第54話:仔猫 その二
武夫と雅美は玄関でバッタリ妹の朋子と出くわした。そしてこの反応である。武夫は朋子のこの反応を数回見たことがある。彼女のこれは武夫に変な虫がつかないようにするための予防線だった。
そんな朋子はお兄ちゃん娘ではあるが、決して「将来はお兄ちゃんのお嫁さんになる」とは言わなかった。早くから兄妹では結婚できないことを理解していたようで、リアリストの傾向がある。決してロマンチストではない。のではあるが……。
「キャァァァァッ! きゃわい~。ねぇねぇお兄ちゃん、その仔猫どうしたの? 家で飼……う……の? なんかぐったりしてるよ? 今にも死にそうだよ。どうしよう、ねぇお兄ちゃん」
無類の猫好きだった。おもいきりだらしない顔になって喜んだのもつかの間、仔猫の様子に気づいたようで、ものすごく心配そうに、武夫の腕の中をのぞき込んでいる。
「朋子落ち着け。この子は林の中で死にかけてたんだ。それと、初対面の人にさっきのいい方は無いぞ。彼女は俺のバンド仲間だ。仔猫の世話を手伝ってもらおうと思ったんだよ」
「うっ……ゴメンなさい。武夫の妹で朋子と言います」
「武夫君とバンドしてる白石雅美だよ。でも今はこの子をなんとかしなきゃ」
朋子の視線は雅美に固定されていて、鋭さがあった。雅美の視線はすぐに仔猫に戻り、視線と視線がぶつかり合うことはなかった。
「うん、それなんだけど……まずは温めてやって、それからミルクがいると思う。朋子、雅美ちゃんと一緒にこの子を温めてくれる? 湯たんぽがあったはずだからタオルでそれをくるんで30から35℃くらいでいいと思う。それから、ノミがいるはずだからダンボールかなにかに入れた方がいいと思う」
武夫は前世で猫動画をよく見ていた。だからこの子猫になにが必要なのかがある程度わかった。けれども詳しいことまでは分からないからペットショップで聞いてこようと考えている。
動物病院に連れて行けばいいのでは? と、思われる方も多いだろうが、この時代は二〇二〇年代のようにどこにでもそれがあるわけではないのだ。少なくとも武夫は動物病院が近くにないことを知っていた。
「分かったわ。湯たんぽはお母さんに聞いてみる。お兄ちゃんはどうするの?」
「俺は仔猫用のミルクとノミ取り薬を買ってくる。それまで雅美ちゃんと二人でお願い。仲良くするんだぞ。母さんにもよろしく言っといて。あ、俺の部屋使っていいから」
武夫はそれだけ言って仔猫を雅美にそっと渡し、飛び出していった。残された雅美は大事そうに仔猫を抱え、すごく不安そうな顔で腕の中の仔猫を見つめて玄関に立ち尽くしている。
朋子は武夫の言葉を聞いて頬を緩め「お兄ちゃんの部屋」と小さな声で呟いて、しばしニマニマとしていた。
「どうぞお上がりください」
その声にハッと顔を上げた雅美は、緊張を帯びた声で「お邪魔します」と言って会釈し、器用に足だけでローファーの靴を脱いだ。そして仔猫を落とさないようにかがんで靴を揃え、前をいく朋子の後に続いて階段を上がり、左手の部屋へと案内された。
「この部屋で待っていてくださいね。ベッドに座ったり寝転んだりしたらダメですよ。それから、エッチな本を探しても無駄ですからね。あ、その椅子を使ってください」
朋子は勉強机の椅子を引っ張り出して雅美に勧めると、ドアを閉めて武夫の部屋を出て行ってしまった。少しの間をおいて、ドア越しに「お母さーん、仔猫がー」と朋子の声が下階から聞こえてきた。
雅美は勧められた椅子に座って部屋の中を見渡した。
「これが武夫君の部屋……」
そう呟いた雅美は仔猫をお腹の体温で温めながらも、興味深そうに部屋の中をチラチラと見続けている。
「チョコは……さすがに無いか」
そう呟いて「うふっ」と可愛い笑みを零した雅美は、動きでもしたのだろうか「あっ」と声を出して抱いている仔猫を見た。仔猫は雅美の体温で温められて安心したのだろうか、すやすやと眠っているようだ。
しばらくしてドタドタと階段を駆け上がる音がドア越しに聞こえ、ガチャリとドアが開けられた。雅美はハッと椅子に座ったまま姿勢を正し、その方向に視線を向ける。
「準備出来たわ。さあ、温めてあげましょう」
「ええ、急がないと」
ダンボールを抱えたまま器用にドアを開け、部屋に入ってきた朋子は部屋の中央にそれを下ろすと、中から白いバスタオルを取り出して雅美に渡した。
「あっ、温かい」
「湯たんぽで温めたからね」
雅美は丁寧に優しく仔猫をバスタオルで包み、そっとダンボール箱の中にあるタオルが巻かれた湯たんぽの上に置いた。仔猫はバスタオルから顔だけ出した状態で眠っている。二人はそれを向かい合うようにして覗きこんだ。
その顔は二人ともだらしなく緩んでいる。
「安心して眠ってるね」
雅美は安堵したような優しい声でそう言って、眠っている仔猫に微笑みかけた。
「うん、あとはお兄ちゃんが帰ってきてからかな。やっぱり仔猫は可愛いね、ちょっと汚れてるけど」
そう言いながらも、朋子は目じりが下がって頬が緩んだままだ。
しばらく二人は眠る仔猫を見ていたが、朋子がおもむろに顔を上げて雅美をニマニマした顔で見た。
「雅美さんってお兄ちゃんの彼女さんですか?」
その声を聴いた雅美は、みるみると赤面し、恥ずかしそうにモジモジしだすのだった。その様子を武夫が見れば、きっとその可愛らしさに悶えることだろう。




