第45話:年越しライブ その六
楽譜を取りに行っていた男性が帰ってきた。なぜか両手にはコンビニの白い袋が下げられている。
「お、キシは気が利くねぇ」
「長丁場になるからね。それで、どうだったの?」
「ハッキリ言ってヤヴァイ、この二人。とくに彼がね。まぁ百文は一見にしかずだ。準備ができるのを待とう」
ピーキーアントの二人がそんなことを話している間、武夫は五線紙ノートのコード譜の上に雅美に弾いてもらうべきメロディーを書き連ねていった。それは曲全体にわたるものではなく、部分的なパートに留まっている。
さらに、雅美がすぐに覚えられるように簡略化している。が、そのメロディはもちろんのごとくアレンジされていて、当然だが武夫が手を抜くなんてことはなかった。
「これで行ける?」
武夫からノートを渡された雅美が音符を目で追っていく、そしてホッと安堵したような笑みを浮かべた。
――この顔がいいんだよなぁ。不安から解放されたようなこの変化が。いや、不安そうにしている顔もそれはそれで……。
「たぶん大丈夫だと思う。弾きやすいアレンジにしてくれてありがとう武夫君」
「どういたしまして」
二人は微笑みを交わし合った。地下室にあってその限られた空間は二人だけのものになっていて、武夫と雅美は知らず識らずのうちに他の者たちを和ませていた。
「ゴホン、もう少し見ていてもいいんだが、時間が惜しくてな。そろそろ行けるかい?」
川本さんが申し訳なさそうな口調で、しかし微笑ましいものを見るような柔和な笑みで武夫と雅美に聞いた。
武夫と雅美は顔をほんのりと紅潮させ、武夫が少し慌てたように距離をとった。
「大丈夫です」
「じゃぁ合わせてみようか。アレンジしてあるからキシは一回聴いててくれるか?」
「あいよ」
ドラムセットに川本さんが着席し、全員に視線で確認して武夫に合図を送った。ヴォーカルの人はギターを肩から掛けているが腕を組んで聴く態勢だ。
武夫がイントロのフレーズを歪んだ音で弾きはじめ、そこにドラムが加わり、続けてベースとキーボードの音も入って曲が始まったが、音が増えた分、よりアレンジの効果がはっきりと出ていた。コード進行にメリハリと意外性が増え、武夫のリードギターもより引き立っている。そして雅美のキーボードも違和感なく曲に溶け込んでいた。
――エース張ってるだけのことはあるな。雅美ちゃんも調子よさそうだし。
一回演奏を聴いただけで合わせてきたピーキーアントの二人に武夫は感心していた。不慣れによる音ブレがなく、間の取り方もリズムもぎこちなさがない。
キシと呼ばれたヴォーカルの男性は最初こそ目を丸くしていたが、リズムに乗って体を揺らし、演奏に加わりたそうな雰囲気を出していた。
そして曲が終わると。
「曲の次元が上がってるじゃん。この曲ってこんなに良かった? ちょっとコード変えただけでここまで変わる? もっかいやろうよ。俺も混ぜてさ」
ヴォーカルの男性はアンプにギターをつなぎながらも興奮を抑えられないようだ。彼はリズムギター兼ヴォーカルなのだろう。
「最初からそのつもりだよ」
「オッケーイ。じゃ、はじめようか」
ついにすべての楽器と歌が加わり、完成形の曲が演奏された。ハスキーでありながらもハイトーンが伸びる歌声を聞いた武夫は、そのヴォーカルの実力にピーキーアントがクラブハウスのエースに上り詰めた理由を知った気がした。
――この歌声なら人気出るよ。トモちゃんにはさすがに敵わないみたいだけど。
「最っ高じゃん。次行こうよ次」
「焦るなって。次はまだ何もしてないからね。どうせ彼アレンジ入れてくるだろうし」
そう言って視線を送ってきた川本さんに、武夫は頷いて意思を示した。
「時間も惜しいことだし、武夫君どんどん行こうか。自由にやっていいから」
武夫は次の曲をテープで再生してもらい、速記のような速さでコードを書きこみ、アレンジしていった。そしてもう一度曲を聞きながら、キーボードの旋律部分に手を加えていく。
その様子を見ていたヴォーカルの人が目を剥いて隣に来ていた川本さんに呟いた。
「天才って居るんだねぇ。今、目の前で起こっていることが信じられない。なんなの、この変態的スピード。人間業じゃないよ。魔法を見てるみたい」
「確かにな。だが、彼の気を散らさないように黙っておこうか」
まだまだ話したそうにしているヴォーカルの人に、川本さんは自分の口に一本指をあてて静かにするように制止した。
武夫的にはずいぶん手を抜いてアレンジしているからこんなスピードになっているが、彼はそれが異常であることに気づいていない。
武夫本来の資質は、ピアニストの木下先生や永山先生が見抜いたように編曲能力の高さにある。だからこんな芸当が可能なのだが、それは未来の音楽知識と幼少期からの超効率的な訓練と彼本来の能力が奇跡的にかみ合ったからこそ醸成された能力だった。
常人にこんなことができるはずがないのだ。ある意味やりすぎてしまったが故の結果がコレなのである。




