第30話:一曲目のたたき台
「はい!」
返事をした雅美は真剣なまなざしで武夫の目を見たが、同時に緊張感とワクワクした感じが彼には感じられた。
友子はワクワク感丸出しで今にも飛び掛かられそうな恐怖感さえ武夫は感じていた。ほかの三人もギラギラした視線を彼に送っている。
「お前ら怖いって、逃げやしないから落ち着けっ。なっ」
「お、おう」
雄二がそう言ってキーボードから少し距離を取ると、正彦と千佳子も彼に倣うように一歩後ろに下がった。雅美は武夫の横にいて邪魔にはなっていないが、友子だけはいまだにキーボードに手をかけて期待感一杯のキラキラした瞳で武夫をガン見している。
「トモちゃん」
武夫はジト目で友子を見つめ返す。
「わっくわくだね。タケっち早く早くっ!」
武夫はがっくりと項垂れるようにして諦めた。もはや友子にはなにを言っても無駄そうだったからだ。自分の曲が編曲されるのだからこうなるのは仕方がないし、邪険にもできない。ならば目の前には誰もいない。そう自己暗示をかけた武夫は、鍵盤だけを見て演奏に集中することにしたのだった。
爽やかな朝の目覚めを思わせる静かでゆったりしたイントロから曲は始まった。Aメロに入ると、明るい曲調でテンポを少し上げ、コードはC→G→Am→Em→F→C→F→GでCメジャーキーのカノン進行にした。
カノンのコード進行は2020年代に入っても様々な名曲に取り入れられている鉄板のコード進行だ。いま弾いているこの曲がまだたたき台であることを考えると、あまり弄ったり奇をてらったりと余計なことはせず、素直なコードを武夫は紡いでいる。
AメロからBメロに入って序盤はふたたびゆっくりな進行に戻るが、そこから徐々にテンポとキーを上げていって一旦間を開けると、どこからかゴクリと喉を鳴らす音が聞こえてきた。
武夫はその音に気付くことなくたっぷりタメを作ってから、爆発的な盛り上がりを見せるサビのメロディーを情熱的に弾き連ねていく。
――やっぱりこのサビは盛り上がるなー。
なんてことを呑気に考えながら演奏している武夫であったが、聴衆たるやその反応は激的で、友子は瞳をキラキラ輝かせて感動しているようだし、千佳子に至っては武夫を見る目が熱いというか、涙まで浮かべている。雄二と正彦は目を丸くして茫然自失だ。
そして雅美はというと、感動しているような表情で真剣に聴いているが、胸の前で結んだ両手が緊張からか震えているようだった。
サビを弾き終えた武夫は、盛り上がった余韻を残すメロディーを奏でている。この部分は二番への間奏にあたるが、今日は全体的な曲のイメージを披露するだけなので、ここから形式的なアウトロを弾いて演奏を終えたのだった。
「フゥ!?」
「サイッッッッッコウだったよタケっち!!! 」
一息つく間もなく、興奮した友子がキーボード越しに武夫に抱き着いてきた。
「アタシの曲が魔法みたいに合わさって、スッッッゴクカッコよくてノリノリの曲に生まれ変わっちゃった。タケっち天才、もう大好き!」
「くっ、苦しい苦しい。分かったからトモちゃん、なっ。グフッ」
「いい加減にしろ、友子」
友子の強烈なハグに武夫は息も絶え絶えになっている。そんな友子の後ろ襟を正彦がつかみ、半ば強引に引きはがした。友子は唇を突き出して、キスでもせがむような仕草で武夫から離れた。
入れ替わるようにして雄二がまくし立てる。
「すっげぇよ武夫! 名曲じゃん。プロのヒット曲と変わんねぇじゃん――」
そんな様子を横目に、顔色が曇っている様子の雅美に気づいた正彦が、彼女にそっと近づき耳打ちしている。
「友……は、Love……て、Like……ら」
声が小さくてよく聞こえないが、雅美の顔色が戻り、安心したように胸をなでおろしている。そんなことがあったことなど武夫に気づける余裕など無かったが、もし気付いていたなら、面倒なことになっていたかもしれない。いづれにせよ、正彦のファインプレーであったと言えるだろう。
「――分かったから雄二もチカちゃんも落ち着け。なっ」
いつのまにか雄二に加勢するように、興奮状態で武夫を讃える千佳子だったが、武夫が明らかな困り顔になっていることに気づいたのか、雄二の頭にチョップを落として黙らせるのだった。
「師匠困ってる」
「お、おう、すまん」
「それでだ。今のがたたき台になるんだが、楽譜要るか?」
「楽譜より音源だ」
そう叫んだ雄二は、ハッと気づいたような顔をした。
「ちょっと待っててくれ、家に帰ってラジカセとテープ持ってくる」
そう言うや否や走り去って行った雄二に、正彦が音楽準備室から廊下に顔を出して叫ぶ。
「俺らの分のテープも忘れんなよ!」
ようやく静かになった音楽準備室では。
「あの、わたしは楽譜も欲しいです」
「うん、俺も欲しいかな」
雅美が申し訳なさそうに言い、なぜだか正彦は少し恥ずかしそうにしていた。
「トモちゃんは?」
「アタシは楽譜読めないから要らないよ」
うん、そんな気がしてた。とは思っても口にできない武夫だった。




