第32話:偽りの笑顔と本物の笑顔
武夫が曲のたたき台を披露した翌日からの部活は、おのおのが個別の練習に励んでいる。雅美と友子の関係は上手く行っているようで、というか二人はかなり仲良くなっていて、雅美の自然な笑顔が増えたことが武夫にとっては嬉しくてたまらなかった。
というのも、前世ではいつも笑顔だった雅美だが、それが武夫の蘇った記憶では印象に残っていた。けれどもそれが自然な本物の笑顔ではないと確信を持てたのはつい最近のことである。
友子のお手柄ではあるのだが、彼女が雅美の本当の笑顔を引きだしてくれなければ、そして前世の記憶が無ければ、武夫が確信を持つには至らなかっただろう。
「マミちゃん、ちっがうんだよ。幸せ気分じゃものたりないよ。おでんを食べるとね、アタシは天にも昇るような。そう、まるで昇天するみたいな気持ちにになるの――」
新たな歌詞に対して、友子はあいかわらず食欲の権化みたいに力説しているが、それを真剣に聞いている雅美との対比が、武夫にはこれはこれでアリなのかなと微笑ましく思えていた。
「師匠~、でぎない。むずがじずぎるよぉ~」
「うん、確かにこの変態的動きはちょっとやそっとじゃ」
で、武夫が今何をしているかというと、ギターの弦を抑える指の動きのトレーニング方法を千佳子と正彦に教えていた。武夫はもともと幼児期からピアニカを使って指運の練習をしてきたが、それとは別に両手の指を自由自在に動かせるようにトレーニングを積んできている。
その方法は武夫独自のものではあるが、このトレーニングによって今があるのだから間違った方法だと彼は思っていない。ピアノとギターやベースでは指の動きがもちろん違うが、このトレーニングを積んだおかげでギターの上達がことのほか早かった。きっと通じるものがあるのだろうと彼は思っている。
というか、武夫はギターの上達に関してそれほど苦労した覚えがない。もしかしたら彼には天性の素質があったのかもしれないが、ただギターに慣れるだけで済んだ。その分ピアノでは苦労してきたが。
「そうかなぁ、たしかに最初は難しかったけど、まだ小さいころだったからな。覚えが速かったのかも」
そう言いながら、武夫は十本の指を不規則にかつ高速に動かして見せた。その様子はまるで、十匹の生き物がそれぞれに別の意志を持って動いているようでもあった。
「慣れるとこれくらいはできるようになるよ」
「うをぉー、師匠、それは絶対に無理。それは神の動き」
「うん、それは慣れだけじゃ無理」
なぜだか武夫は褒められたことが嬉しかった。ピアノの腕を褒められたときよりも、ギターが上手いと言われたときよりも、指を自由自在に動かせることを褒められた方が嬉しかった。
それは幼少期から頑張って努力してきた一番大変だった基礎が認められたからなのかもしれない。あるいは、同年代の仲間から賞賛されたからゆえかもしれない。
「師匠が誇らしげにしてる。はじめて見たかも」
「そだねー、タケっち鼻高々だねー」
いつのまにか雅美と友子が近くにきて武夫の指の動きを凝視していた。
「わたしもこれが出来るようになれば」
友子は不思議な生き物でも見ているかのように興味深そうにしていて、雅美は羨ましそうな目をしていた。
「練習すればできるようになるとまでは言わないけど、時間を決めて毎日欠かさず継続したらある程度はなんとかなるかもよ? あ、やる前とやった後に指の腱のストレッチは忘れないようにしてね」
幼児期の超吸収期とでもいうべきか、そんな時期に集中的に武夫はトレーニングしてきたのだ。大人の怠けない意志の力を持って。だからさすがに誰にでもできるとは言えなかった。
けれども雅美は武夫にとって特別な存在だ。だから出来るだけ丁寧な助言をすることを忘れない。
「毎日欠かさずかー。うん、頑張ってみるね」
改めて武夫は思う。やっぱりこれが雅美の自然な姿だ。前世の記憶にある彼女は虚構だ。あの笑顔も言動も自分の居場所を得るために無理やり作った偽りの仮面だ。
父親が亡くなって生活が一変し、それまでの友達とも別れて知らない田舎のコミュニティーに一人加わることが、まだ十三歳にもなっていない幼い少女にとってどれだけ辛いことだろうか。少しでも自分の心を守るために偽りの仮面をかぶり、必死に周囲に溶け込もうと頑張ったのではないのか? それでクズに引っかかってむごい最期を。
すべては武夫の想像でしかない。けれども今の雅美の自然な生き生きとした笑顔を見た彼には、そうとしか思えなかった。
だからこそ今のこの環境を作ってくれた、友子をはじめとしたバンド仲間たちのことが、武夫には代えがたい存在に思えている。
「うおおーい、お前ら集まって楽しそうなことやってんじゃねぇか。俺も混ぜろ」
今まで一人寡黙にドラムをたたいていた雄二が仲間たちの輪に飛び込んできた。
「ドラムには役立たないとアタシは思うよ」
「お前だってボーカルじゃねぇか」
「アタシは楽しければそれでいいの」




