第89話:ライブハウスデビューに向けて
東京から戻った武夫は、学校に出向いてバンドの練習に顔を出していた。彼が抜けていた期間も他のメンバーは学校での練習を続けていたようだが、彼が戻ってようやくバンド本来の音が出せるようになったことになる。
ライブ本番までは二週間を切っているが、武夫の感覚ではリズム隊の連携がかなり良くなっていて、曲が締まってもう少し練習すれば本番も行けるという手ごたえがあった。
「やっぱり全員揃うと気持ちいいね。もう一回行こー!」
一曲歌い終えた友子の機嫌がいい。ノリノリでマイクを振り上げて笑顔を振りまいている。
「嬉しいのは分かるけどさ、トモちゃん、まずは一回セットリストを通そうぜ」
珍しく雄二が友子を抑えている。東京に出かける前と比べて、彼のドラミング技術がすごく伸びていると武夫は感じ取っていた。全曲通しで演奏し、その感触を確かめたいのかもしれないなと武夫は思った。
「そうだよトモちゃん、わたしも全曲弾いてみたいな」
「そうそう、師匠のリフを全部確かめるまでは通しで行くべき」
雅美と千佳子に諭されて友子はピタッと動きを止めたが、マイクは振り上げたままで笑顔のままだ。そこに渋面の正彦が近づいていく。そして彼女の耳元でなにかを囁いたようだ。
正彦がなにを言ったか武夫には聞こえなかったが、ヤレヤレといった顔で正彦が離れると、マイクを振り上げたまま笑顔で固まっていた友子はなにもなかったかの如く、元気な声で再始動した。
「次行ってみよー!」
正彦がなにを言ったのか気になった武夫は、ポジションに戻った彼に耳打ちするように小声で聞いてみた。
「なんて言ったんだ?」
「ああ、予想が外れてどうしたらいいか分からなくなったんだろ? 誰も気にしてないからお前も気にするなって言ったんだ」
たしかに武夫は友子らしいなくらいにか思わなかった。雅美も笑顔だし、千佳子もいつも通りの澄まし顔だ。
そんなことを武夫が考えていると、雄二がドラムを叩きだした。すぐに雅美がイントロのメロディーを被せ、他の楽器も揃ったところで友子が歌いだす。相変わらずノリノリで声が通って楽器に埋もれることがない。
――もしかしてまた上手くなった?
一曲目でもおやっ? と思った武夫だったが、確信は持てなかった。けれども友子の歌声を聴いていると、どうしても今までのイメージと違って声のメリハリが良くなっている気がしてならない。
――次の曲で確認してみるか。
武夫が東京に行っている間に、他のメンバーも演奏レベルが一段上がっているのは感じていたが、それにつられてノリが良くなっただけなのか、はたまたしっかりとした技術を身につけたのか確信が持てない武夫は、友子の評価を次のバラードで確認してみることにした。
二曲目が終わり、すこしの間をおいて雅美のキーボードが静かにイントロを奏でだした。すると友子の弾けるような笑顔がすっと真面目なものへと変わる。イントロが終わり、雄二のドラムと正彦のベースが静かに加わって千佳子のギターがコードを奏ではじめた。そして武夫のギターと共に友子の声が重なって。
――うん、間違いない。音域が広くなってるし安定してる。声の伸びもすごくいい。裏声無しでこの高音域までカバーできるようになるとは恐ろしいな。そうか、ボイトレの成果か。
バラードを聞いて武夫は確信した。友子のヴォーカル技術が格段に向上していることを。彼女が三笠先生と行っていたボイストレーニングの効果が、ここに来て出てきたのだろう。
三曲目のバラードが終わり、その後の通し練習に参加して武夫は確信するに至った。友子の歌唱力は間違いなく向上していて、他のメンバー同様に一段上のレベルに到達している。
「きっもちよかったー! みんなサイコだよー」
ライブハウス公演でのセットリスト五曲を通しで歌い終えた友子は吹き出す汗をぬぐうこともせず、最高の笑顔を皆に振りまいていた。
武夫も五曲通してギターを演奏し、バンドの総合力が一段上のレベルに到達したことをその肌身で感じている。雅美もいい笑顔で満足そうにしているし、武夫的にはそれが一番嬉しかったのも事実だった。
雅美とは一週間近く会えなかったこともあって、汗で上気した彼女を見つめる武夫の視線は柔らかく優しいものであった。そんな武夫を、千佳子や雄二、そして正彦が微笑ましそうに眺めていると、ガラガラと音楽室のドアが開く音が聞こえてきた。
「さあみんな、水分補給よ」
午前十一時を過ぎたのだろう、三笠先生がやかんと氷が入った紙コップを持って顔を出した。真っ先にドラムセットから抜け出した雄二がやかんから茶色の液体を紙コップに注ぎ、一息でゴクゴクと飲み干す。
「ぷは~染みわたるー。プレイ後の麦茶はサウコウだぜ」
ドラムの特性上一番汗だくになっていた雄二だったが、冷たい麦茶で一息付けたのか、気持ちよさそうな笑顔になって残りのコップに麦茶を注いでいった。
武夫は麦茶が入った紙コップを二つ手に取り、片方を雅美に手渡す。
「みんな凄く上手くなってて驚いたよ。雅美ちゃんも上手くなったね。もう、いつ本番になっても大丈夫だ」
「本当? やった!」
弾けるような笑顔で喜んでくれた雅美に、武夫はドキリと心臓が跳ねる感覚に襲われるのだった。




