第25話:始動!
翌九月二日は快晴だった。武夫はいつもより早く家を出て、雅美のアパートの死角から彼女が出てくるのを待った。彼女のアパートの方が学校に近い。通学路も同じだ。だから偶然出会っても不自然じゃない。
「あ、雅美ちゃんおはよう」
「おはよう、武夫君」
――うん、昨日より顔色がいい。それに笑顔が自然だ。
武夫は気づいていないが、雅美の顔はほのかに上気していた。そして武夫自身の顔も少し赤くなっている。
「じゃぁ行こっか」
「うん」
あれから十日ほど経った。ずいぶん雅美の情緒も落ち着いてきたように武夫は感じている。ただ、彼の前世の記憶とは食い違いがあるのも確かだ。
武夫の前世の記憶にある雅美は、とにかく賑やかで元気いっぱいでいつも笑っていて、そしてお調子者だった。それがこの十日間ほどの交流を通して彼が感じた彼女の印象は、ずいぶんマイルドなものになっている。
溌剌とはしているが落ち着きも見せていて、賑やかさは鳴りを潜め、調子のいい言動を見せていない。前世の彼女と変わらないのはいつも笑顔でいることくらいだ。
――周囲に溶け込むことに必死だった? とにかく寂しさを紛らわしたかった? 見せていたあの姿は空元気? それが習慣づいた?
父親を亡くしてすぐに友達と別れて転校してきた雅美。今になって思えば、確かに初日の最初のころは無理に明るく振舞っていたのではないかと思えてくる武夫だった。
想像の範疇でしかないが、武夫にはそれが一番しっくりくるし、納得もできる。
――いや、決めつけちゃダメだな。もうしばらく注意深く見守っていこう。
そんなこんなで涼しくなってきた九月も終盤に差し掛かったころ、ようやくバンドが始動できるめどが立った。九月中頃には文化祭があったわけだが、演奏できるレベルの楽曲もないわ、練習時間も取れないわでバンドとしてのライブはできなかった。
だから音楽部に入部したバンドメンバー全員が顧問の先生の勧めもあって合唱の発表に部員として参加したわけだが、雅美が伴奏に抜擢された以外は特筆すべきことはなかった。
雅美が伴奏に決まったのは、入部初日に友子からキーボドの担当だと部員や顧問の先生に紹介されたからである。ピアノが弾ける部員が居なかったから当初は先生が伴奏する予定だったらしいが、ピアノが弾ける部員が入部したということで、彼女がなし崩し的に伴奏に抜擢されたという経緯があった。
雅美は陰で武夫にその役目を譲ろうと提案してきたが、彼は皆に溶け込むいい機会だからと彼女に言い含めている。楽しそうに伴奏していたから、それで良かったと武夫は思うことにしたのだった。
バンド活動とはまったく関係ないが、この九月に武夫はとある出版社の小説新人賞に作品を応募している。資金入手の伝手は編曲活動や東京でのピアノの演奏ですでにできているが、予てから予定していたことであったし、小学生のころからその準備は進めていたのだ。
いまさら無かったことにするのは勿体ないし、今後の資金が多いに越したことはない。ただ、執筆にパソコンが使えないことがこれほど面倒なことだとは思いもしなかった。武夫はこの時代以前の偉大なる手書きの小説家たちにあらためて敬意を持つに至ったのである。
武夫が手書きの執筆の面倒さを舐めていたわけではない。ただ二十一世紀以降のパソコンがあまりにも有用すぎるのだ。今の時代でもパソコンは発売されている。けれどもパンフレットで確認したハードとソフトの仕様がショボすぎるのだ。しかも印刷機とかソフトとか一式を揃えるとなるとクソほどお金がかかる。
だから武夫は仕方なく手書きを選んだ。おかげで原稿用紙を何百枚も無駄にしたし、日数もかかった。ただ、べつに来年応募してもよかったから日数だけはいくらでも使えたし、すでに資金源ができていたから心の余裕もあった。
作品は前世での新人賞受賞作――けっこう売れた――を、かなり丁寧にブラッシュアップして同じ出版社に応募したのだから、それなりの自信が武夫にはある。ただ、絶対に受賞するという保証はないから、そこは覚悟もできているし、ダメだったらまた違う自身の出版作品を書いて応募すればいいと思っている。
閑話休題、音楽部でのバンド活動は、文化祭が終わったら自由にしていいと顧問の先生から許可を貰っている。雄二のドラムセット搬入も終わった。武夫のキーボードもすでに持ち込み済みだ。
ただ、活動場所がピアノがある音楽室から音楽準備室へと移動になった。音楽準備室には学校所有の楽器類が収納されていたわけであるが、それをバンドメンバー六人でドア横手前廊下側の一角に移動し、準備室に活動スペースをなんとか確保した。ちょっとごちゃごちゃしているが、練習をするには充分だ。
「新生セクストグリントの門出? を祝ってカンパーイ!」
なぜそこで首を傾げるのか武夫にはまったく分からないが、乾杯の音頭を取っているのが自由人で不思議ちゃんの友子だから考えてもしょうがないかと、半ば諦めにも似た心境だった。
「乾杯!」
全員が声を揃えてオレンジジュースが入った紙コップを掲げ、いまここに武夫たちの新しい物語が始ったのである。




