第56話:中学二年生&二章プロローグ的なにか
仔猫は無事に命をつなぎとめた。竹林で保護してから十日、すでに目は開いている。今は武夫の部屋のフローリングの床を細い尻尾をピンと立て、たどたどしいながら歩行訓練というか、ヨチヨチと歩き回っている。
雅美と朋子は目じりが下がりきっただらしない顔を並べ、その光景を眺めている。
「キャワイィ~」
「ホントだね~。あ、朋子ちゃん、わたしの方に来たよ」
「それは違うわ。私の方よ」
――それも違うと思うぞ。
とは、口が裂けても言えない武夫だった。床に両肘をついて両の頬を支え、尻を突き出すようにして這いつくばる二人は、仔猫に視線を合わせようと必死だ。
仔猫は武夫に一番懐いていて、まだよく目が見えないはずなのに常に武夫に追いすがるように歩き回る。武夫は仔猫が近づくとひと撫でかふた撫でし、別の位置に移動して見違えるように元気になった仔猫の歩行訓練をしているのだ。
今はたまたま二人の後ろに位置しているだけだった。
――眼福なんだけどなぁ……。
仔猫の動きを視線で追う二人は、仔猫がよろけたりするたびに突き出した尻を振り振りするものだから、それがどうしても視界に入る武夫の心境は複雑だった。
はしたないから止めさせたいが、仔猫が近づいて喜ぶ二人を見ていたいという欲求が武夫の中でせめぎ合っている。でも結局、武夫は仔猫が二人の眼前まで歩いたところで90度位置を変えるのだった。
仔猫はその動きに合わせて二人の眼前で方向を変え、武夫に近づこうとする。
「そっちは違うの。お兄ちゃんの方に行かないでぇ」
「あぁ~、いっちゃう~」
朋子と雅美をここまでさせるのは、庇護欲、あるいは母性本能のなせる業なのだろうか。普段の言動からは考えられない二人の痴態を前に、武夫はしばし考え込んだ。
けれども結局、そんなことを考えても意味はないことに気づき、二人を好きにさせる武夫だった。
こんな日常がここのところ続いているが、それも僅かな日数で終わりを告げることになった。春休みの終了である。
春休み中は武夫と朋子と雅美が仔猫の世話をしていたが、学校が始まってしまえばそれは不可能であり、日中はどうしても母に面倒見てもらう必要があった。はたして母は日中に仔猫の世話を引き受けてくれるだろうか?
杞憂だった。どうやら母も仔猫の可愛さにノックアウトされたらしい。こうして武夫は引き受けてくれる人を探すことなく、仔猫を吉崎家の一員として飼うことになったのである。
中学二年に進級した武夫は三組でバンドメンバーの誰とも同じクラスにはなれなかった。けれども幸運なことに一年時に引き続いて雅美と千佳子と友子が同じ四組になり、雄二が一組、正彦は二組となって別クラスに別れた。
――前世とは違ったけど、女の子三人が固まったのは良かったかな。
前世では中学二年と三年で武夫と雅美は同じクラスだった。バタフライ効果で彼女と同じクラスにはなれなかったことが悔やまれるが、それもまた仕方がないと飲み込む武夫だった。
そんなこんなで武夫と雅美の中学二年生生活がはじまったわけであるが、とりとめて事案など起こることもなく季節が過ぎていった。最後の義務教育期間である中学生活において、武夫はできるだけ無難な生活を心がけていた。
とはいっても周囲がそれを放っておくことはなく、小説の改稿はあのあと二回行われ、夏休みに入ったころにようやく出版された。初動は前世のときよりも幾分好調で、帯につけられた武夫のリサイタル写真が功を奏したようだ。
夏恒例になりつつある武夫の東京詣でというか永山先生とのピアノリサイタルは今年も行われ、一万人の観客を熱狂させたし、高平先生主催のパーティにお呼ばれして芸能人とか有力者の前でピアノの演奏を披露させられたりもした。
バンドの練習はそれなりの進展を見せ、夏休みが終わるころには、武夫的にアマチュアバンドとして客の前で演奏しても形になるなと思いはじめている。
懸案だった雄二と正彦の腕前は順調に上達し、とくに雄二の足のばたつきが緩和されてリズムが引き締まったと実感できるようになった。正彦は完全に初心者感が抜けて安定したリズムをキープできるようになっている。
特筆すべきは雅美と千佳子の上達ぶりだった。心境の変化でもあったのであろうか、武夫には分からないが春休みを境に雅美の演奏技術が急激に伸びはじめた。武夫はもしやと思って試しにピアノを聴かせてもらったら、出会ったころの走りすぎるクセはなりを潜め、指使いがソフトになって音のメリハリがつくようになっていた。
――家のピアノ部屋で朋子となにかやってたみたいだけど、二人で練習でもしてたのかな。
春休みの仔猫の一件以来、雅美は武夫の家によく遊びにくるようになった。嬉しい限りだが、朋子と仲良くなったことに武夫は安堵した。もし折り合いが悪かったら将来どうしようかとヤキモキしていたのだ。
千佳子は武夫が課題を出す形で一年のときからやってきた練習が実りつつあるといったところだ。指の動きの訓練は毎日欠かさずやっているようで、今では武夫に次いで器用に指が動かせるようになった。その甲斐あって、雅美と同等の技術的伸びを見せている。
最後に友子だが、彼女だけは武夫にも上手くなったのかどうかの判断がつかない。もともと歌唱力がずば抜けていることもあって、武夫ですら彼女をはかることはできないようだ。
作曲作業も順調に進んでいる。秋の文化祭で披露する予定の四曲が無事完成したのみならず、二曲が現在進行形で形になりつつあった。
「お、雄二やるねぇ。今のバスドラ連打完璧だった」
千佳子が珍しく雄二を褒めた。恋人同士である二人のプライベートまではさすがに武夫も知らないが、練習中の千佳子は雄二に対して厳しい指摘をボソッとつぶやくことが多々ある。
「おうよ、文化祭まで時間がねぇからな。俺もやるときはやるってことよ」
完璧に決まったこともあって雄二の機嫌もいいようだ。
雄二が言ったとおり、文化祭が一週間後に迫っていた。一応ではあるが、文化祭が武夫たちのバンド、セクストグリントのデビュー公演となる。観客は学生と教師だけだが、それでも大人数の前で演奏を披露するのだからバンドの面々は気合が入っていた。




