クエスト ナンパ
公園の入り口から少し走ったところで、太一はすでに息を切らせていた。
「ぜぇ……はぁ……なんで……俺が……こんな……」
まだ100メートルも走っていないのに、この有様だ。周囲のランナーたちは軽々と駆け抜けていくが、太一の足取りは完全にペースを崩している。
「あの……クエスト、撤回って……できませんか?」
ふと、脳内で問いかけてみたものの、当然返事はない。ステータス画面は相変わらず浮かんだまま、無機質に**「進行中」**の文字を表示している。
「……くそっ。ナンパって、そもそもどうやるんだよ……」
人生で一度も女性に声をかけたことのない太一にとって、このクエストはあまりにも難易度が高い。
Fランククエストとでも表記されていたら、どれだけ気が楽だったことか。
公園の噴水の向こう側、一本の木陰でストレッチをしている一人の女性が目に入った。
白いスポーツウェアに、黒のレギンス。長い黒髪をポニーテールに結び、すらりとした脚が印象的だった。
「……あの人か?」
いや、違う。クエストに女性の特徴が書かれているわけではない。そもそもナンパ対象が彼女であるという保証はどこにもない。
「いや、待て。むしろこの状況で選り好みしてる場合じゃないだろ……!」
腹を括った太一は、震える脚を一歩前に踏み出した。
「よし、落ち着け……普通に話しかければいいんだ。別に怪しいことをするわけじゃない。うん、挨拶からだ……挨拶……」
そう自分に言い聞かせながら、彼女の背中に向かって歩を進める。
あと5メートル。
あと3メートル。
そして――
「……あ、あの!」
唐突に絞り出した声。
彼女は驚いたように振り返った。
「はい?」
澄んだ瞳が太一を見つめる。表情は警戒心と困惑が入り混じったものだった。
「ここで終わるわけにはいかない……!」
太一は必死で口を開く。
「あ、えっと……天気、良いですね!!」
――失敗した。
自覚した瞬間、顔が熱くなる。
彼女はしばらく沈黙した後、控えめに笑った。
「はい、そうですね。」
「あ……えっと、その……」
言葉が続かない。呼吸が浅くなり、脇汗がじんわりと広がっていくのが分かる。
彼女は再びストレッチに戻ろうとした。その時、太一の脳裏に走馬灯のようにステータス画面が浮かんだ。
《クエスト進行中》
「待ってくれ……ここで終わったら、ステータスポイントは……!」
パニックの中、彼は思わず口走った。
「じょ、じょ、じょ……!」
「じょ?」
「ジョギング……一緒に、どうですか!?」
沈黙。
公園の鳥のさえずりだけが、間の悪い空気を埋めた。
「……ぷっ」
不意に、彼女は吹き出した。
「ごめんなさい、変な意味じゃないですよね?」
「あ、当たり前です! 俺、ただ、運動したくて……で、でも一人じゃ寂しいかなーって……」
何を言ってるんだ俺は。自分で自分を殴りたくなる衝動を抑えつつ、必死で笑顔を作る。
彼女は少し考え込んだ後、微笑んだ。
「いいですよ。私もちょうど誰かと走りたかったんです。」
「えっ、本当に?」
「はい。でも、私けっこう速いですよ?」
「だ、大丈夫です! ……たぶん!」
実際は全然大丈夫じゃないが、ここで断るわけにはいかない。
こうして、太一の人生初のナンパ成功が成立したのだった。