第97話:レコーディング
一九八六年八月三十一日夏休みの最終日、武夫たちは福岡市内のスタジオに出向いた。スタジオに入ると、ロビーで山根女史が待ち構えていた。
「おはようございます。もう準備は整ってますよ」
「お早うございます。手配本当にありがとうございます。助かりました。わざわざ福岡くんだりまで出てきてくれるとは思いませんでしたよ」
「それは電話でお伝えしたはずです。確かめないわけにはいかないじゃないですか。その子たちがバンドの仲間たちね。紹介してくださる?」
「はい、彼がリーダーの――」
紹介を兼ねた挨拶を済ませた武夫たちは、さっそくレコーディングに取り掛かることにしたわけだが、スタジオにある機材は専門的過ぎて彼らバンドのメンバーでは当然ながら扱える代物ではなかった。
「今日はお願いします」
「よろしくー。気楽にいつはじめてもいいからね~」
機材を扱ってレコーディング作業をしてくれるのは、以前武夫がピアノのレコーディングをしたときに担当してくれた助手の高田さんだった。
少しでも経費を節減するために専門的な編集作業はせずに、一曲ずつではあるが一発撮りというかミスしたら演奏しなおしという方針でレコーディングをすることになっている。
「それじゃぁ、音合わせしてきます。準備出来たら合図しますのでお願いします」
「OKOK」
「楽しみにしてるわね。期待してるから」
武夫たちは持参した楽器をケースから出すと、演奏ルームへと移動し、雄二は自前のスティックでドラムを叩いて確認作業を、雅美も準備されていたキーボドの弾き心地と音を確認している。
武夫と千佳子と正彦も、アンプに持参した楽器をつないでチューニングとか音の確認を、友子はスタンドマイクに向かって楽しそうに発声練習をしている。
そんな状況をガラス越しに見ている高田さんが山根さんに問いかけた。
「あの子たちは吉崎先生の同級生?」
「ええ、同じ高校の同級生で、ライブハウスで活動しているそうよ」
「吉崎先生のピアノが凄いのはこの前知ったけどさ、ギターも弾けるとは聞いてなかったな。それにあの子たちはどうなの?」
高田さんは訝しそうな顔で山根さんを見た。
「それを確かめるためにわざわざここまで来たの」
「予定をキャンセルしてまで?」
高田さんは、そこまでの価値があるのか? とでも言いたげな感じだ。そんな彼に対して、山根さんは期待に満ちた顔で武夫たちに注意を向けている。
「そうよ。無駄足になる可能性が高いかもだけど、吉崎先生が関わってるとなると、どうしても期待しちゃうのよね」
「そんなに都合よく上手い子たちが集まるかなぁ~。それにさ、高いカネ払ってまでスタジオ録音する必要あるのかなぁ、あの子たちまだ高校生だよ」
「ライブハウスで配布してるカセットテープの予約数が凄いことになって、手に追えなくなったらしいわ」
高田さんは目を丸くしている。
「それだけ人気出たのなら期待できる?」
「すぐに分かることですから」
「まぁ、そうだけどね」
二人がそんな話をしているあいだに準備が整ったようだ。武夫が指でOKマークを作って合図してきた。
「さぁ、どんな曲を聴かせてくれるのかしら」
その声には期待が籠っているのがありありとしていた。そんな山根さんを横目に、高田さんは機材の前に座ってガラス窓越しにOKサインを出した。
武夫たちの演奏がはじまった。『changing myself』のイントロを雅美が静かに奏ではじめ、爽やかな朝の目覚めを思わせるような静かでゆったりした曲調に合わせて、友子が体を揺らしている。
「このキーボードの娘は吉崎先生ほどじゃないけど上手いわね。たしか白石さんだったかしら」
山根さんの瞳が輝きを増した。けれども、イントロが終わって友子が歌いだした瞬間にその瞳が飛び出さんとするかのように目が見開かれた。
「な、なんなのよあの娘は……」
山根さんは絶句したまま固まっている。高田さんも目を見らき、しばらくしておでこをポンと手のひらの先で叩いた。
「プロレベルだねヴォーカルの子……いや、そこいらのプロなんかよりよっぽど上手い。それに何、バンドの演奏も高校生レベルじゃないよ。吉崎先生のギターは別格だけど、他の子たちも上手いじゃん」
「ええ、たしかにそれもあるけど、この曲もスゴイわ。サビはキャッチーだし、全体的に見ても今までにない近未来的なポップロックというのかしら、とにかく斬新で完成度が高いわ」
「オリジナル曲だよね。こりゃ人気が出るわけだ。アマチュアバンドのライブで聴けるような演奏じゃないよ」
曲が終盤に入ったところで雄二のドラムが僅かにテンポを外し、釣られたように正彦がミスって曲が止まった。
「悪ぃ、さっそくミスっちまった」
ミスした正彦を庇うように雄二が自己申告した。それに正彦も続く。
「リカバーできると思ったんだけどなー。ミスったよ。ゴメン」
「OKOK気にする必要ないよ。時間はたっぷりあるし誰にだってミスはある。もう一回行こう」
武夫がそう言って頭上で指をクルクルと回し、ガラス越しに合図を送ってきた。それを見た高田さんが笑顔でOKサインを出してリテイクがすぐにはじまるのだった。




