第65話:入学式
一九八六年四月八日。
武夫たちは入学式に参加するため、高校の体育館に並べられた椅子に座っている。いま、彼の気分はあまりよろしくない。べつに体調が悪いわけでもなく、どこかが痛いわけでもなかった。
武夫がそんな気分になっているのは、新入生代表の挨拶をしなければならないからだ。
入学テストがいかに簡単だったとはいえ、手抜きをしたりわざと間違えたりは当然ながら彼もしなかった。するとテスト結果は当然のごとく良いものになる訳で、電話で連絡を受けたたときに全教科満点だったと武夫には伝えられた。
ようするに、学年主席の役目として新入生代表の挨拶をしなければならなくなったわけである。
そんな武夫を差し置いて、バンド仲間で唯一彼と同じクラスになった千佳子は、珍しく希望に満ちた瞳をキラキラと輝かせている。雄二が不合格になったのになぜ? と思われるかもしれないが、これにはもちろん理由があった。
少しばかり時をさかのぼる。
合格発表のあと、武夫たちは固まって家路に就いたのだが、その道中は誰一人言葉を発することができなかった。本来ならば合格した嬉しさと、これからはじまる高校生活に期待を膨らませるような空気になるはずだったのだが、若干一名が不合格になったことがその理由だ。
それでもバンドとしての今後を、ただ一人不合格になった雄二を交えて話し合う必要があった。そしてそれを一番理解しているのが雄二だった。彼は高校の校門を出る直前に立ち止まり、前を歩いている仲間たちを呼び止めた。皆が立ち止まって振り返る。
「みんなスマン。俺のせいで雰囲気悪くしちまって……ちょっとだけ時間をくれ。必ず答えを出すから」
皆が無言でうなずき、その場で解散になった。
武夫は雅美とともに校門横のバス停に並んでいる。
「雄二君どうするのかな……」
「彼の性格からすると、別の高校に行ってもバンドは続けたいって言うんじゃないかな。でも、どうやって集まったり練習したりしたいのか分からない」
「やっぱりそうだよね。どうにかならないのかな」
雅美も今の仲間たちとバンド活動を続けたい様子だった。武夫としては彼女の意に沿うことしか考えていない。そして雄二のことは、それほど心配する必要がないとも思っている。
べつに武夫は、雄二のことを冷徹に見捨てているわけではない。前世での人生経験から、なるようにしかならないと云わば達観しているだけだ。行く高校が別になったところで、彼本人の意思次第ではあるが、やりようはいくらでもあるのだから。
合格発表の翌日の夜、さっそく雄二から電話連絡があった。明日の午前中、ライブハウスに来てほしいということだった。他の仲間たちにもすでに連絡したそうで、皆来てくれるそうだ。もちろん武夫も了解し、翌日にはライブハウスに皆が集まった。
「俺のことで迷惑かけてスマン。でも、決まっちまったことは仕方がない。で、俺は考えた。俺は皆とバンドを続けたい。でもそれは簡単なことじゃない。だから俺は平日一人で練習することにした。他のバンドには入らない。で、お願いなんだが、日曜と祝日は今までどおりここに集まって練習してほしいんだ。夏休みとか冬休みもな」
武夫としてはそれでも構わないという考えだった。けれども千佳子だけは納得していない顔だ。
「ドラムはバンドの屋台骨。ドラム無しの練習なんて考えられない」
「そこを何とか頼みたいんだ」
正彦は腕を組んで難しい顔をしていた。リズム隊なだけに千佳子に近い考えなのかもしれない。友子は頭上に「?」マークを浮かべたような顔で分かっていない様子だ。
雅美はオロオロして雄二と千佳子を交互に見ている。
そうこうしているうちに千佳子が、訴えるような顔で武夫を見てきた。
「師匠はどう思う?」
武夫は正直なにも考えていなかった。ただ年長者の視点で静観していただけだ。彼自身がどうとでもなると思っているから、見守っていたと言い換えた方が良いかもしれない。
けれども、意見を求められればそれに応えるのも年長者としての務めだろうと武夫は思っている。実際には年長者でもなんでもなくて人生経験が豊かなだけだが。
「そんなに難しく考えなくてもいいんじゃないか? テープに録音した音を使えばそれなりの練習はできるし。皆が集まったときに調整すればいいと思う。録音のアップデートは頻繁にした方がいいと思うけど」
けっきょくこの武夫の意見が決め手となって、バンドは今の形のまま継続することになった。話し合いはそれからも続いたが。
この日以降、午前中にライブハウスに集まって、入学までの期間、バンド練習は今の形のまま続けられたのである。
そして入学手続きも済ませて三月も終わりに近づいたころ、青天の霹靂とでもいうべき事態が起こった。なんと雄二のもとに補欠合格の通知が届いたのである。
いったいあの深刻な話し合いは何だったのか? ただ気を揉んだだけで、結局は元の鞘に収まることになって武夫たちは全員が目標の公立高校に通うことになったのである。
そんなことがあって迎えた入学式で、武夫は新入生代表挨拶を形式どおりに無難にこなしたのだった。




