第29話:編曲作業
「雅美ちゃん、ちょっとキーボード借りるね」
「そんな、借りるだなんて。これは今でも武夫君のキーボードだよ」
武夫は雅美に貸しているというか、音楽準備室に常備状態のかつての愛機に陣取った。横には生徒が教室でかつて使っていただろう小さな机があって、そこに楽譜として使う予定の真新しいノートと鉛筆を置いた。
採譜に使ったノートは楽譜台にセットされていて、このノートは今後も採譜専用として使っていく予定だ。本来ならば音楽用の五線が印刷されたノートを使うところなのだろうが、地方ではこれが結構入手困難なのだ。
木下先生とか永山先生とやり取りするときとか、妹にアレンジ曲を提供するときはきちんとした五線紙を使っているが、これが結構お高い。だから編曲作業や簡単なアレンジをしたり採譜をするときは、普通のノートを武夫は使用している。
使いにくくないか? と思われるかもしれないが、慣れてしまえばそんなことはなかった。武夫の場合は五線すら引かず、ノートの薄い補助線を目安に音符を書き連ねている。本人にさえ分かればいいから、彼にとってはそれで充分だった。
「ギターを使うんじゃないのか」
意外そうな顔で雄二が聞いてきた。いまやキーボードの周りには五人のバンドメンバーが集まり、興味津々の顔で武夫を取り囲んでいる。
「こっちのほうが慣れてるからね……」
武夫を取り囲む全員が彼の一挙手一投足に注目し、なにかを期待しているような熱い眼差しを浴びせかけていた。さすがにこの状態では集中できそうにない。
「っていうか、気が散るんだけど」
武夫がジト目で周囲を見渡す。するとバンドメンバーは、気まずそうに彼の傍から離れていった。ただ一人を除いて。
「ハァ、トモちゃんは作曲者だしな。いろいろ意見を聞くから、そんときはよろしく」
友子の瞳がパァァァっと輝いた。
「まっかせて~」
本心で言えば雅美には横に残ってほしかった武夫であるが、そんなことを言い出せば示しがつかないというか、自分勝手な奴と思われそうで、そんなことを考えていてもなにも進まないというか、早いとこ曲全体のメロディラインだけでも組み上げてしまいたいと彼は切りかえた。
――雅美の作詞作業の助けになるかもしれないからな。
武夫の第一優先は常に雅美である。その想いを糧に武夫は集中力を高めていった。一曲目のサビが活きるように、二曲目と三曲目のサビのメロディーを頭のなかでアレンジし、そこからコード進行を組み立てていく。
武夫の指が動き出し、キーボードが音を奏ではじめた。
「おっ」
どこからともなく小さな声が漏れ聞こえ、雄二が両手で自分の口を押えている。その様子を正彦と千佳子と雅美が冷ややかな目で見ていた。
注目するなということに無理があるのだ。自分たちだけのオリジナル楽曲が今まさに目の前で組み立てられつつあるのだから。彼、彼女らは、遠巻きにしながらも武夫の様子にくぎ付けであった。
武夫が弾いているのはコードラインのみである。メロディーは彼の頭のなかだけで鳴り響いていた。コードラインは楽曲の屋台骨である。ここをきっちり組んでおかないと、良い楽曲にはならない。
だから武夫は、一回弾いたコード進行を部分的に変更したり組み替えたりしながら、進んでは戻り、また進んでは戻るを納得いくまで繰り返してコードラインを組み立てていった。
合間合間に鉛筆を取ってノートにコードを記していくが、やがて鉛筆の動きがピタリと止まる。武夫にはどうしても一か所だけしっくりこない箇所があるのだ。
「トモちゃん、ココだけどさ」
そう言って武夫は一部だけコードのメロディを乗せて音を奏でた。友子の顔が太陽に照らされたヒマワリみたいに光り輝く。
「朝ゴハンはパンよりゴハンだ! それがどうしたの?」
「うんココの終わりの部分どうにもしっくりこないんだよ。トモちゃんこの部分どんな気持ちで作曲したの? どんな気持ちを込めて歌ってるの?」
「チカラがみなぎるんだよぉ。今日も一日頑張れるぞーって」
考えるそぶりさえ見せず即答だった。友子には完全にそのイメージが出来上がって固定されているのだろう。
「力がみなぎるかぁ」
武夫は朝ごはんを食べる嬉しさとか幸せさを連想していたのだ。曲のイメージが食い違うはずだ。そしてその違いを理解した彼には、まるでせき止められていた小川の水が解放されたかのように、自由を得て勢いよく小川を降る水の流れようにコードラインの流れが次々と頭に浮かんできたのだった。
武夫が走らせる鉛筆の速度がどんどん加速されていった。そしてついに。
「おし、とりあえずコード進行の素案ができた」
バンドメンバ全員が武夫の周りに駆け寄ってきた。それはもうすごい勢いて。彼、彼女らの顔には期待の色がありありと浮き出ている。
「一回メロディー乗せて通しで弾いてみるから、雅美ちゃん、とりあえず作詞のイメージ作りの基にしてくれると嬉しいかな」




