第79話:続アイドル?
さくっと二~三日で「水玉模様の恋」の編曲を終わらせるつもりの武夫だったが、手間取ってしまい完成までに五日を要してしまった。たとえやっつけ仕事であっても手が抜けない彼の悪癖であるが、歌い手の声質が可愛いキャピキャピしたアイドルソングに合っていないのがそもそもの原因だった。
それでも武夫は転調やキー変更を駆使して歌い手のポテンシャルをすべて引き出すつもりで編曲を行い、なんとか彼なりに満足とはいかないまでも人前に出せるという基準まで曲の完成度を上げることに成功していた。
――かなり難易度が高い曲になっちゃったなぁ、はたして彼女に歌いこなせるか……。
もはや原曲とは大きく違った曲になってしまったが、サビ部分の主旋律は踏襲しているし、AメロもBメロも名残程度は原曲を感じさせるものが残っている。
曲のキャッチーさはあまりないが、音楽性だけはやたらと高い難曲。そんなアイドルソングがあるのかという疑問もあるが、無理に近いことを押しとおそうとしているのだから勘弁してもらおうと、武夫はこれ以上考えるのを止めるのだった。
翌日から武夫は気持ちを切りかえて、本命のシティ―ポップ路線に改編しようとしている「逃げ水」の編曲に取り掛かった。学校に通いつつ、同好会の活動は欠かさず継続しつつではあるが、家に帰れば編曲作業に没頭する毎日を送っている。
さすがにこの間は勉強や楽器練習のルーティンを変更し、早起きして早朝に回すことで帰宅してからはほとんどの時間を編曲作業に充てた武夫だった。相手にしてもらえなくなったハナの機嫌が芳しくない事だけが気がかりな彼だったが、仕事が終わればいつも以上に可愛がろうと心に誓うのだった。
そして迎えた約束の日、武夫は土曜日の授業を終えたその足で福岡市内のスタジオへと電車を乗り継ぎ足を運んだ。今日は夜遅くまで歌い手さんに付き合うことになっている。夜は山根さんが取ってくれたホテルに泊まって明日の日曜日は朝からスタジオ入りの予定だ。
スタジオのロビーで歌い手さんと話し込んでいる山根さんを見つけた武夫が声をかけた。
「お久しぶりです」
「あ、お久しぶりです吉崎先生。ずいぶん早かったですね」
「学校が終わってすぐに向かいましたから」
「そうだったんですか、では昼食は?」
「まだ食べてません。途中でコレ買ってきました」
武夫は右手に下げていた白いレジ袋に視線を落とした。中にはおにぎりが二個とお茶が入っている。
「では、昼食の前に紹介しておきましょう」
山根さんが歌い手さんの背中に手を回して押し出すように彼女を武夫の前に出させた。歌い手さんは恥ずかしがり屋なのか下を向いて顔を赤くしている。
「み、水瀬幸です」
「こんにちは。吉崎武夫です。今日はよろしくね」
緊張していて恥ずかしがっているのかと思った武夫は優しそうな口調で笑みを湛えて挨拶した。すると水瀬と名乗った歌い手はよけいに顔を赤らめて山根さんの後ろに隠れるように逃げ込んでしまった。
「まったくしょうがないわね、この娘は」
なにか失敗でもしたかと頭を搔きながら苦笑いした武夫に、フゥとため息をついた山根さんが説明してくれた。
「普段の幸ちゃんはこんな感じの娘なの。でもマイクを持ってステージに上がると人が変わったみたいに堂々として大胆になるから気にしないで」
――二重人格か……。
武夫自身は前世も含めてはじめて出会ったタイプの女性だが、たしかにビデオでは堂々と歌っていたから水瀬さんは二重人格者なのかもしれない。
ということは置いておいて、ロビー内のベンチでおにぎりをお茶で流し込んだ武夫は、待ってもらっていた山根さんと水瀬さんとともにスタジオの演奏室へと向かったのだった。
演奏室にはすでに楽器担当の人が来ていて、スタンウェイ社のグランドピアノが設置されていた。武夫は楽器担当の人たちにも挨拶を済ませると、水瀬さんと楽器担当の人たちに用意していた楽譜を手渡した。
「原曲からはかなりかけ離れた曲に仕上がったんで、一度ピアノで演奏してみてもいいですか?」
楽譜には主旋律と歌詞、ベースラインとコード進行が記してあるが、渡された楽器担当のうち一人が声を上げた。
「おいおいおい! こんなの一発じゃ無理だって」
「だから私が一度演奏します」
原曲はアイドルソングとしては一般的なやや遅めのテンポだったが、武夫が編曲した曲は一倍から二倍にまでテンポが変化し、しかも頻繁に転調がなされていて、音数も大きく増えた高難易度の曲に仕上がっている。
いかに彼らがプロの奏者であろうと、二〇二〇年代の技法を駆使して組み上げなおしたこの曲は、弾きこなすまでにかなりの練習を要する難易度だったようである。
「まいったな、こりゃ」
楽譜に目を通しながらボソッと呟いたのはもう一人の奏者だった。「無理」だと叫んだ奏者はギターの担当のようで、アンプにつないでいない状態で楽譜を見ながら一小説づつ練習をはじめている。山瀬さんも自分の世界に入り込んでしまったようで、声は出していないが唇を動かしながら真剣に楽譜を目で追っていた。
「演奏してみます」という言葉を聴かなかったかのように自分の世界に入り切ってしまった奏者や山瀬さんを横目に、武夫は山根さんに聞いてみた。
「山瀬さんだけでも場所を変えた方がいいみたいですね」
「いえ、彼らにも一度聴いてもらいます。その後今日のところは彼らに別の部屋で練習してもらいましょう。自由に弾けるピアノはここにしかないですし」
「じゃぁ、こっちの楽譜も渡しておいてください」
おそらく奏者たちも水瀬さんも、ここまで別物になっているとは考えていなかったのだろうと武夫は思った。けれどもそこまでの改変を入れなければ、世に出す価値がないという彼なりの判断があった。
やっつけ仕事でこうなってしまったのだから、もっとテクニカルになってしまった二曲目である「逃げ水」の編曲が奏者たちに絶望を与えるのではないかと、ちょっと心配になった武夫だった。
そんなことを考えていた武夫に、奏者たちに用件を伝え終えた山根さんが声をかけた。
「それでは吉崎さん、デモ演奏お願いします」




