで蹴った。後ろから入ってきたBBが女の子に近づき、優しく声をかけてすばやく抱きあげると、部屋の外へ連れ出す。
ブレリーとチプトンが油断なく銃で男を狙っているのを確認してから、レニーはホルダーに銃をしまった。
「・・・・・・んだ」
男が小さな声で何かつぶやいた。
「え? なんだって?」レニーがかがんで聞き返す。
「わたしはどうすればいいんだ。妻を殺してしまった。わたしは死ねなかった。わたしはどうすればいいんだ」
男は蚊の鳴くような声で、くり返しくり返し同じことをつぶやいている。
レニーはため息をついた。
日常の中に潜む非日常。昨日まで、自分にそんなことが起こるなどとは夢にも思っていなかった現実。時間は戻らない。殺した妻も・・・・・・。
だが、男は生きていて、その娘も死んでいない。たぶん、「故意故殺」ということで懲役十年から二十五年程度、もしくはそれ以上の禁固刑を喰らうだろうが。
「これでいいんだ。あんたは罪を償えばいい。それ以上何も考える必要はないし、死ぬ必要もないんだ」
レニーが男を促して立ち上がらせると、ブレリーが弾の切れたもう一丁の銃を男の尻の下から拾い上げた。男の足元がよろめく。
「暑かったんだ。どうしようもなく」レニーはうなずいた。
優秀な弁護士がつけば、もしかしたら少しだけ減刑されるかもしれない。この暑さゆえに。
暑かったんだ、とても、と男がもう一度くり返す。歪んだドアが立てかけられた窓の隙間から濃い青に染まった空間が見える。ハレーションを起こしたその眩しい夏の空を見ながら、レニーは今度はもう少し心をこめて、「ああ、わかるよ」と男に答えた。
END




