第81話:続・続アイドル?
武夫のピアノによるデモ演奏が終わって山根さんと楽器奏者の人たちが話し合っていたが、たった二日ではまともな演奏ができないということで、演奏はシンセ含めたデジタル音源の利用も視野に入れて再検討することになったそうだ。
ただ、奏者の人たちは意地でも演奏したいと訴えていたから、レコーディングまでにまともな演奏ができるようになれば彼らがバックバンドとして採用される可能性も残っている。
というのも、これは後から武夫が山根さんに聞かされた話だが、あの奏者の人たちは仕事にあぶれがちで、食べていくために必死になっているらしい。
もともと歌い手の水瀬さんの境遇――武夫はどんな境遇なのか聞いていないし聞こうとも思っていない――を捨て置けなかった山根さんが、自費で彼女をプロデュースしているらしく、それほどお金を掛けられないことから安く済む彼らを雇ったらしい。
水瀬さんに対しても、山根さんは慈悲の心だけで救いの手を差し伸べている訳ではないようだ。彼女の声質と歌唱力に将来性があると思ったからこそプロデュースしているのだと、武夫の演奏を聴いて尻込みしている水瀬さんに活を入れていた。
それはさておき、部屋には水瀬さんと山根さんが残って武夫によるピアノの伴奏で歌を合わせていくことになった。もともと難易度が高い編曲であることを武夫は山根さんに伝えていたから、今日明日でレコーディングできるとは彼も考えていない。
今日明日で水瀬さんが歌う上でのポイントを掴めさえすれば、あとは一定期間練習をしてレコーディングに挑むことになっている。武夫は楽譜だけでは読み取ることができない細かな抑揚だとか強弱だとかテンポだとかを今日明日で指導する予定だ。
「じゃあ一回通しで歌ってみようか。ミスしてもいいから最後まで歌い切って。山根さん、録音お願いします」
「もちろん分かっているわ」
「よろしくお願いします!」
武夫のピアノ伴奏で歌いはじめた水瀬さんは、やっぱりマイクを持つと人格が変わるようで、八十年代のアイドルソングを充分に踏襲した歌い方ではあるが、人が変わったようにキャピキャピした歌声で歌い切った。
ただ、二〇二〇年代を意識して編曲されたこともあって、歌声と伴奏がミスマッチだったし、水瀬さんの声質も歌い方に合っていなかった。もちろん転調したりテンポが変わったりしたときに声が揺れたりテンポについていけなかったりとミスも多かった。でも今はミスがどうこう指摘する時期ではない。
「うん、それが今まで練習してきた歌い方だよね」
「はい!」
「じゃあ次はアイドルを意識しないで語尾を上げないようにして地声で歌ってみようか」
武夫の注文を聞いて、水瀬さんはキョトンとした顔で首を傾げている。
「そうだね、聖子ちゃんを意識するんじゃなくて、明菜ちゃんを意識して、明菜ちゃんよりもっと力を抜いて明るめに歌ってくれる?」
「わかりました!」
二回目は一回目よりもずいぶん歌いやすそうだった。ミスもかなり減っていることがそれを物語っているが、やはり転調時に声が揺れているし、テンポに追いつけないところも直っていない。
けれども、水瀬さん本来の声質に近い歌声のほうが曲にもマッチしている。もともと「水玉模様の恋」の歌詞は、失恋した女性が水玉色の初恋をしたときの心情を思い出してふたたび恋に邁進する内容になっている。
だからローティーンのノリで歌うより、ハイティーンもしくは二十代前半の女性を意識して歌うべき曲なのだ。武夫はそれを水瀬さんの声質に合わせて二十代後半の女性に置き換えて編曲していた。
「うん、だいぶん曲のイメージに近くなったよ」
「本当ですか!」
「じゃあ次からは一小節ずつこまかく指摘していくからそのつもりで」
「よろしくお願いします!」
――それにしても、マイク持つだけでずいぶん声も表情も変わるんだな。まるで別人だ。まぁそのほうがやり易いからいいか。
水瀬さんは武夫の注文に必死に食らいついてきた。山根さんが目を付けただけあって彼女の歌声は人を引き付けるなにかがあると武夫には思えた。友子ほどの圧倒的なものではないにしろ、その歌唱力は今売れているアイドルたちと比べても間違いなく上位に食い込むだろう。
ただ、彼女の歌声は今のアイドルとはその質が違いすぎる。もっと大人びたカッコいい曲で、よりキャッチーな歌を歌えば間違いなく売れる。武夫にはそう思えた。
「だいぶ良くなってきたよ。あとは練習あるのみかな。充分に歌いこんで自分のものにできたら、売り方次第だけどある程度は売れると思うよ」
何度かの休憩を挟んで武夫の指導は二十二時過ぎまで続けられた。まだまだ完璧には程遠いが、もう彼が指摘する必要はなくなっている。水瀬さんもかなり疲れているようで、歌い終わって武夫の言葉を聞いても反応できないほどに肩で息をしていた。
「今日はここまでにしましょうか。水色の恋についてはもう充分ということですね?」
「はい、彼女にも言いましたが、あとは練習あるのみです」
こうして一日目が終わり、武夫たちは遅い夕食を摂って明日に備えた。夕食は博多名物の鶏の水炊きを山根さんにごちそうになった。
そして迎えた翌日の日曜日。今日はスタジオが使用できる午前十時から「逃げ水」の指導である。
「お早うございます」
「お、おはようございます……」
スタジオのロビーで水瀬さんは消え入るように小さな声で武夫に挨拶した。これでも昨日と比べたらマシになっている。
「お早うございます。今日は時間も充分にありますからヨロシクね」
山根さんは昨日の感触が良かったからか、かなり機嫌が良さそうだ。こうしてはじまった「逃げ水」の指導は、昨日とは打って変わって苦戦の連続だった。
「そこの低音から高音に変化するところは裏声で歌って、あとは全体的にもっと力を抜いて気だるい感じで歌うんだけど、爽やかさも忘れないで」
歌唱難易度が跳ね上がったせいだろうが、音域の幅が大きく変化に富んだメロディーとテンポの移り変わりに、午前中水瀬さんはまったくついていけなかった。
けれども水瀬さんは、マイクを持っているせいかどれだけミスってもへこたれることなく、武夫の注文に必死に食らいついている。
「うん、今の裏声に変るところは良かったよ。息切れもしなかったね」
「やった! 今日初めて褒められました」
昼食休憩を挟んで十五時が近づいてきたころになって水瀬さんはなにかを掴んだようで、一気に歌の完成度が上がりはじめた。
「だいぶ慣れてきたみたいだね。かなり良くなってきてる」
「はい。コツを掴んだみたいです!」
「そろそろ三時だし休憩しようか」
「あと一回歌わせてください。今の感覚を忘れたくないんです!」
「分かった。じゃぁもう一回行くよ」
昨日からピアノを弾き続けている武夫もかなり疲れていた。水瀬さんも歌い終わると息を切らしているが、やる気は衰えるどころか増していくばかりだ。
――歌うのが好きなところはトモちゃんに似てるかな。
十五時の休憩を挟み、十八時過ぎに軽めの夕食を摂って二十時を過ぎたころになってようやく、水瀬さんは「逃げ水」をまともに歌えるようになった。
「もう充分かな。難しいと思うけどあとは練習するしかないよ。伝えられることは全て伝えたし、なにか聞きたいことはある?」
「うーん、どれくらい練習したらちゃんと歌えるようになりそうですか?」
「それは水瀬さん次第だよ。頑張るしかないね」
「……はい、頑張ります! 今までありがとうございました!」
水瀬さんは疲れているだろうに元気いっぱいだった。きっと充分にやり切って満足したのだろうと武夫は思った。武夫は数日はピアノ練習はしなくていいかなと思うくらいに腕がパンパンになっているが、それを顔に出すことなくにこやかにしている。
「お疲れさまでした。昨日今日と本当にありがとうございます」
山根さんはそう言って深く頭を下げた。
こうして武夫の指導は終わったわけだが、あとは無事にレコーディングを済ませてどれくらい売れるかだろう。その結果次第で水瀬さんの将来がどうなるか決まると思うと、武夫としても祈らずにはいられないというか、多少のプレッシャーがかかっているのを実感した次第であった。




