第100話:雅美の頑張り
生活指導担当の西村先生が指摘したことを巡り、武夫たちバンドメンバーそっちのけで先生方の議論が白熱している。
武夫たちの素性が口コミによって広がることなど、止めようがないことは明々白々であり、レコードが売れれば売れるほど様々な問題が起こるであろうことも容易に予測できた。
口コミの拡散力は速度の差こそあれ、どの時代においても絶大であり、ネット環境が一般に普及していない一九八〇年代においても、ひと月と経たずに日本全土へと拡散する可能性さえあった。
ただ一つ武夫たちにとって良かったことは、レーベルとの契約を前提に議論が進められたことだ。許可するしないということは、もはや議論の対象にはなっておらず、校長先生に至ってはバンドの人気に便乗する気満々であり、終始渋い顔でネガティブな意見しか出さなかった教頭先生と岡田先生を黙殺する勢いで積極策を口にしていた。
――もう俺たち必要なさそうだよな。帰っていいかな……。
結局この日は結論というか対策が出ないまま時間切れとなり、翌日の放課後に三笠先生に確認したところ、武夫たちがレーベルと契約を結ぶことについては問題なしと認識してよいと告げられたのだった。
武夫はその日の夕方に山根さんに連絡を入れ、インディーズレーベルとの契約を推し進めることになった。ただ、山根さんはすぐにでもシングルデビューして欲しいようだったが、バンドメンバー内で話し合ったところ、できるだけ早く曲数を十曲に増やしてアルバムでレコードデビューすることになった。
なぜそうなったかというと、十一月には文化祭が控えていて一般客にも公開されることから、先にシングルを発売してしまうと一般客が押し寄せる可能性を否定できなかったからである。
学校側が対策を練るにしても、期間が短すぎるだろうという意見が多く、三笠先生とも相談した結果、文化祭後にアルバムのレコーディングを行うことになった。デビュー曲はアルバムからのシングルカットということになる予定だ。
一般客については、来年の文化祭までに学校側に対策を考えてもらうしかない。
そして数日が経過し、武夫たちは文化祭に向けてというかレコーディングに向けての曲作りに取り掛かっていた。現在武夫たちのオリジナル曲は六曲だから、四曲を文化祭までに間に合わせる必要がある。
「作詞の方は捗ってる?」
とある日の放課後の音楽準備室で、キーボードに触ることなくノートに鉛筆を走らせては考え込んでいる雅美に武夫が声をかけた。
というのも、ここ最近の雅美は作詞活動に没頭していることが多く、目の下にクマを作ってくる日もあったからだ。
武夫としては手伝いたい誘惑にかられるが、あいにく彼には作詞の才能が無かった。小説が書けるのなら作詞もできそうなものだが、必要とされる感性が全く違うと彼は感じている。作曲においても言えることだが、もともとが理系の彼にとって、感性でゼロから創造する芸術というのがどうも苦手なようだ。
武夫にとって小説とは理詰めで執筆するものであって、読者を楽しませる理論に基づいた厳密なプロットが書けるからある程度売れる小説が書けるのだと彼自身は思いこんでいる。だからこそ、そこそこは売れても大ヒット作は生み出せなかったと彼は考えている。
編曲に関してもそれは言えることで、二〇二〇年代後半までの音楽理論が理解できていて、ピアノ演奏で磨いた感性が合わさって今の編曲能力が発揮されることになっていた。彼の曲を編み上げる感性はずば抜けているが、彼自身は理詰めで編曲を行うからこそ、良い編曲が可能であると考えているふしがあった。
彼自身は気づいていないことだが、実際は武夫が曲を編み上げる感性に優れていることは疑いようのない事実であり、だからこそ聴衆をあれほど感動させたりできているのである。
それはおいておくとして、雅美の手伝いができない武夫は、こうやってちょくちょく彼女に声をかけては進捗を確かめているた。
「昨日一曲目が終わったんだ。今は二曲目の構想を練っているところだよ」
雅美がこれほどまで頑張っていることには、武夫なりに推測されるいくつかの理由があった。一つは責任感に駆られて、もう一つは良い詩を書きたいという欲求、さらに、作詞活動が楽しくてたまらないということが考えられた。
事実、目の下にクマを作っていようと、雅美の表情は楽し気であり、そうであるならば多少の無理には目をつぶろうと武夫は考えている。
それともう一つ、レコードが売れれば雅美の母に楽をさせられるということも、彼女が作詞作業に根を詰めている大きな動機となっているようだ。
これに関しては武夫もなんとかならないのかとヤキモキしていたことだった。だからできるだけ良い曲に編み上げて雅美の収入を増やせるように頑張りたいと彼は思っている。
「良い詩ができるといいね。でも無理は禁物だよ」
「うん、でも、できるだけ早く作詞を終わらせて沢山練習しなきゃだから頑張るよ。それと一曲目はお昼休みにトモちゃんに渡しておいたから」
「分かった。確認してみるよ」
そう言って武夫が向かった先では、友子が授業で使う学生用の小さな椅子にあぐらをかいて座っていた。制服の長めのスカートを履いているからデリケートな部分が見えてしまう不安は無いが、彼女は一枚の紙を難しい顔で凝視している。
友子がこんな顔をすることはとても珍しいことで、なにかあったのかと気になった武夫は声をかけることにしたのだった。




