第55話:仔猫 その三&第一章エピローグ
見事に赤面して恥ずかしがる雅美を、朋子は楽しそうに見ていた。武夫はこんな妹の様子を見たことがない。彼女はもしかしたら真正のSなのかもしれない。
「ま、まだ彼女じゃないよ」
「へぇ~。まだっていうことは、いずれそうなりたいってことで合ってるよね?」
「そっ、それは……」
雅美の顔はより赤みを増して、ぱっちりとしたクリクリの瞳は動揺を隠しきれずに揺れ泳いでいる。朋子は彼女より二学年歳下だが、身長は10㎝ほど高い。顔も丸みを帯びた可愛いタイプの雅美と比べて、目鼻立ちがすっきりした美人顔タイプだ。今の状況を一目見れば、お姉さんが歳下の女の子を恋愛話でイジっているようにしか見えない。
見た目だけで言えば、朋子が高校生で雅美が小学生に見えてしまう。
それはさておき、朋子は微笑を浮かべながらも、興味深げで観察するような視線を雅美に投げかけている。雅美は朋子を正視することができないようで、すこし視線を逸らしてうつむき気味に言葉を探しているようだ。
「言いよどむってことは、お兄ちゃんのこと好きなんだね。そうだよね?」
朋子の容赦ない追撃を受け、雅美は意を決したように朋子の目を見た。
「武夫君のことは、だ、大好きだよ。すごくカッコよくて背も高いし、頭もいいし、ピアノもギターもプロ級だし。それに、すごく優しくしてくれるから。でも、今のわたしじゃ釣り合わない。だから今は……」
「そう……お兄ちゃんをよく見てるね。雅美さんはネコが好きみたいだし、ネコ好きに悪い人は少ないって聞くし、応援してあげてもいいわ。ただし……」
「ただし?」
雅美は、怖いから聞きたくない、でも知りたい。そんな様子で聞き返していた。
「第一に、お兄ちゃんを利用しないこと。裏切らないこと。第二に、少しでもお兄ちゃんの傍にいれるように努力し続けること。頑張ること」
「り、利用なんて。それに絶対裏切ったりしないよ。楽器だって頑張ってるし……」
朋子は雅美を見て分かってない言わんばかりに首を振った。
「ノンノン、分かってない。甘すぎるよ。ちょっとやそっとの努力じゃお兄ちゃんの横には立てないの。いい?」
雅美は無言でうなずく。
「私はこれでも去年、全日本ピアノコンクールで優勝したの」
「スゴイ!」
雅美は目を丸くしている。けれども朋子は自慢している様子ではなく、どちらかと言えば悔しそうな顔をしている。
「でもね、お兄ちゃんはそんなレベルじゃないの。私なんか足元にも及ばないし、ぜんぜん近づけた気がしないわ。それとね、一月に東京でお兄ちゃんと永山栄一先生のピアノリサイタルに一曲だけ出演させてもらったんだけどね。一万人収容のコンサートホールが満員になったのよ」
「一万人……え!? 永山栄一先生ってあの?」
雅美はさらに大きく目を見開いた。
「そう、日本で五指に入ると言われているピアニストよ。それでね、その永山先生が言うにはね、お兄ちゃんの技術はまだまだ伸びるんだって。近づこうって思って頑張りすぎると身が持たないわ。だから私はお兄ちゃんの妹だって堂々と言えるように自分を磨くことにしたの」
武夫は雅美に、プロピアニストのリサイタルとコンサートにゲスト奏者として出演したとしか伝えていなかった。だからだろうが、朋子から本当の彼の実力を知らされた雅美は、明らかに動揺しているようだった。
そんな雅美を見て朋子が続ける。
「だから雅美さんはお兄ちゃんの横に立とうとするんじゃなくて、支えてあげられるように頑張ればいいと思うよ。それでだけでもものすごく頑張らないといけないけどね」
「武夫君を支える……支える……」
雅美は言葉の意味をまるで咀嚼でもするかのように数回呟いた。
「そう、支えるの。お兄ちゃんが困ってるときとか、迷ってるときに一緒に考えるの。もちろん自分磨きも今よりもっと頑張らないとダメよ」
朋子は雅美の様子を観察するように見ている。しばらくして、言葉を理解したのか雅美は朋子の目をしっかりと見据えた。
「分かってくれたみたいね。私がここまで言ったのもお兄ちゃんが雅美さんだけはちゃんと見てたからなの。お兄ちゃんはどんな美人さんにもあんなに優しい目を向けたりはしないわ。雅美さんはそれだけお兄ちゃんが認めた存在だと思うの。だから私も認めてあげる。でもそれは今だけよ。もしお兄ちゃんを裏切ったりしたら許さないから」
朋子の顔は真剣だった。歳下のくせにかなり上から目線の言葉であるが、恐怖すら感じる彼女のその美貌は、とても小学生とは思えないほどの品格というか風格があって、雅美は蛇に睨まれたカエルみたいに身を固めている。
それでも武夫について朋子に言われたことが嬉しかったのか、雅美の顔には徐々に笑みが戻ってきて、頬も紅潮していった。
「うふっ、そんなにお兄ちゃんに認められたことが嬉しいの? 雅美さんって可愛いとこあるなぁ~」
「か、からかわないで!」
顔を赤くして照れている雅美は何度も言うが幼な可愛くて、もしこの場面だけを切り取って武夫が目にすれば、悶絶していること請け合いである。
「あ、お兄ちゃん返ってきた」
どたどたと階段を駆け上がる音が聞こえてきた。ガチャリとドアが開くと、紙袋を下げた武夫が帰ってきた。
「ん? 雅美ちゃんどうしたの? 顔が赤い……風邪でも引いた?」
朋子は呆れ顔で雅美を手招きし、顔を寄せた彼女に耳打ちした。
「お兄ちゃん、こう見えてちょっと鈍感なとこあるから頑張ろうね」
「うん、それは分かってるから」
武夫は女性同士の会話に、できるだけ割り込まないようにしている。ひそひそ話ならなおさらだ。そして割り込まないでクールに静観してこそカッコいいと思っている。
ヒソヒソ話でないとき、たまにその会話に興味がないと誤解されたり、損をしたりすることもあるが、そもそも武夫は雅美以外の女性に関心がないから、それで困ったことになったことはほとんどない。
それはさておき、武夫は段ボール箱の中ですやすやと眠っている仔猫に目をやった。
――大丈夫みたいだな。あとはミルクさえ飲んでくれればなんとかなりそうだけど。それにしても……。
とにかくよく似ていた。明るい部屋の中でまじまじと見たせいで、武夫ははっきりと思い出した。向かって左に黒、右側に茶のハチワレだ。
前世で武夫に良くなついていたハチワレの三毛猫。武夫を見ると尻尾をピンと立て、ゴロゴロ喉を鳴らしながらすり寄ってきた。その光景が脳裏に浮かび、今ダンボール箱の中ですやすやと眠る仔猫が無事に成長することを願う武夫だった。
「朋子、ミルクの準備お願いできるかな。温度は人肌くらいで」
「どれくらい作ればいいの?」
「15ccくらいでいいよ。多くなってもかまわないから」
武夫は朋子に粉ミルクが入った缶を渡し、彼女はそれを受け取ると部屋を出てパタパタと階段を下りて行った。残された二人は段ボール箱を挟むようにして向かい合い、眠っている仔猫を見下ろしている。
「生後どれくらいかな?」
ポツリとつぶやくような雅美の言葉に、武夫は自信なさそうに答えた。
「正確には分からない。野良だからね。でも、まだ目が開いてないから二週間以内だと思う」
「そうなんだ。まだこんなに小さいのに独りぼっちで可哀そう」
なにせ手のひらに乗りそうなサイズの仔猫だ。雅美がそう思うのも言うまでもないことだろう。
「そうだね。でも、生き残ったんだから、それを喜ぼうよ」
「武夫君は優しいね」
「そうかな、これでも現実主義のつもりだけど」
「ううん、武夫君はやっぱり優しいよ。普通はあんな小さな鳴き声に気づかないし、助けに行こうなんて思わないから」
「まあ、猫好きだからね」
そんなことを話しているうちに、カチャリと静かにドアが開けられた。
「あら? なんかいい雰囲気だね、二人とも。夫婦みたいだったよ」
朋子はニマァっと悪い笑みを浮かべている。武夫はあたふたとして何故か無意味に学生服の襟元を正し、雅美は真っ赤になってうつむいてしまった。
「おじゃまだったかしら。ごゆっくり~」
朋子はそっとミルクが入った半透明のカップを武夫に渡すと、そう言ってそそくさと部屋から出て行った。残された二人はぎこちなく首を回して見つめ合い、雅美は赤面した顔を伏せるように目を逸らした。
「仕方ないやつだな、朋子は。じゃぁ、俺がミルクをやるよ」
武夫はそう言って紙袋から小さなスポイトを取り出し、ミルクを吸入して仔猫の口元に近づけた。仔猫はミルクの匂いが分かるのだろう、口元に近づけられたスポイトをあむあむと噛んでいる。武夫はゆっくりとスポイトをつぶしてミルクを飲ませた。
「良かった。飲んでくれたよ」
「うん、よかったね」
こうして無事にミルクを飲んだ仔猫はその命をつなぎとめることになった。この日から数日、武夫は仔猫につきっきりになることを覚悟したが、夜は朋子と一日ごとに交代してミルクを与え、陽が出ている時間帯は仔猫の面倒をみるために雅美が武夫の家に上がり込んで世話をするようになった。
名目は仔猫のためだったが、雅美は毎回朋子にイジられながらも、めげずに武夫の部屋で仔猫の世話に精を出すのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。本話をもちまして第一章完結となります。ひきつづき第二章を執筆してまいりますが、投稿再開は土日を挟んで二月三日からを予定しています。もしかしたら投稿再開が遅れるかもしれませんが、そのときはご容赦くださいませ。




